ディスプレイを見ることが苦にならなくなると、紙に印刷され綴じられた書物になかなか手が伸びなくなる。
手を伸ばせばすぐ届くところに並べてある辞書も、手を伸ばす⇒取り出す⇒文字を探し出す⇒読む⇒書き取るかキーをたたくかで記録するという手順が、どこか回りくどく思えてくる。
本屋で棚を睨むことが少なくなって、もともとたいして利かない目がいっそう悪くなった。
ろくでもない本を引き当てない勘が鈍ってしまっているだろうと、変な自覚がなお足を鈍らせる。
本を見つけにくいのは、平積みが増えたせいかとも思う。
平積みは、一度に見える冊数が少ないから検索効率が悪い。
著者が必ずしも気に入ってない帯封の、バカでかい文字がまた邪魔になる。
本を読まずに書評だけ眺めるという擬似読書なら、こんな本にも値がついていているのかという腹立たしさは起きない。
「いつか、わが生涯最高の一冊を見つけたいと思っています。多ジャンル、多読しかそれに近づく方法はありません。時事、経済からフィクション、小説までなるべく読まず嫌いをしないように読んでいきます。」
と書かれた気張ったブログを見かけたが、去年の何ヶ月かで終わりなのか、記事は加わっていない。
きっと生涯最高が簡単に見つかったのだろう。
書評も動いているもの、つまりいつも入れ替わっているものでないと、かび臭くなる。
解説か案内かというような記事だが、ともかく新しいのは見つかった。
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2012071500011.html
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