BAMBOO-JET  ~うみの部屋~

タケノコジェットでどこへでも!
読んだ本や見た映画、食べた料理、旅先、育児や日常のことなど、趣味をつらつら語ります

京都旅行2011(3)

2011-04-13 22:56:40 | 旅行
GWの沖縄旅行がダメになりそうです。
彼氏の会社が、震災後の影響でGWも休日返上で稼働する可能性が高く(他の工場が津波でやられたために受注が集中してパンク状態です)、従業員はいつでも出勤できるように自宅待機命令が全部署に出されたとのこと。
計画してた沖縄旅行のことで部署の課長に相談したら、課長やほかの部署の管理職にも嫌味や小言をたっぷり言われ、ものすごく凹んで先ほど電話をかけてきました。
キャンセルせざるを得ない状況(だけどすぐにキャンセルするのも課長が俺が言ったせいか!!と怒るのですぐにはできないらしい、、、この辺の頃合いがまた彼氏を悩ますそうです)で、とりあえず明日また課長に相談するそうです。
サラリーマンだからこういう時は会社の命令に従うしかない・・・沖縄旅行は楽しみにしてたのですごく残念ですが、沖縄はまた行けると思うし、こういうご時世なのでみんなで協力して乗り越えようというのは理解できます。
被災地で避難生活をしてる人に比べたら、たいしたことではないですし。
だから会社側の命令であれば、すぐにキャンセルします。
それより会社での彼氏の立場がすごく悪い状況になるほうが困る(もし連休みんなが出勤したとして、一人だけ連休とったら、帰ってきたときに相当会社に居づらい状況でしょう)。
さらに、今の少し責任のあるポストから外すとまで言われたらしいです。
そこまで(脅して)言わんでもいいでしょう・・・と反論したくなりますが、私に言えた立場じゃないですね。


さて、京都旅行の続きです(今思うと京都に行っておいてよかった♪)。
丸山公園を抜け、また八坂神社に戻ってきました。
途中「美御前社(うつくしごぜんしゃ)」にお参り。
ここは美の神様を祭ってあります。
ここでいう美とは容姿もさることながら、立ち居振る舞いなどの美徳とは清く美しき心からくると説いてあります。
その美徳成就の神社であります。
境内では美容水という水も湧き出ており、早速顔に塗ってみました(最近、ニキビがまたひどいのよ)。

そのあと、八坂神社前から祇園界隈をぶらぶら、、、お買い物したりしました。
途中花街の入り口にさしあたり、少し歩いてみようかということでお散歩。
この辺りはほんとに雰囲気がありますね。
都おどりの雪洞も華やかで、タイムスリップしたかのような感じ。
途中にのぞいたお店から出てきたときに、目の前に舞妓さんが通り過ぎました。
あまりにさっそうと速く歩いていたので、びっくりしてしまった。
そして何より美しかった。
初めて見る舞妓さん、ぼーっと写真すら取り忘れてスタスタ歩く(しかも歩く姿も速いのに美しい)後姿を見てたら、妹が「ほんものの舞妓さんだね、あれ帯に置き屋のマークが入ってるでしょ。偽物だとあれがないからね」。
ここでいう偽物とは観光客がレンタルで成りすまして歩いていることを言う。
たしかにあの格好でああ美しく速くは歩けないでしょうと納得した。
それにしても映画でみるのよりも本物は何倍もきれいでした。

祇園をぶらぶら歩いたら少し疲れたので、ホテルに帰る前に伊右衛門サロンでお茶をした。
三井ガーデンホテルの三条店のすぐ隣にあるカフェ。
あのサントリー伊右衛門のサロンです。
一度来てみたかったのでラッキー。
ここでほうじ茶ミルクいただきました。
隣にあるのは生姜の黒蜜漬けで、一緒に入れて飲むと体が温まる。
けっこう遅い時間だったのですが、平日だったので地元人や学生、サラリーマンっぽい人が多かったなぁ。
茶菓子を食べたかったけど、上生菓子はすでに売り切れだった。残念。


次の日(2日目)は朝から妹が行きたがっていたイノダコーヒー本店へ行った。
朝から(8時ぐらい)店はすでにお客で並んでいた。
私は知らなかったのだが、かなり有名なコーヒーの店らしい。
お店は広くて、私たちは別棟のテラスがある部屋へ通された。
妹と母はカツサンド、私はクラブハウスサンドを註文した。
そのほかにコーヒーとサラダ(母)、スープなども一緒に食べた。
クラブハウスサンドは一人じゃ食べきれないくらいすごい量で、結局半分お持ち帰りにした。
よくよくメニューを読んでみると、二人で食べるのにちょうどいいって書いてあったなぁ。
コーヒーはたしかにおいしかったが、個人的にポタージュっぽいここのスープがすごくおいしかった。
少し寒い朝にはお勧めのメニューです。
テラスはすごく気持ちがよく、素敵な雰囲気の場所でしたねぇ。
また東京や京都でもここのコーヒー店へ行ってみたい。
さて、このあと2日目の観光がスタートです。



スクールバック完成

2011-04-12 22:15:59 | のほほん日記
先日予告していたスクールバックボランティアのバックがなんとかできました。
京都旅行や祖母の家に行ってた関係で家を空けてた時期もあって、しかも手縫いなんでだいぶ時間がかかった。
だいたい一つ縫うのに、2.3日くらいかかりましたね。
昨日とりあえず郵便局より手芸普及協会へ発送した。
15日の締め切りにぎりぎり間に合った感じ(ほー)。
キャラ物の柄がいいと言うので、手芸屋で生地を買うときいろいろ迷いました。
男ものならドラゴンボールや機関車トーマスとかあるし、
女ものならキティちゃんやマイメロディとか。
でもあえて男女どちらでもいいように、子供に人気のあるポケモンにした。
持ち手も同じ理由で色をオレンジにした。
男の子でも女の子でもいいから、ぜひこれを使ってほしいなぁと思って。
居間で縫っていたら、親には私が使うカバンだと思われたりしましたねぇ。
同封したメッセージカードは、手書きでアンパンマンを描いた。
単純に「書きやすいからなんだけど、アンパンマンの歌にも励まされたなぁ。
無事子供たちに届きますように。

京都旅行2011(2)

2011-04-11 22:59:09 | 旅行

広隆寺を後にし、嵐山電鉄で一駅お隣の駅にある「蚕ノ社」へ。
すごくマイナーな神社だが、妹曰くここに三本足の珍しい鳥居があるとのこと。
ほんとにそんなのあるの?って思いながら、駅から歩いて5分ほどで蚕ノ社こと木嶋神社が出てきた。
この境内の奥にひっそりと池があって、その中央に妹が言うとおりの三本足の鳥居があった。
何とも不思議な雰囲気の場所である。
この三角形のの鳥居、二つ合わせるとダビデの星になるので、ユダヤ人が昔この地に来てたてたものだとか色々なうわさがあるらしい。
いかにもオカルト好きな人たちの好きそうな建物だわ。
ちなみのこの寺に由来のある秦氏は渡来人で、機織りや蚕を日本にもたらしたらしい。
京都には面白い神社があるなぁと私も母も感心した。



そのあと夕ご飯を食べに、妹が予約してくれた食事処「室町遊酒庵野あそび」へ。
町屋風の建物がまた素敵な場所でした。
お店は大将ととおかみさんと二人でやってる小さなお店(1Fがカウンターと小テーブル席で2Fもあり)でしたが、ほぼ満席で大忙しでした。
そのせいか、料理が出てくるのが少し遅かったけど味はすばらしかった。
アラカルトでいろいろ注文し食べましたが、どれもこれもおいしかった。
特に写真にはないけれど「のどぐろ(魚)の焼き物」は油がのってめっちゃおいしかったし、〆で食べた炊き立てのしょうがご飯に赤だし味噌汁もすごくうまかった!!


ご飯を食べた後、まだ時間があったので夜桜見物へ行きました。
八坂神社へタクシーで向かいました。
ちょうど園内はライトアップされ園内は明るかった。
実は初めて八坂神社に来ました。
参道は出店がいっぱいあって、境内は提灯が灯されたりとなんかいい雰囲気ですね。
そのまま円山公園へ。

雪洞に照らされて、ソメイヨシノが見事にほぼ満開でした。
みんなお花見宴会をあちこちでしてました。
しかし同じブルーシートの宴会でもなんか上野と違って上品な雰囲気と言うか、
そんなにあっちこっち見境があるわけでもなく、さすが京都らしいなぁと思った。
そして有名なのが「祇園の夜桜」とも言われる大きなしだれ桜。
一本だけ大きな桜が人目を引いてライトアップされていて、その荘厳さや健気さは見る者を圧倒させる雰囲気があってすばらしかった。
こちらは2代目らしいですが、まだまだ頑張ってほしい桜です。
妹もこの桜を私たちに見てほしかったと言ってました。
ほんとにすばらしい桜でした。
見せに連れて行ってくれて妹にホントに感謝です。



京都旅行2011(1)

2011-04-10 20:24:22 | 旅行
母と妹と女3人で春のお花見京都旅行へ行ってきました。
この旅行は数か月前から母と妹が計画をしていて、私も仕事を辞めるのが分かってたので今回便乗させてもらいました。
ちょうど妹が仕事を去年の秋で辞めたあとだったからフリーだし、私もフリーでそんな機会はめったにないのでチャンスでした。
なんで平日の出発で4/7-4/9まで二泊三日で遊んできました。
私と母は飛行機にて大阪空港へ、そのあとリムジンバスで京都駅に行き、地下鉄で四条駅に着いて妹に迎えに来てもらいました。
先に新幹線で京都入りしてた妹に連れられて、この旅の宿の三井ガーデンホテル京都へ。
うちらのお部屋はトリプルルームです。

私は真ん中のエキスラベットでした。
チェックインを済ませ荷物を置いてから早速観光へGO!
今回の旅行日程はほとんど妹がたてました。
私と母はあらかじめ行きたい場所をいくつか妹に伝えて、それ妹の行きたい場所と組み合わせてくれました。
妹は京都が好きで何度も来てるので、けっこう京通なんですごく詳しくて助かりました。
まずは私の希望してた「広隆寺」へ。
こちらへは四条大宮の駅へ歩いていき、そこから嵐山電鉄(嵐電)に乗り込みました。

行く途中、おいしそうな焼き餅屋があったので食べ歩き~。
味噌焼きでしたが、うまかった・・・。
初めて乗る京都の路面電車。
雰囲気がすごく江ノ電に似てる。
広隆寺駅までは15分ぐらいのんびり進みます。

広隆寺は駅の真ん前にどどーんとそびえてました。
やっぱり迫力がありますねぇ。
ここには国宝第一号に指定された弥勒菩薩があり、私はぜひこれが見たくてリクエストしました。
園内は桜がちょうどよく開花しておりほぼ満開。
気温もこの日は20度はありましたね。
ポカポカ春の陽気に歩くのが気持ちがいい。
平日なんで人出も少なくのんびり観光できました。
仏像を安置している場所は広くて、弥勒菩薩のほかにも平安時代などの木造の巨大な千手観音など見ごたえがありました。

こちらは広隆寺の園内で咲き誇る花たち。
園内は桜の他にも花が咲いていて、沈丁花の匂いがすごくいい香りだったし、椿もすごくきれいでかわいらしかった。

大鰐温泉 霊泉 大湯

2011-04-09 22:47:20 | 温泉めぐり
先日岩手の祖母のとこへ行った帰りに寄り道した大鰐温泉の「霊泉大湯」。
前にこの近くの温泉へ来た時に見かけて、いつか行ってみたいと思ったとこです。
大鰐温泉は昔ながらの風情が残るいい雰囲気の温泉街ですが、その中にもいくつかの共同湯があるのですよね。
ここもその中の一つで地元民に人気の共同温泉です。
値段が安くてびっくり!!
150円でした。
浴場は女湯の入口を入ると低く地下を降りるみたいな感じになっていて、雰囲気もとってもレトロです。
大きな丸い湯船が中央にあってその周りに洗い場がいくつかある。
お湯はすごーく熱かったけど、湯量が豊富でさっぱりした感じ。
地元の人が熱いから水を入れなさいとホースでぬるくなった場所を教えてくれたりと、すごくやさしい。
ほっこりするいい温泉でした。
大鰐温泉も奥が深いですね。
泊まって湯めぐりしてみたい。

〇大鰐温泉 霊泉大湯 青森県南津軽郡大鰐町大字蔵館字村岡53

パラレルワールド・ラブストーリー

2011-04-07 08:37:43 | 読書感想文
また東野圭吾作品を読みました。
恋愛ものが読みたいなぁと思い、タイトルから選んだ。
読んでみたら中身が脳の話も出てきて、うわっバリバリ理系じゃんって思った。
主人公に二つの現実(パラレルストーリー)が展開していって、
一つは親友の恋人を好きになって悩む自分の話、
もう一つはその親友の恋人が自分の恋人になってる話。
恋愛と友情の間で悩む男性の苦悩が書かれています。
なんだかその過程がすごく切ない。
友達の恋人を好きになってしまったら、友情を大事にしたいとは思いながらも、また抑えられない彼女へ思いに、友人への嫉妬や優越感や自尊心など、人間の感情がドロドロあふれています。
パラレルワールドも段々とつながってきて、一気に最後まで読めました。
しかし最後の展開はちょっとあっさりしてるかなぁと思った。
まぁSFだから何でもアリだよなと納得しつつ。
結局彼は恋を友情より選んだのだけど、親友は恋よりも友情を大切にしたんだなと、
その親友の深い愛と言うか大きな心がすごいと思った。
私だったらどうするんだろう。。。正直に親友に話してその二人の前から消えてしまうかも。
でも自分の好きになった気持ちを抑えられなくなるその気持ちもわからなくはない。
しかし主人公はなんかずるいよなーと思ったり、二人に愛されるまゆ子もなんかあんまり好きでないと思ったり。
女子はどう思うんでしょうね。

〇パラレルワールドラブストーリー 東野圭吾 講談社

だるまや

2011-04-06 11:11:43 | ぐるめハント青森
「だるまや」は弘前市にある味噌ラーメンのお店です。
いつも駐車場が混んでるのですごく人気があると思います。
駐車場はそんなに広くないので、混み時は止めるのに苦労しそう。
震災後に行ったらもやしが入荷してないので、味噌ラーメンはすべて50円引きでした。
津軽では味噌ラーメン屋というのは珍らしいかも。
でもたまーに食べたくなっちゃいますよね。
弘前の病院へ検診に行ったついでに寄りました。
ゴマたっぷりな味噌ラーメンが特徴。
甘い系の味噌ラーメンでコーンとわかめがたっぷり。
もやしがないというので、あえて「ねぎ味噌ラーメン」を頼んでねぎをたくさん入れてもらったら、なんか最後には逆にネギが強くて苦くなっちゃった・・・。
味噌バターラーメンもあるのでそっちのほうがらしくていいかも!

〇だるまや 弘前市大字福田字種元33-13

大船渡とより

2011-04-05 21:58:52 | のほほん日記
先ほど戻りました。
1泊2日で祖母のいる大船渡市へ行ってきました。
着いてすぐに被災地へ行ってきた。
大船渡市の中心部である盛町から大船渡駅あたりまでがごっそりやられてました。
その破壊力や釜石以上でした。
大船渡駅のほうにあるスーパーマイヤなど子供の時よく連れて行ってもらったのですが、あのあたりの何キロも続く商店街や住宅地は軒並み壊されてます。
がれきや木材の山に横倒しや中にはひっくり返って上下さかさまになっている家など。
想像以上のダメージでしたが、さらに進んで陸前高田市へ行くともう何にもありません。
街が丸ごとひとつ消えている。
そうとしか言えない。
もう何の残骸かわからないほどに細かくバラバラにされた木くずや鉄くずがちりばめられていて、たまにぽつんと折れ曲がった鉄塔やお店の看板などがあった。
4、5階建てだったろうマンションの鉄骨のみが残る。
壊滅的ってこういうことなんだとわかりました。

そのあと祖母の家へ向かいました。
1年ぶりのおばあちゃんとの再会。
まさかこんな状況になるなんてね。
おばあちゃんはとても元気そうでした。
家は電気も復旧し、もともと水道は外に井戸があるので支障ないし、トイレも汲み取り式だし、ガスもプロパンなので困ったのは電気ぐらいだそうです。
電話も3週間たってやっとアナログ回線が復旧。
ガソリンスタンドもやっとならばなくなったそうだ。
夜はお母さんの一番目の伯父夫婦と二番目の伯父夫婦もやってきて、おばあちゃん、私と久々大家族でご飯を囲んだ。
ありがたい。
家族がみんな一つ屋根の下で顔を合わせてられる幸せ。
特に二番目の伯父さんが仕事の配達中に津波に遭遇した話は興味深かった。
地震が来てラジオや役場の災害放送で津波警報が来てることは知ったらしいが、トラックに乗ってると音が聞こえにくいせいもあって、目の前にすごい速さで津波が来るまで気が付かなかったそうだ。
ものすごい速さで水が迫ってきたのが視界に入り、まずいと思ってトラックでそのまんま逃げ切ったそうだ。
そのあとはトラックの中で一晩夜を明かして無事家に帰れたらしい。
なんといっても津波のひどかった場所が大船渡市の中心部に当たる場所で伯父のような人はたくさんいただろうと思う。
実は一番目の伯父も地震の時は市街地にいたのだが、祖母のことが心配で地震の揺れが収まったらすぐに家に引き返したので津波は免れた。
それでも今日も二人の伯父さんたちは働きに出てました。
一番目の伯父さんは会社がPCを扱ってる会社で、津波でやられた商工会議所から海水でダメになったPCの復旧を頼まれてるらしいが、塩水なので塩が粒となって障害をおこし難航しているらしい。
ばあちゃんはテレビを見るしかなくて、ニュースをたくさん見てるので何でも知っていた。
正直ACのコマーシャルばかりでいやになってるみたいでした。
わかるけどね。
被災地の人でもそれなんだもん。
ばあちゃんのにも政府からお米が配られたらしく、家ではそれを食べてましたが、伯母さんもばあちゃんもみんあ「この米はまずいなぁ。政府の備蓄米なんだろうけど・・・」と言ってた。
「ああ、刺身が食いたいなー」(当分無理でしょうけど)と言ってました。
それでも生きてご飯が食べれるだけでありがたいし、目を背けたくなるような景色の中でもみんなとにかく家財道具を洗ったり、普通に仕事したりしていました。
私も自分が見たり聞いたりしたことはたとえ海どころに住んでいなくても、これから先の人生でずっと忘れずに行こうと思いました。
ばあちゃんは津波を何度か経験してるみたいです。
それでも今回の津波はこれまで経験したことのないくらい途方もなく大きいものだったみたいです。
よく津波は20mぐらいかなんて言ってますが、実際は50mとかそれくらいだって言ってます。
そんぐらいすごい津波だったんですね。
夜も何度も余震が来て、青森とは頻度が全然違うと思った。
それに地震が来る前に「ゴォォォ・・・」って風のような音がするの。
そのあとまずガラスがザワザワしてやっとお尻の下が揺れだす感じ。
おばあちゃんの家について2,3時間の間に何度か地震が来て驚いた。
さすがにもう慣れっこよ、地震じゃ家はつぶれないってばあちゃんは言ってましたけど。
たしかに大船渡市も地震じゃなくて津波でやられた家ばかりでしたね。
そんなわけでとりあえず祖母や伯父の顔が見れてほっとしました。
明日からまたスクールバックを縫います。

スクールバックボランティア

2011-04-04 08:30:26 | のほほん日記
↓土曜日にこのようなボランティアがあるのを発見しました。

『スクールバックボランティア』http://www.jhia.org/info/

「この度の大震災の被災地で、福島県在住の子育て支援ボランティア団体の
当会会員(日本手芸普及協会)さんよりSOSが入りました。
被災地では津波の被害で、通園・通学用のカバンがなく、
子供たちが大変困っているとの事です。
皆様からの心のこもった手づくりのバッグで、子供たちが笑顔になって欲しい。
会員・手芸愛好家の皆さん、ご協力お願いいたします。」

HPにはバックの作り方などが丁寧に書かれており、これなら私でも参加できそうです。
作り方も書いてるし、ただミシンをもってないのでオール手縫いなので少々かっこ悪くなるかも。
幸い引っ越しまでまだちょっと時間があるし、空いた時間で(無職ですし)できるだけ製作してみようと思ってます。
早速材料を昨日買ってきて今縫い始めています。
出来たらUPします。
このブログを見て少しでもできそうな人がいたら協力してくれたらいいなぁと思います(なんせ目標は千枚らしいし)。

ニューヨークでの千羽鶴のプロジェクト

2011-04-03 22:09:21 | のほほん日記
NYにいる友人の日記を転送しています。
できるだけたくさんの日本の方に読んでもらいたいという彼女のメッセージです。
海外でも日本のことを思ってくれてる人に感謝しますね。
私も明日からおばあちゃんのいる岩手県大船渡市へいくので、たくさんの人にこの事実を伝えたいです。

(以下コピーです)

今回の東関東大震災後、ここNY(ニューヨーク)では多くの人々が日本の為に様々な支援活動を行っています。NY在住日本人はもちろん、日本とは全く関係のない企業も含め多くの企業が社内募金をしたり、飲食店などでも売り上げの一部を日本への義援金に充てたり、各種学校でも校内で募金活動をしたり、それはそれは多くの人々が日本の事を心配しサポートしようという気持ちでいてくれています。そういう話を聞いて人々の温かい思いを感じる度に心から有り難い気持ちでいっぱいになります。

これまで日本人が中心となって行われたチャリティーイベントはたくさんありますが、その中のひとつにNY在住のママさん達が集結して行われた募金活動がありました。私はそのイベントを前日夜に友人から聞いて知りました。
地震が起きてからの6日間、ネットのライブニュースで凄まじい現状を見たり聞いたりしては深い悲しみにくれ涙が溢れる日々でした。募金をした後はただただ日本の皆様の無事を祈り続けていました。
そんな時でしたので、友人がそのチャリティーイベントに行くと聞き、すぐに私も参加することに決めました。とにかく「何かしなくては!」という気持ちで一杯でした。

そして当日3/17(木)、夕方まで予定が入っていた為、現地のユニオンスクエアという公園に着いたのは6時を回ってからでした。そのママさん達のイベントは3時から6時まででしたので間に合わないかなと思いましたが、まだやっているかもしれないので少しでも参加したいという思いで向かいました。しかし残念ながら到着した時にはもうそのイベントは終了していました。しかし幸いいくつか他のイベントがまだ行われていて、被災者の皆さんへのメッセージを募っていたり、ダンスやミュージックのパフォーマンスをして義援金を集めていたり。。、私はその中のひとつ「折り鶴を作っている集団」に加わりました。初めは誰か日本の方が主催して行われているのかと思いましたが、よくよく聞いてみると、中国系アメリカ人のカレンさんという女性がただただ日本の為に何かしたいという思いで始めたイベントでした。彼女はWikipedia(ネット上の百科事典)で千羽鶴の事を調べ、日本がこの大惨事から(日の丸の太陽が昇る様に)立ち上がれる事を願って日の丸と同じ色の赤い紙を1000枚購入し、折り方がわからない人の為に鶴の折り方を印刷し、大きなビニールのピクニックシートを持ってユニオンスクエアにやってきました。募金活動ではありませんが、被災者の皆様、日本の皆様に希望を抱いて頂ける様、NYでも多くの人々が日本の皆さんの無事を祈り、皆さんの事を心配し応援しているという思いを伝えたかったそうです。私はこのイベントの主催者が日本の組織でも、日本人でもなく、たった一人の中国系アメリカ人女性だったと知り、カレンさんの思いにとても感嘆しました。

それからの4時間程は日本の皆様の無事を祈りながらひたすら鶴を折り続けました。
その間に様々な人種の方達が参加して下さいました。一つ織って行かれる方、いくつか織って行かれる方、しばらく織り続けて行かれる方。そして通りすがった人々からも励ましの声を掛けて頂きました。「今回の惨事には本当に心を痛めています。」「日本の皆様の事を思っているよ、がんばって。」等々。人々の温かい言葉に胸が熱くなりました。
第一日目は夜10時半に失礼しました。ちなみにカレンさんの第一日目は夕方4時から深夜12時までの8時間でした。

3/18(金)第二日目、カレンさんは午後12時半から活動開始。私はその日夜まで予定が入っていた為、夜8時から再び参加しました。一日目に約600羽の折り鶴が作られたそうですが、二日目夜の8時になってもまだ作業は終っていませんでした。この日も様々な方達が参加して鶴を折ってくれていました。鶴を折る人の脇で、ひたすら針で鶴に糸を通している男性がいましたが、特に話す機会もなく私はもくもくと鶴を折り続けていました。10時頃には日本人は私だけでしたので、海外である日本で起きた災害の為にこんなに遅くまで作業を続けてくれている人達に対して感謝の気持ちで一杯になりました。その中にはハイチの大震災を経験し、お父様をなくされた男性もいました。彼は自分も被災者なので、日本の被災者の方の気持ちはよくわかりますとおっしゃり、他人事とは思えない様子で最後まで千羽鶴作りに参加して下さいました。深夜12時を過ぎてから、いよいよあと50羽で完成というところまでたどり着きました。その頃になって、先程お話しました” ひたすら針で鶴に糸を通している男性”が他の方と話している会話が耳に入り、私は愕然としてしまいました。その会話によると、その彼はイスラエルからNY に来ていた旅行者だったのです。絶句しながらも彼に話しかけよくよく聞いてみると、水曜日にボストンからNYに移動し、土曜日にはイスラエルに帰国する予定とのこと。NY滞在3日間のうちの2日間をこの日本の為の千羽鶴プロジェクトに参加して下さっていたのです。
私はてっきりNY在住の方だとばかり思っていたので、その話を聞いて驚きと感謝の気持ちで一杯になりました。そのイスラエルの男性は20代くらいの若者でオハドさんという名前でした。私がオハドさんにお礼を言うと、「このイベントに参加出来て良かった。被災者の方々の為に手助けするのは当たり前のことだし、とても意味のある事だと思う。」と話してくれました。私が正直に、「でも私がもし旅行者で海外に3日間だけ滞在した時にオハドさんのように行動出来るか自信ないです。」と言うと、オハドさんは優しく微笑みながら「You can do it.」(出来ますよ)と言ってくれました。今回私はカレンさん、オハドさんから、国境、人種を超えた大きな愛を感じ、感動しました。遠く離れた日本で起きた災害に対して、まるで自分の事の様に惜しみなく手を差し伸べてくれる人達。

そして、その他多くの方々からもたくさんの温かい励ましのお言葉を頂き、本当にたくさんの方々が日本の事を思ってくれている事を感じました。

千羽鶴は深夜1時半にようやく完成しました。最後まで手伝ってくれていた方達に「日本の為にどうもありがとうございました。」とお礼を言うと、皆さん温かい眼差しで微笑んで下さいました。

その翌日に主催者のカレンさんは千羽鶴を日本のある組織に持って行き、そこで飾って日本の皆さんにNYの方々の思いを伝えて頂こうと思っていましたが、たくさんの方が日本支援活動を行いその組織に問い合わせが殺到して対応しきれない状態だった為、その千羽鶴に対しても残念ながら結局そちらでは対応して頂けませんでした。
そこでカレンさんはオハドさんの知り合いの方が所属しているボランティアグループが日本の為に募金活動をしているという情報をオハドさんから頂きました。それは、折り鶴一つにつき2ドルをその団体が日本の為に募金をするというチャリティーイベントで、全国から合計10万個の折り鶴が集まるまで行われ、合計20万ドルが日本への義援金に充てられるという内容でした。
カレンさんは早速千羽鶴をシアトルにあるそのボランティアグループに発送し、その千羽鶴は最終的に2千ドルの募金に変身しました。当初の意図と違うとは言え、結果的には参加して頂いた多くの方の気持ちが無駄にならずに義援金という形で被災者の方々への思いを伝える事になりました。

このように、アメリカ国内で、そして世界中で、様々な形で日本を支援する活動が行われています。折り鶴一つにつき2ドル募金をするそのボランティアグループにも国内の色々なところから日々たくさんの折り鶴が届いている様です。それだけ多くの方々が日本の被災者の皆様の無事を祈ってひとつひとつ鶴を折ってくれています。
それは私が何度か募金活動に参加した際にも色々な方に温かい励ましのお言葉を頂き実感したことです。

被災者の皆様は言葉では言い表せない程の深い苦しみや悲しみ、困難を抱えていらっしゃる事と思います。そして生きる気力を失いそうになったり、将来に希望が持てない方もいらっしゃるかと思います。
そういう方々に、”世界中の人々が被災者の皆様の事を思っている事。無事を祈り、希望を捨てずにがんばってほしいと応援している事”を少しでも感じて頂ければ幸いです。そして、それが現状の困難を乗り越える気力と今後の生活に対する希望を抱く励みになればと心から願っています。

そして、海外の多くの方に支えられながら海外に住む私達日本人も出来る限りの事をしようと努力しています。仕事や学校が終った後、又は休日返上をして様々な形で日本の為、被災者の皆様の為の支援活動を行っています。
被災者の皆様にはどうかお体を大切に、希望を持ち続けてこの大変な時を乗り越えられます様心からお祈り申し上げます。

2011.3.28 

PS: 今大変な思いをされている方にほんの少しでも心の支えになればと思いこのノートを書きました。被災地にお知り合いの方がいらっしゃる方、その他どなたにでも転送して頂いて結構です。もしくは口頭で話して頂けたら幸いです。多くの人々の支えを感じ少しでも気持ちが上向きになられます様お祈りしつつ。。