駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

六月に蘇る

2009年06月14日 | 医療
 一年の内で一番苦手な四、五月を何とか通り抜けた。六月に入って二週間、漸く疲れが取れてきた。
 新緑と青空で心地よい季節のはずなのだが、所謂新年度ということで、制度改定など本来の診療以外の行事や書類作業が多く、神経が疲れてしまう。
 五月病というのは、新入の学生や社員が張りつめていた気持ちが緩んで新しい環境に適応できず、憂鬱になる状態のことらしいが、オールドタイマーにも別の意味で鬱陶しい時期だ。
 診療というのもしんどい仕事だが今のところ嫌になるということがない。やはり好きで入った道でそれなりに修行が積んであるので、患者さんを診たり、文献を読んだりすることには、まだ十分取り組める。
 ところが役所の書類や保険制度の改定となると、頭痛がしてくるほど苦手で身体が受け付けない。かなりの部分は事務の女の子たちがやってくれるので、それに甘えているが、介護保険の審査などは代わってもらうわけにはゆかない。介護保険の今回の改定は初めて複雑詳細路線が簡潔簡明路線へ僅かに舵を切ったようで、ほんの少し審査がやりやすくなった。しかしまだまだマニュアルはわかりにくく、苦労して読んでいる。
 当たり前と言われそうだが、嫌いな事柄や嫌々やることはなかなか脳に納まらず、上手くできない。好きこそものの上手なれとはうまく言ったものだ。下手の横好きともいうが、下手でも好きなら何とかなってゆくと思う。 
 仕事を長く続ける極意は嫌なことは断る、嫌いなことはやらないことかもしれない。とすれば医院は適当に閉めて、どこか田舎の診療所に勤めるのも一つの方法かもしれない。
 
 
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少子化の根元

2009年06月14日 | 世の中
 四十過ぎて独り身の人は結構多い。私が町医者でなければ独り者が世に多いと言うことにさほど気付かないかもしれない。しかし、町医者をしていると、数多い不惑を過ぎた独身者に出会う。
 話したり診察している内に大半は察しが付く。勿論「お一人ですか」。などと直截には聞かない。なぜわかるか、それは一般的なことで職業上知り得た秘密とは違うのだが、なんというかうまく表現できない。連続性?と距離?、なにか差別している様で、余計な誤解や不快感を与えるのと嫌なので深入りしない。ただ、私にはわかる。一人で居たからか、だから一人で居るのか、あるいは両方なのか、よく分からないが、何か微かに違う。
 これは私の勝手な憶測だが、多くの独身者は特に選んでそうしているのではない感じを受ける。特に、女性はできれば結婚したいあるいはしてもよかったと思っているようだ。
 政府は少子化対策に少子化担当大臣などというものを作り、お子さんの居る女性を任に充てて適当と考えているようだが、本当にそれでいいと思っているのだろうか。
 少子化晩婚化非婚化の根は深い。社会そのもの、そしておそらく21世紀という得体の知れないものに関わる現象なのだと思う。出会いが少ないとか収入が安定しないというのは現象面ではかなり当たっているのだろうが、本気で少子化に取り組むのなら、結婚とは何かをもっと根元的に幅広い視野から捉えて分析し対応を考えてゆく必要がある。社会の最前線や底辺に出向いて情報を集め、そのことについて考えに考えている人がどれだけ政府の中にいるのだろうか。糸を手繰れば、人間とは何だろうか、社会とは何だろうか、本当に奥深い問題に繋がってゆく。直接的な手法は政府の仕事ではないかもしれないが、広く深く政策に関わる問題と思う。

 これは微妙な問題なのだが、もし可能であれば(うまく表現できれば)、何度も考えてゆきたい。素朴な感想を言えば、男はもっと勇気を、女はもっと素直にというのが取りあえずの町医者の見立だ。
 
 
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