駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

机という障害物

2011年08月19日 | 医療

  しばしば机上の空論と言われる。空論は言い過ぎで建設的でないが、机上の認識不足論と言いたい論調は多い。

 8月13日の日本医事新報に社会保障を担当した内閣官房審議官(厚生官僚)が医療現場は今何をすべきか自覚を持って欲しい、これからは患者に寄り添って年齢を重ねる開業医の時代だと述べている。

 中福祉・中負担を望む日本の最適サービス提供体制の将来像に大きな異論はない。政治が生み出す物は悪く言えば妥協よく言えば融合の産物なので、誰をも満足させることは無理な相談で、示された将来像はまずまず妥当だと思う。しかるに、医師は枠組みを形にするのは制度でなくて実践者であるとの自覚を持っていただきたい、これからは患者に寄り添って年齢を重ねる開業医の時代などと言われては鼻白む。

 五十年前、武見太郎は開業医の三分の一は欲張り村の村長と喝破して、憮然としていたが、今では欲張り村の村長は減少し、私の見るところ半数以上の仲間達は課題を先取りして連携システム(診療所-病院-訪問看護-ケアマネージャー-家庭)を構築してきた。ちなみに私が訪問看護師やケアマネと遣り取りしたファックスを積み上げると1mを超す。何時も何処にも不心得者は居るものだ。そういう人を念頭に置かないで頂きたい。机の向こう側で現場体験無しに良い仕事をされたのは認めるが、机を乗り越えてこちら側に来て、一週間でよいから我々と一緒に働いてみて頂きたい。計画の手直しは難しいかもしれんが、発言の仕方は変わると思う。

コメント (2)
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