駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

内田樹「ためらいの倫理学」を読む

2016年03月26日 | 人物、男

     

 相変わらずの三寒四温というか四寒三温というか、暖かくなったり寒くなったりが続いている。この三、四日は寒い方で、木の芽も顔を出しかけて躊躇している様子だ。

 内田樹と言う人が居る。神戸女学院大学名誉教授だ。何の名誉教授かは知らない。どんなきっかけかだったかは忘れたが、数年前、彼の書いた「寝ながら学べる構造主義」を斜め読みし、えっそうなのと腑に落ちた記憶がある。元より思想哲学の素養もなく、何処まで理解出来たか怪しいが、以来穿ったことを書く人だと気に留めてきた。しかしながら、一寸調子に乗り過ぎというか否それが彼の真骨頂なのか、ありとあらゆることに発言され、とてもフォロウ仕切れていない。それに合気道の達人のせいかひねり技が効いていて、難しそうで易しく、易しそうで難しいのだ。

 そうしたわけでというわけでもなく、本屋で見かけた「ためらいの倫理学」を読んでみた。これが内田先生が世に問うた最初の本らしい。恐れながら学と言うよりは気合いというか空気投げというか、換骨奪胎、そう言われればそうだなの話が展開されている。内田先生はなぜ私は**について語らないかと言いながら語り続けているのだが、中で戦争についてが一番面白かった。内田先生の該博な知識と深い教養から溢れ出るというか繰り出される論評や意見をちゃんと理解出来たか心許ないが、脳味噌をもみほぐされる感じがした。

 まあ、確かなことは物事は一言では表現できないということ、そして、理解も簡単に成る程そうだとはいかないことだ。

コメント
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