昨日、8月15日は終戦記念日であった。いつの頃からか、終戦まして記念日という呼称にはどこか違和感を覚えるようになった。太平洋戦争を終結させた日には違いないが、こうした呼び方には不十分なものを感じてしまう。今や、直接戦争体験のある人は極く少数となり、きちんとした昭和史を授業で習っていない人が大多数となった。異論はあると思うが、幾多の努力や労作はあっても、結局は国民的な総括を経ること無しに、この歴史の全体像には蓋がされ忘れられていくと感じる。それだけ重い作業に耐えられる国民力が無いのではないかと訝しんでいる。
しかしながらあるいはだから、パニックを起こすといけないからと事実を隠蔽する体質は連綿と続いているようだ。もしこの国に未来があるとすれば、この心の動きに深くメスを入れる勇気と粘り強さが必要であろう。