福島原発の事故報告を聞いていると癌の告知を思い出す。なぜ癌がほとんど告知されるようになったか。様々な理由があると思うが、自分の命は自分で生きる、当事者には真実を知って生きる権利というか使命があると言うのが第一の理由だろう。勿論、実際面では患者さんに本当のことを知ってもらわないと検査治療がしにくいという事情もある。
癌の告知をする以前は、癌で余命何ヶ月などと言うことは説明できないので、肝機能の数値が少し悪い、貧血は今のところありませんなどという周辺の情報だけを伝えて、その場その場を誤魔化すというか凌いできた。何となく患者さんは察しが付いているような希望も失わないような難しい空気が漂っていた。
福島原発の説明は恰も癌告知を避けているような印象を受ける。細かい刻一刻の煙が出たとか放射能数値が上がった下がったなどという報告は、その場限りその場凌ぎの説明に過ぎない。全体像の説明長期予後の見通しと対策を告げなければ、住民と国民はどうすればよいかわからない。どうなるかよく分からないと言うのでは職責を果たしていると言い難い。責任逃れの心情があって、事実を隠そう真実から目をそらそうとしているように見えてしまう。少なくとも蓋然性を示すことはできるはずだ。不安を煽るなを錦の御旗に、その場凌ぎを繰り返すから後手後手で大惨事になったのではないか。
大局観がなければ、決して危機は乗り切れない。