駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

最前線の感覚

2011年08月26日 | 医療

 

  昨日、胸部疾患の勉強会の後、総合病院の部長と話していて、私と診療感覚が微妙にずれているのを感じた。T先生はよく勉強されていて、専門以外のこともいろいろご存じなのだが、コスト感覚が乏しい。つまり、薬や検査の値段をあまりご存じないのだ。総合病院では医師は会計から遠く、今日この患者はいくら払うんだろうかという所まで気が回らない。それよりも、最新最前線の検査を漏れなくやり、症例報告しても立派に通用するデータを揃える方に頭が向きがちなのだ。私が部長だったのは、もう二十年以上も前のことで今は多少変わってきているかも知れないが、基本的なところでT先生の診療姿勢は良く理解できる。

 これが大学教授となれば、すべての教授がというわけではないが、もっと鮮明に研究重視、完璧重視の姿勢になる。残念ながら、町医者から病院の部長そして大学の教授という逆コースはないので、町医者の感覚は町医者に留まることが多い。尤も、現場最優先で中枢をわかっていないと誹謗する、時々そういう医者が居る、のは行き過ぎで相互の思考を融合させる智慧が何よりも必要だ。政策に寄せて言えば、方針を決めるには鳥瞰が重要だが虫の目はそれを補完するものとして欠かせない。

 そういう意味で、勉強会や講演会の後で忌憚のない意見を交換するのは有意義なことだと思われる。特に我々のような卒後四十年生は教授、院長や部長にも臆せず物が言えるので、大切な役回りだと思っている。

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集団になると

2011年08月25日 | 小験

 街に出るとつい本屋へ寄ってしまう。真っ直ぐ帰ってくれば小遣いも減らないのに、殆ど病気だ。今日は珍しく四冊で済んだ。しかし、恥ずかしながらベストセラーを買ってしまった、古賀茂明さんの文庫本。

 駅で思い出して、食品売り場に回り、朝飯用にセリアルとコーヒーを買う。レトルトカレーの大安売りに手を出し、荷物が増えて両手が塞がってしまった。

 さあ我が駅に着いたぞと降りようとすると、杖をついたというか振りかざした婆さん達が四人何やらしゃべりながら降りようとする客を無視して乗り込んでくる。傍若無人な態度に呆れた。たかだか十五歳ほど年上で杖を持っているからといって威張るんでないと思う。両手が塞がっているのですり抜けられず、乗せてから降りると。駅に降り立った途端ドアが閉まった。

 どういうものか、一人ならきっと礼儀正しい婆さんなんだろうに、集団でおしゃべりを始めると、公共心がすっ飛んでしまうらしい。これは昨日の話。

 今朝は土砂降りでずぶ濡れになってしまった。その上、また電車が遅れ20分ほど、コンコースで待たされた。とほほ。

 そこで、浮かんだもじり。異常の豪雨軽人を困らす、客はぜいぜい憂色新たなり。

 

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データと解釈

2011年08月24日 | 小考

 

 科学には実験が必須である。と言うよりも実験のないものは科学ではないと言うべきかもしれない。勿論、実験と言っても幅広く、地球や宇宙が対象では観察によるデータがそれにあたる。

 実験によって得られるデータは決して弄くってはならない。そのまま虚心坦懐に紛れなく扱う必要がある。先入主や自己流の解釈が入り込む隙間があってはならない。データの解釈は実験室を出て、心を切り替えてから始めないと間違いの元になるし、あるいは大発見を見逃して、何だそれならワシも気付いていたとセレンディビティーを腐す醜態を晒すことになる。

 小説はともかく、報道や解説もこうした科学的手法を見習うのが良いと思う。否、本当はねばならんと言いたいところだ。マスコミの報道には、先入観や無意識の意図が溢れている。平均的な人間は、それに影響されやすく、踊らされる恐れがある。穏当な譬えではないが愉快犯に似た気持ちをマスコミ人は持っているのではないかと見ている。マスコミに携わったことはないが、常に事実と解釈を分けて書くと言うことは最初に叩き込まれることではないのか?。「画策している」とか、「追いつめられて」などという見出しには、記者の解釈が匂う。

 一方、受け手には鋭い批評精神と成熟した心の涵養が望まれるのだが、当然既にマスコミは色つきと見破っている人は多いだろう。色つきであれば、複数のメディアの情報入手が欠かせず、読み解く努力も必要になる。

 

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糸谷・前原はエースなのか

2011年08月23日 | 町医者診言

  将棋に糸谷哲朗五段というのが居る。若手の有望株で関西のエースになると目されている。確かに棋界で高い評価を得てそれなりの実績もあるのだが、先日のNHK杯を見ていて、この人は異能ではあるが本当にA級まで登れるのだろうかと疑問を感じた。というのは差し手が異常に早く相手の虚を着く試合運びである点と、いみじくも解説の片上大輔六段が指摘したように一手一手は鋭いのだが、全体としてみると良い手かどうかはっきりしない差し手がある点が気になったのだ。

 まあ、ヘボがこんなことを言うと糸谷君は早口で難しげなこと(哲学が趣味と聞く)をしゃべりまくると思うのだが、そういうところも不安だ。

 で、結局、この人は本当に将棋の棋士なのだろうかという温厚常識の北島忠雄六段に負けてしまったのだ。

 さて一方、前原誠司さんが前言を翻し、民主党代表選に出馬を表明した。国のためとはお為ごかしに聞こえる。代表戦に出ないと言っていたのは、火中の栗を拾うのは得策でないと言われたか思っていたからではないのか。前言を翻したのは支持者の圧力に屈したからだと見えてしまう。

 君子が豹変することはあり得ると思うが、それは容易なことではないし、側近の圧力によってではない。前原さんの航跡を見ると軽率のそしりを免れないと思う。隠忍自重と言う言葉を噛みしめるべきだ。

 マスコミの人気調査に惑わされてはならない。これはタレントと同じレベルの評価で、顔よし声よしスタイルよしの前原さんに勝てる候補はいない。野田さんには悪いが顔とスタイルで三馬身の差が付いている。しかし、マスコミの調査はその程度のものだとネット情報も活用する人達は喝破している。

 インターネットでは囁かれているのだが、マスコミには名前が出てこない人が二人ばかりいる。これから出てくるか?。民主党議員諸氏は党首選びに血湧き肉躍り過ぎて熱中症にならないように、頭を冷やして大局から判断して頂きたいと願うばかりだ。

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踏んだり蹴ったり

2011年08月22日 | 診療

 

 今朝はゲリラ豪雨で駅まで歩くうち片袖がびしょ濡れになってしまった。ひどい目にあったと駅に着くと、困ったことに電車が規定値を超す雨量で一時不通になっており、改札口に人が溢れていた。仕方なくタクシー乗り場に回るが、人の考えることは同じで既に十人ばかり並んでいる。十五分ばかり待って漸くタクシーに乗ると、携帯電話が鳴った。留守電を聞こうとするとお話中である。これは慌てている人が何度も電話する時に起きる現象なのだ。応答を待てない人は返事が来る前に何度も電話をするために、留守電を聞くことが出来ない。暫く待っていると女房の携帯から電話が入り、何度も***-****から電話が入ると言う。

 ***-****に電話をする。

 「**内科ですが、どうしました」。

 「お爺さんが息をしていないんです」。それは大変。

 「どちら様ですか」。

 「**ヨシコです」。えーっと、そうかあの人のご主人か。末期癌で自宅に戻されたYさんだ。

 「電車が動かなくてタクシーで向かってますからね、着いたら行きます。待ってて下さい」。

 小振りになった雨の中、近いので歩いてYさん宅へ向かう。Yさんの最期の往診から戻ると、早出の看護師Kさんが、

「事務のNさんから電車が不通で遅れると連絡がありました」。と言う。

 「ああ、そう」。

 月曜なのに困ったなあと思いながら、診察室の椅子に坐り、コンピュータの電源を入れると、あれれ、右側の画面が映らない。無信号と表示が出る。接触不良かとケーブルを彼方此方弄るが直らない。慌ててコンピュータ管理会社へ連絡すると受付の女性が、未だSは出社しておりませんので折り返し電話させますと言う。

 右の画面が映らないと検査データが参照できず十分な診察が出来ない。ああ、なんで今日に限って困ったことが重なるのだと大きな溜息が出た。

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