文科省の事務次官だった前川喜平氏があったことをなかったことにはできないと、加計学園の計画を巡る文科省への首相圧力を示す文書の存在を証言した。ありそうなところをきちんと捜さず、瞬く間になかったと報告した現政権に対する明らかな告発だ。
目を逸らさせ、煙幕を張るのを得意としている菅官房長官は例によって、あら捜し別動隊を動員して前川氏が最低の人物であるかのように私生活をつついている。厳しい人生、辛いこと悲しいことのない人は居ないだろう、古傷を見つけ塩を摺り込んで退場させようとする、最低なのは官邸の方だろう。
もっと恐ろしいのは、こうした証言が出てきても、さほど政権が揺らがないことだ。二十年以上前であれば一週間で政権は吹っ飛んでいただろう。多くの人は森友や加計学園への圧力があったことをさもありなんと認めていながら、強いもの恐いものに歯向かわない方がと思っているのか、政治なんて力で事実を捻じ曲げる世界と諦めているのか、御用マスコミで目が眩んでいるのか、安倍強権政治批判に結びつかないことだ。政治の劣化は国民の劣化ということになるのかもしれない。
野党もそこに気付くべきだろう。多くの国民は圧力があったと思っている、安倍式がさほど良いとは思っていない。躍起になって、国会で証明しようするのも大切な戦術ではあるが、政権は御用マスコミを利用して躍起になるあまりに伸びた腰をあら捜しで折ろうとしてくる。その術に陥らないようにしながら、安倍政権の本音と実像を明らかにしてゆくことの方が効果的のように思う。そして、安倍政権でなくとも防衛、外交、経済政策で民主的に今以上のことができると主張することだ。
公平透明で自由にものが言える社会を望んでいる人は多いと思う。