「田鶴は・・・手向かって来るであろうな」
藩命は、妹・田鶴の夫である
親友を討つことであった。
藤沢周平文学の頂点ともいえる原作の映画化、TV各局でも主演の東山紀之さんが前作「山桜」以来の藤沢作品に篠原哲雄監督とタッグを組み、素晴らしい映画に仕上がっているとのPRが行われていた・・・カツラがきつくて痛かったとも。(笑)
山形県で多くのロケが行われ、その美しい日本の原風景がTVでも映し出され、これは是非観たいと思っていた矢先、WOWOWで前作の「山桜」、そして昨年封切られた「花のあと」などの藤沢ワールド満載の映画が放映されていた。
既にブログにも掲載しているが、独特の風情ある数々の庄内地方などの美しいカット、そこに織りなす武家社会の難しさと藩内における様々な出来事・・・・。
今回の作品は、何と言っても美しい風景のカットとテーマソングがぴったりと合って、それだけでも観る価値のある作品に仕上がっている。
何にも増して、上映時間103分があっという間に終わってしまうほど、この作品にくぎ付けになってしまった。
この話も庄内地方・海坂藩における物語、主人公・戌井朔之助の親友であって、妹・田鶴の夫・佐久間森衛が、御上(殿)の御前で藩政を痛烈に批判し遂には妻と共に脱藩した。
郡代である森衛の申し立ても一理あると朔之助も思ったが、その方法が短絡的で御上(殿)の逆鱗に触れたものである。
「郡代ごときが、余に物申すとは・・・」
その後、この申立てに基づいて藩政も一部改革されたが、御上(殿)への非礼と脱藩の罪により上意討ちすべきとの藩命が下された。
追っ手を差し向けた結果、それらが首尾よく討ち果たすことができなくて、藩内で一、二を争う剣の使い手である朔之助に森衛を討ち取る旨の藩命が下された。
邸宅に帰り、森衛を討ち取るべく旅に出ることを父に報告する。妻である妹・田鶴が手向かいするであろうと父に言うと・・。
父は、・・・
「田鶴は・・・手向かって来るであろうな。なれど、手向かったら討ち取れ・・・・」と、息子・朔之助に申し伝える。
朔之助は、藩命は森衛一人(いちにん)を討ち取ること、妻・田鶴についてはお構いなしとのことである旨、申し上げて翌朝旅に出た。
なお、戌井家に仕える若党の新蔵が、森衛を探す道中に付き従いたいと、朔之助に申し立て同行することを許され、森衛を討ち取るため下総の国までの100里以上にわたる旅に出た。
映画の大半はこの海坂藩から江戸の先、下総の国までの道中の場面であり、その間の自然などが山形県の各地でロケされたとのこと。
美しい自然が、素晴らしい音楽と共にスクリーン一杯に迫ってくる。
また、タイトルである「小川の辺(おがわのほとり)」とは、道中の回想で幼少時代の朔之助、田鶴兄妹と共に育った若党の新蔵の三人が、川辺(小川の辺)で遊ぶシーン、そして、クライマックスとなる決闘のシーンから連想される・・・・森衛と田鶴は、小川の辺に佇む一軒家で隠れるように暮らしていた。
その河原で行われた朔之助と森衛の決闘、そして、闘いの末に森衛は朔之助に討ち取られる。
これを知った妹・田鶴は、夫の刀を手に取り・・・・。
最後のシーンは、ちょっといいシーンなので、ここには書き述べられない。

「鯉口を切った・・」
凛とした武士らしい武士、戌井朔之助を演じた東山紀之さん、前作に続いてとても良かったと思う。芝居もうまいね
相手役の佐久間森衛の片岡愛之助さんは、今さら書き述べる必要はない・・・存在感があって。
妹・田鶴を演じた菊池凛子さんは、もっと別の女優さんの方がよかったと思う。父から剣術を習っているのでしっかりした妹であるが・・・・少し、憂いを秘めたそれを表現できる女優さんの方がよりベターではなかったかと思った。
ちょっと、ゴツゴツしていたものだから。
ところで、父の忠左衛門を演じた藤竜也さんは、物静かである古老の武士の役を毅然と演じておりいいな・・・さすが。
今、政治が混とんとしている時代、是非とも多くの人に観てもらいたい映画である。
これこそが日本人の姿である。
(咲・夫)
[追 記]~あらすじ~
藩から上意討ちの命を受けた戌井朔之助。狙う相手・佐久間森衛の妻が妹・田鶴だったことから、朔之助は肉親の情愛と藩命の間で苦悩する。田鶴自身が剣術遣いでもあり、もし刃向かえば彼は妹を斬らなくてはいけない…。
その朔之助が佐久間を探す道中に付き従うのは、戌井家に仕える若党の新蔵。彼は朔之助や田鶴とは兄弟同然に育った仲で、田鶴には主従関係以上の思いを抱いていた。妹を思う朔之助と、愛する人を死なせたくない新蔵。
二人の男の心情は、田鶴との再会によって臨界点を迎える――。
(出典:2011「小川の辺」製作委員会)
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藩命は、妹・田鶴の夫である
親友を討つことであった。
藤沢周平文学の頂点ともいえる原作の映画化、TV各局でも主演の東山紀之さんが前作「山桜」以来の藤沢作品に篠原哲雄監督とタッグを組み、素晴らしい映画に仕上がっているとのPRが行われていた・・・カツラがきつくて痛かったとも。(笑)
山形県で多くのロケが行われ、その美しい日本の原風景がTVでも映し出され、これは是非観たいと思っていた矢先、WOWOWで前作の「山桜」、そして昨年封切られた「花のあと」などの藤沢ワールド満載の映画が放映されていた。

既にブログにも掲載しているが、独特の風情ある数々の庄内地方などの美しいカット、そこに織りなす武家社会の難しさと藩内における様々な出来事・・・・。
今回の作品は、何と言っても美しい風景のカットとテーマソングがぴったりと合って、それだけでも観る価値のある作品に仕上がっている。

何にも増して、上映時間103分があっという間に終わってしまうほど、この作品にくぎ付けになってしまった。
この話も庄内地方・海坂藩における物語、主人公・戌井朔之助の親友であって、妹・田鶴の夫・佐久間森衛が、御上(殿)の御前で藩政を痛烈に批判し遂には妻と共に脱藩した。
郡代である森衛の申し立ても一理あると朔之助も思ったが、その方法が短絡的で御上(殿)の逆鱗に触れたものである。

「郡代ごときが、余に物申すとは・・・」
その後、この申立てに基づいて藩政も一部改革されたが、御上(殿)への非礼と脱藩の罪により上意討ちすべきとの藩命が下された。
追っ手を差し向けた結果、それらが首尾よく討ち果たすことができなくて、藩内で一、二を争う剣の使い手である朔之助に森衛を討ち取る旨の藩命が下された。
邸宅に帰り、森衛を討ち取るべく旅に出ることを父に報告する。妻である妹・田鶴が手向かいするであろうと父に言うと・・。
父は、・・・
「田鶴は・・・手向かって来るであろうな。なれど、手向かったら討ち取れ・・・・」と、息子・朔之助に申し伝える。

朔之助は、藩命は森衛一人(いちにん)を討ち取ること、妻・田鶴についてはお構いなしとのことである旨、申し上げて翌朝旅に出た。
なお、戌井家に仕える若党の新蔵が、森衛を探す道中に付き従いたいと、朔之助に申し立て同行することを許され、森衛を討ち取るため下総の国までの100里以上にわたる旅に出た。

映画の大半はこの海坂藩から江戸の先、下総の国までの道中の場面であり、その間の自然などが山形県の各地でロケされたとのこと。
美しい自然が、素晴らしい音楽と共にスクリーン一杯に迫ってくる。

また、タイトルである「小川の辺(おがわのほとり)」とは、道中の回想で幼少時代の朔之助、田鶴兄妹と共に育った若党の新蔵の三人が、川辺(小川の辺)で遊ぶシーン、そして、クライマックスとなる決闘のシーンから連想される・・・・森衛と田鶴は、小川の辺に佇む一軒家で隠れるように暮らしていた。
その河原で行われた朔之助と森衛の決闘、そして、闘いの末に森衛は朔之助に討ち取られる。
これを知った妹・田鶴は、夫の刀を手に取り・・・・。
最後のシーンは、ちょっといいシーンなので、ここには書き述べられない。


「鯉口を切った・・」
凛とした武士らしい武士、戌井朔之助を演じた東山紀之さん、前作に続いてとても良かったと思う。芝居もうまいね

相手役の佐久間森衛の片岡愛之助さんは、今さら書き述べる必要はない・・・存在感があって。
妹・田鶴を演じた菊池凛子さんは、もっと別の女優さんの方がよかったと思う。父から剣術を習っているのでしっかりした妹であるが・・・・少し、憂いを秘めたそれを表現できる女優さんの方がよりベターではなかったかと思った。
ちょっと、ゴツゴツしていたものだから。
ところで、父の忠左衛門を演じた藤竜也さんは、物静かである古老の武士の役を毅然と演じておりいいな・・・さすが。

今、政治が混とんとしている時代、是非とも多くの人に観てもらいたい映画である。

これこそが日本人の姿である。

[追 記]~あらすじ~
藩から上意討ちの命を受けた戌井朔之助。狙う相手・佐久間森衛の妻が妹・田鶴だったことから、朔之助は肉親の情愛と藩命の間で苦悩する。田鶴自身が剣術遣いでもあり、もし刃向かえば彼は妹を斬らなくてはいけない…。
その朔之助が佐久間を探す道中に付き従うのは、戌井家に仕える若党の新蔵。彼は朔之助や田鶴とは兄弟同然に育った仲で、田鶴には主従関係以上の思いを抱いていた。妹を思う朔之助と、愛する人を死なせたくない新蔵。
二人の男の心情は、田鶴との再会によって臨界点を迎える――。
(出典:2011「小川の辺」製作委員会)
