台風の吹き荒れる朝六時に電話で起こされた。流れが悪く、7時に患家に到着する。いつもより青白い顔で呼吸が不規則だ。手足が冷たい。「夕方でしょう」。と、家族全員に連絡するように告げて帰る。昼前、呼吸が止まったと連絡があった。思ったより早い、と言っても94歳余力の有り様がない。
母親似の容貌の息子さんと言っても白髪で、多分私よりも年上だと思うが、「長い間、お世話になりました」。とお礼を言われる。「いいえ、・・。こんなに頑張られるとは思いませんでした。奥様は本当によくやられました」。と感じたままを申し上げる。涙や悲嘆はないが、表の雨風と隔絶された静謐な空気が漂う応接室をお暇する。
さほど使われることがない様子ではあるが、日当たりが良く庭の見える応接室を思わず長期に占拠されたわけだ。寝たきりの高齢者の寿命は世話をされる人の能力と姿勢に左右されるところがある。寝たきりになられてから数週間と思ったのだが、もうすぐ一年まで長らえられた。元気な時は診察室で天下国家を論ずる異色のお婆さんだったので、容易なことではなかったと推察するが、見事な介護だったと思う。お嫁さんはそんな風に微塵も思っておられない様子に感服した。
お婆さんの資質は私の見るところ隔世遺伝したようで、お孫さんは難関の大学を出て東京で活躍しておられると聞く。