今日は、午前9時から全体練習が始まりました。
高校での用事で昨日は休んだ茂木くん(神奈川・桐蔭学園)も、今日から復帰。
いよいよ、沖縄キャンプ帯同メンバーを目指す部内競争が、最終ラウンドを迎えました。
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「もう最終ラウンドなの?」と思う方もいらっしゃるでしょう。
しかし、2月に入ってからの練習を見ていると、例年よりも二週間から三週間早く、実戦的なメニューで練習が進んでいるように感じるのです。
沖縄キャンプ中の3月8日に東海大学とのオープン戦が予定されていますので、それまでに春季リーグを戦う陣容を概ね絞り込もうという方針なのかもしれません。
例えば、投内連携では、主力打者たちが交代で打席に入ります。
投手がマウンドから全力で投げ込む球に対して、ベンチからのサインに従ってバントとバスターを使い分け、守備陣も臨機応変の処理を求められています。
例年ならば、3月に取り組むような練習メニューです。
ゲージでの打撃練習では、一軍クラスの投手が打撃投手に起用され、変化球も交えた本格的なピッチングを披露。
主力打者が次々にゲージに入って、投手に対する様子は、実戦さながらの緊迫感が漂います。
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午後からは、野手の主力組は室内に移動して、更に打ち込み。
グラウンドでは、メンバー外の守備練習と打撃練習が行われました。
2玉真、勝又、加藤(静清)、渡辺(早実)、
3山岸、直原、丸子(広陵)
4深沢兄、西竹、山口、磯網、武居、重信(早実)
5酒松、大石、瀧島、武藤
6中山、松永、川原(掛川西)
外野は、
若杉、石塚、渡辺、横田、宮崎、小野田、木村、遠藤
かたや投手陣は、外野フェンス沿いに、ポール走を繰返し行なっていました。
学生コーチがタイムを計測しているので、手抜きはできません。
寒風吹きすさぶ中でも、投手たちは汗だくになって、右翼と左翼のポール間を繰り返し疾走していました。
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その様子を眺めながら、野球部OBの関口さん(仙台二高)と、お話しさせていただく機会がありました。
数週間前に、ある新人投手のお母上が上京されたので、投手陣の練習を見易い場所に私がお連れした時のエピソードを関口さんにお話ししました。
投手陣の練習風景を見た時の、お母上の第一声が、「投手だけで、こんなに大勢の部員がいるんですか…」
現役時代は捕手であった関口さんは、私の話を聞いて、笑いながらおっしゃいました。
「ayくん。僕の時代(昭和33年入学)には、僕の学年だけで、捕手は14人もいたんだよ。早稲田全体では四十数名の捕手がいた。」
昔の東京六大学野球がプロ野球以上に輝いていたのは、こんな凄まじい部内競争を勝ち抜いた選手たちがプレーしていたからだと、改めて思いました。
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写真は、東伏見の定食屋さん「成田屋」
昔も今も、多くの野球部員たちがお世話になっています。
とある選手が風邪で寝込んでしまった時には、女将さんが、選手の住む部屋の枕元までご飯を届けてくださった、というようなエピソードも。
早稲田の野球部は、様々な方に支えられています。
ありがたいことです。
高校での用事で昨日は休んだ茂木くん(神奈川・桐蔭学園)も、今日から復帰。
いよいよ、沖縄キャンプ帯同メンバーを目指す部内競争が、最終ラウンドを迎えました。
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「もう最終ラウンドなの?」と思う方もいらっしゃるでしょう。
しかし、2月に入ってからの練習を見ていると、例年よりも二週間から三週間早く、実戦的なメニューで練習が進んでいるように感じるのです。
沖縄キャンプ中の3月8日に東海大学とのオープン戦が予定されていますので、それまでに春季リーグを戦う陣容を概ね絞り込もうという方針なのかもしれません。
例えば、投内連携では、主力打者たちが交代で打席に入ります。
投手がマウンドから全力で投げ込む球に対して、ベンチからのサインに従ってバントとバスターを使い分け、守備陣も臨機応変の処理を求められています。
例年ならば、3月に取り組むような練習メニューです。
ゲージでの打撃練習では、一軍クラスの投手が打撃投手に起用され、変化球も交えた本格的なピッチングを披露。
主力打者が次々にゲージに入って、投手に対する様子は、実戦さながらの緊迫感が漂います。
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午後からは、野手の主力組は室内に移動して、更に打ち込み。
グラウンドでは、メンバー外の守備練習と打撃練習が行われました。
2玉真、勝又、加藤(静清)、渡辺(早実)、
3山岸、直原、丸子(広陵)
4深沢兄、西竹、山口、磯網、武居、重信(早実)
5酒松、大石、瀧島、武藤
6中山、松永、川原(掛川西)
外野は、
若杉、石塚、渡辺、横田、宮崎、小野田、木村、遠藤
かたや投手陣は、外野フェンス沿いに、ポール走を繰返し行なっていました。
学生コーチがタイムを計測しているので、手抜きはできません。
寒風吹きすさぶ中でも、投手たちは汗だくになって、右翼と左翼のポール間を繰り返し疾走していました。
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その様子を眺めながら、野球部OBの関口さん(仙台二高)と、お話しさせていただく機会がありました。
数週間前に、ある新人投手のお母上が上京されたので、投手陣の練習を見易い場所に私がお連れした時のエピソードを関口さんにお話ししました。
投手陣の練習風景を見た時の、お母上の第一声が、「投手だけで、こんなに大勢の部員がいるんですか…」
現役時代は捕手であった関口さんは、私の話を聞いて、笑いながらおっしゃいました。
「ayくん。僕の時代(昭和33年入学)には、僕の学年だけで、捕手は14人もいたんだよ。早稲田全体では四十数名の捕手がいた。」
昔の東京六大学野球がプロ野球以上に輝いていたのは、こんな凄まじい部内競争を勝ち抜いた選手たちがプレーしていたからだと、改めて思いました。
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写真は、東伏見の定食屋さん「成田屋」
昔も今も、多くの野球部員たちがお世話になっています。
とある選手が風邪で寝込んでしまった時には、女将さんが、選手の住む部屋の枕元までご飯を届けてくださった、というようなエピソードも。
早稲田の野球部は、様々な方に支えられています。
ありがたいことです。