駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

アカデミー主演女優賞から連想

2011年03月02日 | 診療

 今年のアカデミー主演女優賞はナタリー。ポートマンという女優さんに決まった。彼女も主演映画もよく知らないが、下馬評が高かったと言うから順当な受賞で、素晴らしい演技だったのだろう。受賞の挨拶も真っ当で、これからも活躍すると予想する。

 演技というものに連想が働いた。俳優養成所があり、演技の理論や指導があるようだから、演技という物はある程度訓練で身に付くものらしい。

 医者は俳優ではないが、嘘というか事実と違うことを言わなければならない場面があるので、ある程度の演技力が要求される。最近は癌も告知することが多く、苦しい嘘を言う場面は減ったけれども、説得力は欠かすことのできない臨床医の能力だ。説得力と演技力は違うけれども似た要素があり、昔は先輩医師の迫真の説明に研修医や新米看護師まで騙されるというと語弊があるが、なんだ癌じゃなかったんだと納得させられるようなことがあった。

 今では病理解剖は昔の十分の一くらいに減ってしまったが、亡くなった患者さんの病理解剖をさせて頂くことが、一つの臨床能力というか信頼の証のように思われていた時代があった。大学病院では病気の研究という使命もあるから、珍しい病気で亡くなられた患者さんの病理解剖はなんとしてもさせていただきたいという医局の空気があった。家族に断られて主治医が項垂れていると、私が説得にと出向く医師が居た。どういう風に話すのかしばしば拒否を承諾に変えて帰って来られ、一体どういう風に話すんだろうと不思議な気がしたものだ。

 私は特別なことはせず出来ればと熱意を持ってお願いするだけだったが、病理解剖の承諾率は高かった。若く屈折や人生の機微も知らず、ただありがとうございますと会釈していただけだが、今から思えば酷い逆縁でよく許可してくださったと胸が熱くなるような症例もあった。

 今は多くの経験を積んで演技の技術をある程度身に付けたので、説得力は増したと思う。唯、熱意は減っているので総合説得力はさほど増えてはいないのかも知れない。多分俳優の演技と共通すると思うのだが、ある程度の憑依というか自分をも騙すことが説得力を増すように思う。

コメント (2)
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