昨日の箱根駅伝のレース終了をもって、渡辺康幸さんが駅伝監督としての務めを終えました。
在任期間は12年間。
応援するファンの立場からみても、あっという間でした。
日経記事へのリンク
すっかり指導者らしくなった渡辺康幸さん。
しかし、現役時代の天才ランナーとしての記憶が鮮烈すぎて、就任当初は指導者としての渡辺康幸さんをイメージできず、それどころか「名選手は、必ずしも名監督ならず」「スターはスターを好む」などというネガティブな格言が私の胸をよぎってしまったのが正直なところでした。
また、監督就任当時、早稲田は箱根駅伝の予選会で常連というレベルで苦しんでいました。
戦力補強のために高校生の有力ランナーたちに声をかけても、「自分は強くなりたいので、早稲田ではなく○○大学に進学します。」と断られてしまう始末。
そんな状況から、地道な努力を通じて高校陸上界における早稲田の評判を高め、限られたスポーツ推薦枠のハンデを克服して優勝も狙える戦力を整えてきた渡辺監督の功績は、高く評価されるべきでしょう。
上の日経記事を読むと、個々の部員への指導という面でも、渡辺監督が手腕を発揮していたことが分かります。
選手として日本長距離界の至宝であった渡辺康幸さんは、今や指導者としても一目置かれる存在となりました。
次のステージでも、大活躍されんことを心からお祈りいたします。
本当にお疲れさまでした。
在任期間は12年間。
応援するファンの立場からみても、あっという間でした。
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すっかり指導者らしくなった渡辺康幸さん。
しかし、現役時代の天才ランナーとしての記憶が鮮烈すぎて、就任当初は指導者としての渡辺康幸さんをイメージできず、それどころか「名選手は、必ずしも名監督ならず」「スターはスターを好む」などというネガティブな格言が私の胸をよぎってしまったのが正直なところでした。
また、監督就任当時、早稲田は箱根駅伝の予選会で常連というレベルで苦しんでいました。
戦力補強のために高校生の有力ランナーたちに声をかけても、「自分は強くなりたいので、早稲田ではなく○○大学に進学します。」と断られてしまう始末。
そんな状況から、地道な努力を通じて高校陸上界における早稲田の評判を高め、限られたスポーツ推薦枠のハンデを克服して優勝も狙える戦力を整えてきた渡辺監督の功績は、高く評価されるべきでしょう。
上の日経記事を読むと、個々の部員への指導という面でも、渡辺監督が手腕を発揮していたことが分かります。
選手として日本長距離界の至宝であった渡辺康幸さんは、今や指導者としても一目置かれる存在となりました。
次のステージでも、大活躍されんことを心からお祈りいたします。
本当にお疲れさまでした。