辰巳琢朗さんが自民党の大阪知事選出馬要請に対して、政治は政治に向いた人がやるべきと断られたようだ。政治に向いた人というのはどういう人のことかねと聞き返したくなる。
一体政治に向いた人とはいかなる人物なのだろうか、安倍首相、枝野さん、玉木さん、志位委員長、小沢さん、二階さんそれに松井前大阪府知事などが政治家に向いた人なのか。政治家を辞めても政治的な発言を繰り出す橋下氏や文筆家とも思えない政治的発言を繰り返す百田さんなどは政治に向いているのだろうか。
確かにああ言えばこう言う、俺が我こそがという性向や固い信念や権謀術数の凄味を漂わせる人が多いようだが、それが政治に向いているということだろうか。確かにこうした要素は政治に必要かもしれないが、一番大切なものではない気もする。人間の本質は数千年さほど変わっていないようだから、それこそ歴史を紐解いて優れた政治家だった人を捜し政治に向いた人資質とは何かを研究すれば、答えは出てくると思われる、私が知らないだけで既に数多い研究成果が出ているだろう。
君子豹変もあるし、立場が人を作ることも多いから、ある人が政治に向いているかどうかを判断するのは実はさほど容易ではない。大体、自分のことは自分ではよく分からないことも多いと思う。なりたい人よりもなってもらいたい人という切実な周りの声も聞こえる。次はあいつが好いと慧眼で後継者を指名し企業業績を伸ばす社長も少なくない。
辰巳さんに府知事が出来ないとは思えない、真意は測りかねるが公よりも私に生きると聞こえた。
政策にはプロアマが居ても政治にはアマは居ない。社会のありようは全ての人が己に関わるわけで、誰もがプロだ。
ところで、固辞するだろうが次の東京都知事にはタモリがいい。正体見たり枯れ尾花、小池さんは二階さんが支持しても交代がよろしいようだ。