おなじみのリマ・シェラトンで目覚める。
もう高山病の心配をしなくていいかと思うと、気持ちも楽だ。
朝ご飯にバイキングで鳥粥と濃い目の味噌スープを3回もお変わりする。
はっきり言ってアメリカンスタイルの朝食にはもう飽きた。
朝ゆっくり過ごし、10時にリマを出発。
バスは450km先のナスカへ向けて走り出した。
このたび最後のハイライト・ナスカの地上絵を見るためである。
ナスカまでは海岸線に続く、世界で一番長いパン・アメリカンハイウェイを南下する。パンアメリカンハイウェイは、アラスカからチリのフエゴ島まで続く、長い長い幹線道路である。
リマを抜けたら車窓の風景がすぐに砂漠になった。
ペルーに来て、湿潤地帯(リマ)、高山地帯(クスコ)、亜熱帯地帯(マチュピチュ)を経験したが、今度は砂漠地帯である。まったく着るものが毎日毎日変わる、とんでもなく疲れる旅である。
これを母に言ったら、「あら、旅ってそもそも疲れるものよ。疲れるために人は旅に出るのねぇ。」と。
うん、たしかに、旅行ってすごくエネルギーがいるよね。
パンフやインターネットで旅行を選んで、自分でプランニングする人もいるし、予約して、手配して、旅行かばんに詰め込んで、空港まで移動して、長い長い距離を狭い飛行機に押し込められながら、やっと異国の地に行くのだ。
それでも今回の旅行はすごくゆったりしたツアーだと思う。
日によっては出発時間が遅かったり、フリーの時間もあって、かなり助かった。
バスはリマを出て2時間、カネーテという日本人移民ゆかりの地にある「エル・ピロート」というレストランで、昼ごはんを頂いた。
ここではサンコチャド・・・というペルー式ポトフを頂いた。牛肉にポテトにキャベツににんじん、とうもろこしなどをあっさりした塩味で煮込んでいて、うまい!旅で疲れた胃にも染み渡る。
次に焼きそばが出てきた。ソース味でパスタなんだけど、見た感じ日本の焼きそばと一緒。うまかった。しかしレストランですでに熱い。砂漠気候だからか、昨日までとはうってかわって、みんなキャミソールの人までいて薄着である。えらい違いだ。
それからイカを経て、ナスカまでひたすら走る。日本人移民の街ではみかん畑なども見られた。昔みかんを持ち込んだ移民は見つからないように船底にある冷蔵庫に苗木を隠しこんで持ち込み、それが今やペルーの市場で当たり前に見られるようになったあの「みかん」なんである。ペルーのは緑っぽいのですが、味はおなじです。
そして砂漠地帯。右手には太平洋。左にははるかにアンデスの雪山が見えてる。その間を砂砂砂の砂漠だ。砂漠には不法占拠と呼ばれる家家が見られた。雨風をしのげばいいだけなので、薄いわらのような粗末なもので囲っただけの簡単な家がたくさん砂地のあちらこちらに見えた。彼らは貧しさのあまり山を降りてきた人々だという。しかし緑ひとつもないこの砂の大地は、余計まずしく私には感じられたのだが。小屋の屋根にはペルーの国旗が見える。ペルーの法律で国旗を汚してはならないというのがあり、不法占拠だろうと旗を立てておけば、政府もうかつに手を出せないんだとか。面白い・・・。
また海沿いには巨大な鶏小屋(養鶏場)がいくつも見えた。ペルー国民は肉が大好きでとりわけ鶏肉をたくさん食べるとか。
鶏も食用と卵用の白と茶色の鶏小屋がたくさん見えた。
なぜこんな海の浜辺に作るのか。。。
不思議だ。
日本で浜辺に養鶏場などないだろうし。
そんな風に飽きることなく外を見ながらバスは走り、やがて日が傾きかけた夕方にナスカへ着いた。街に入る前に私たちはハイウェイ沿いに建てられた『ミラドール』と呼ばれる観測塔に立ち寄った。ミラドールはナスカの地上絵の研究に一生をささげたマリア・ライヘ博士が建てた地上観測塔である。
何もない広大な砂地のナスカにそびえたつミラドールは立派だ。
ツアー客の半分ずつで観測塔へ登ることにした。
この観測塔鉄骨なのだが、この日はすっごく風が強かったために登るのが怖い。高所恐怖症の人は登れないかもしれない。
上から眺める景色がすばらしい。夕暮れ時のナスカの大地。小さな石がごろごろ転がってる砂礫の砂漠地帯。ガイドさんが見える地上絵を説明してくれた。
ミラドールの後ろには「手」と「木」という2つの地上絵がある。
たしかにうっすらと線のようなものが見え、それが手に見えた。「木」はかなり広大なため枝の先端しか判断できない。
そしてナスカの地上絵が発見される前に建設されたパン・アメリカンハイウェイのために分断された「とかげ」の地上絵が見れた。分断された片側は道路の向こう側なのだが、何しろ地上絵は大きいのでわかりづらかった。
下に下りるとミラドールの入り口でほそぼそと小さなお店があった。ナスカの石に現地の人たちが地上絵のイラストを彫ったものを売っている。石は小さいものから(キーホルダーとかになる)大きいものまで(置物として楽しむ)いろんな種類があった。私はそこで手のひらにのるくらいの大きさの石を買った。ナスカの地上絵が彫られたナスカの石はあちこちのみやげもの屋で売られているのだが、ここのは特に絵がきれいだということで、なるほどすごくきれいに彫ってある。明日セスナから見る予定の「サル」「ハチドリ」「クモ」「宇宙人」なんかもあり、またちょっとわからない模様の地上絵も描かれていた。
泊りはナスカ・ラインズというライヘ博士ゆかりのホテルで、砂漠のオアシスのような素敵なホテルだった。回廊のようなロ字型のホテルで、中央にプールなんかがあったりする。
次の日は朝1で私たちがセスナに乗れることになった。いよいよ空からの地上絵観察である。わくわくである。
もう高山病の心配をしなくていいかと思うと、気持ちも楽だ。
朝ご飯にバイキングで鳥粥と濃い目の味噌スープを3回もお変わりする。
はっきり言ってアメリカンスタイルの朝食にはもう飽きた。
朝ゆっくり過ごし、10時にリマを出発。
バスは450km先のナスカへ向けて走り出した。
このたび最後のハイライト・ナスカの地上絵を見るためである。
ナスカまでは海岸線に続く、世界で一番長いパン・アメリカンハイウェイを南下する。パンアメリカンハイウェイは、アラスカからチリのフエゴ島まで続く、長い長い幹線道路である。
リマを抜けたら車窓の風景がすぐに砂漠になった。
ペルーに来て、湿潤地帯(リマ)、高山地帯(クスコ)、亜熱帯地帯(マチュピチュ)を経験したが、今度は砂漠地帯である。まったく着るものが毎日毎日変わる、とんでもなく疲れる旅である。
これを母に言ったら、「あら、旅ってそもそも疲れるものよ。疲れるために人は旅に出るのねぇ。」と。
うん、たしかに、旅行ってすごくエネルギーがいるよね。
パンフやインターネットで旅行を選んで、自分でプランニングする人もいるし、予約して、手配して、旅行かばんに詰め込んで、空港まで移動して、長い長い距離を狭い飛行機に押し込められながら、やっと異国の地に行くのだ。
それでも今回の旅行はすごくゆったりしたツアーだと思う。
日によっては出発時間が遅かったり、フリーの時間もあって、かなり助かった。
バスはリマを出て2時間、カネーテという日本人移民ゆかりの地にある「エル・ピロート」というレストランで、昼ごはんを頂いた。
ここではサンコチャド・・・というペルー式ポトフを頂いた。牛肉にポテトにキャベツににんじん、とうもろこしなどをあっさりした塩味で煮込んでいて、うまい!旅で疲れた胃にも染み渡る。
次に焼きそばが出てきた。ソース味でパスタなんだけど、見た感じ日本の焼きそばと一緒。うまかった。しかしレストランですでに熱い。砂漠気候だからか、昨日までとはうってかわって、みんなキャミソールの人までいて薄着である。えらい違いだ。
それからイカを経て、ナスカまでひたすら走る。日本人移民の街ではみかん畑なども見られた。昔みかんを持ち込んだ移民は見つからないように船底にある冷蔵庫に苗木を隠しこんで持ち込み、それが今やペルーの市場で当たり前に見られるようになったあの「みかん」なんである。ペルーのは緑っぽいのですが、味はおなじです。
そして砂漠地帯。右手には太平洋。左にははるかにアンデスの雪山が見えてる。その間を砂砂砂の砂漠だ。砂漠には不法占拠と呼ばれる家家が見られた。雨風をしのげばいいだけなので、薄いわらのような粗末なもので囲っただけの簡単な家がたくさん砂地のあちらこちらに見えた。彼らは貧しさのあまり山を降りてきた人々だという。しかし緑ひとつもないこの砂の大地は、余計まずしく私には感じられたのだが。小屋の屋根にはペルーの国旗が見える。ペルーの法律で国旗を汚してはならないというのがあり、不法占拠だろうと旗を立てておけば、政府もうかつに手を出せないんだとか。面白い・・・。
また海沿いには巨大な鶏小屋(養鶏場)がいくつも見えた。ペルー国民は肉が大好きでとりわけ鶏肉をたくさん食べるとか。
鶏も食用と卵用の白と茶色の鶏小屋がたくさん見えた。
なぜこんな海の浜辺に作るのか。。。
不思議だ。
日本で浜辺に養鶏場などないだろうし。
そんな風に飽きることなく外を見ながらバスは走り、やがて日が傾きかけた夕方にナスカへ着いた。街に入る前に私たちはハイウェイ沿いに建てられた『ミラドール』と呼ばれる観測塔に立ち寄った。ミラドールはナスカの地上絵の研究に一生をささげたマリア・ライヘ博士が建てた地上観測塔である。
何もない広大な砂地のナスカにそびえたつミラドールは立派だ。
ツアー客の半分ずつで観測塔へ登ることにした。
この観測塔鉄骨なのだが、この日はすっごく風が強かったために登るのが怖い。高所恐怖症の人は登れないかもしれない。
上から眺める景色がすばらしい。夕暮れ時のナスカの大地。小さな石がごろごろ転がってる砂礫の砂漠地帯。ガイドさんが見える地上絵を説明してくれた。
ミラドールの後ろには「手」と「木」という2つの地上絵がある。
たしかにうっすらと線のようなものが見え、それが手に見えた。「木」はかなり広大なため枝の先端しか判断できない。
そしてナスカの地上絵が発見される前に建設されたパン・アメリカンハイウェイのために分断された「とかげ」の地上絵が見れた。分断された片側は道路の向こう側なのだが、何しろ地上絵は大きいのでわかりづらかった。
下に下りるとミラドールの入り口でほそぼそと小さなお店があった。ナスカの石に現地の人たちが地上絵のイラストを彫ったものを売っている。石は小さいものから(キーホルダーとかになる)大きいものまで(置物として楽しむ)いろんな種類があった。私はそこで手のひらにのるくらいの大きさの石を買った。ナスカの地上絵が彫られたナスカの石はあちこちのみやげもの屋で売られているのだが、ここのは特に絵がきれいだということで、なるほどすごくきれいに彫ってある。明日セスナから見る予定の「サル」「ハチドリ」「クモ」「宇宙人」なんかもあり、またちょっとわからない模様の地上絵も描かれていた。
泊りはナスカ・ラインズというライヘ博士ゆかりのホテルで、砂漠のオアシスのような素敵なホテルだった。回廊のようなロ字型のホテルで、中央にプールなんかがあったりする。
次の日は朝1で私たちがセスナに乗れることになった。いよいよ空からの地上絵観察である。わくわくである。