Tさん御年九十五歳、矍鑠としてはおられるが独りでは来院できず、いつも娘さんが付いてこられる。声は大きくはっきりとものを言われるが耳が遠く大声を出さないと聞こえない。数年前に奥様を亡くされ、今は娘さんが交代で面倒を見ておられるのだが、「わがままで困ります、言うことを聞くようになる注射を打ってください」と頼まれる。「いやあ、そういう注射はないんですよ」とお答えするのだが、確かにそうした注射があると助かる介護者は数多いだろう。
本人はこちらの会話は聞こえない様子で「ありがとう」と腰を上げられる。もう七十歳と言っても娘はいつまでも娘だし、元々マイペースの人だった様子で好きにやっておられるらししい。普通高齢で妻を亡くされるとがっくり来る人が多いのだが、Tさんのようにさほど落ち込まずマイペースを保って生活できる人もおられる。神経が太いのか鈍いのかよくわからないが、強い人なのだろう。尤もそれは過ぎた無用の忖度かもしれない。