BAMBOO-JET  ~うみの部屋~

タケノコジェットでどこへでも!
読んだ本や見た映画、食べた料理、旅先、育児や日常のことなど、趣味をつらつら語ります

ロシアからのメール

2007-05-31 22:38:00 | のほほん日記
さて、気がつけば5月も今日でお終いです。少し寂しいです。
半年も前から楽しみにしてたプサン旅行も終わり、明日から新しい月になります。
この日記も5月は見事に韓国のことばっかりで終わってしまいました。
すいません。
日常生活でちょっと仕事で色々ありましたが、そんなにたいした事は起きてません。
6月は梅雨の季節ですね。
じめじめしておろうが、祝日が一度もなかろうが、やはり自分の生まれた月と言うのは愛しいものです。
韓国ではジウン・ビョンス・ユンサンと幸運にも3人の友達に会えました。
ユンサンはほんとギリギリだったよ。私連絡先知らなかったから、4月に彼女が東京へ来るって別の友人に聞いたとき、その友人に私のメルアドを伝えてもらったのだよ。それで、ジウンの家で夜にPC見せてもらったときにメールを発見したの。ジウンの携帯借りてうまく連絡とれたからよかった。
そういや、プサンでの最終日ジウンの近所の商店街の美容院へ連れて行ってもらった。ほんとにいきなりフラって店に夜から何事かと思ったら、スカルプチャマッサージしない?って聞くの。たしかに日本の美容室でも聞いたことあるぞ、頭皮マッサージだったっけ?ジウンは「髪にすごくいいのよ、夕べさぁ、明日はあなたの最後の日だから何がいいかなぁと色々考えてたんだけど、初日にエステ行ったでしょ。それでね、見たところあなたの髪は硬そうだし、このケアが必要だと思ったの」って、勧めてくれた。いや、なんだかそこまで考えててくれたなんて、私は前の晩そっこう寝てしまったが、ちょっと感動してしまった。なんでだろうね、韓国人の子ってやっぱ素直で暖かいよね。異邦人だからか、旅行中だから、妙にジーンとこのとき感動してしまったのだ。
お店では、はじめ私が日本人とは思ってなく、また100%韓国人に見えるらしく、そもそも両者にそんな違いはないのだが、ジウンが美容師さんに私のことを話すと、みんな「この店に日本人来たの初めてよ」って、喜んでくれた。マッサージもすんごく丁寧で気持ちよかったし、仕上がりはなんだか髪が軽くなったようで、またまた感謝してしまった。
まぁ、できれば彼女にもいつかこっちに来てくれたら色々もてなしてあげたいけど、それはとうぶんなさそうだ。その時は先生の資格を取る学校へ行くかもと言ってた。
最近電話してないけど、どうしてるんだろう。。。

話は変わるが、NY時代に通った同じクラスのロシア人の女の子からなんと2年ぶりにメールが来た。ビックリである。
彼女(エレナちゃん)とは2005年の夏に会話のクラスで一時期同じクラスになり、私がクラスを変えた後もたまに遊びに行ったりした子だ。そういえば、NYで日本人以外で初めて一緒に遊びに行った人なのだ。2005年の8月に彼女がNYを去ってロシアに帰国した後、2,3回メールのやり取りはしたものの、途絶えてしまったのが、全く変わりない様子で、「元気?私のこと覚えてる?」って懐かしんでくれるみたいなメールが来てて、ちょっと驚きである。
さて、これから返事を書こうと思うのだが、いかんせん話すことはたくさんありすぎて(なんせ2年分)何をどうまとめてよいのかわからないのだ。

ユンサンと夜景

2007-05-30 22:58:00 | のほほん日記
ソウル最終日、ユンサンと会いました。
ユンサンはマンハッタンランゲージ時代のクラスメイトで、3ヶ月くらい同じクラスだでした。日本のお菓子が大好きで、特にビスコが大好き、いっつも何かしらお菓子を持ってきててクラスで配ってた子です。しかも日本の文化にもめっちゃ詳しくて、今はオダギリジョー・福山雅治がすきなんだって。
板門店から戻ってホテルで休んでたら、ユンサンから連絡が来ました。彼女はその日はお仕事で、それが終わったから今から私のホテルに来るとのことでした。ユンサンはピアニストで週に何回かレストランでピアノを弾いてます。
8時過ぎにユンサンがホテルに着きました。今回は日本人に有名なサムゲタンのレストランに連れて行ってもらいました。ユンサンがお勧めだということです。何で日本人に有名かというと、日本のガイドブックによく載ってるんだって。へぇー、そうなんだ。なんでユンサンがそんなこと知ってるんだ~。
お店は伝統的な韓国の建築様式で、すごくいい雰囲気だ。人にいりも良くて私達は奥の座敷にかけた。もちろん注文するのはサムゲタンだが、黒と白があるとか。味は同じだが、鶏肉の色が違うらしい。女性のお勧めなのが黒と言うことで、私は黒、ユンサンが白を頼んだ。その間に色々おしゃべりしたらすぐに来た。グツグツ煮込みの石焼なべに入ってきた。薬膳料理って言う雰囲気いっぱい。しかしこのサムゲタンって食べにくいよね。肉の中にご飯や薬味が入ってるんだけど。悪戦苦闘しながら、でも汁には味がしみこんでておいしかった。
ところがお会計のとき、ユンサンは「私が払うから・・・!」と、他の韓国人に漏れずにそういって伝票を持っていったのだが、なんとクレジットカードが使えなくなってたらしい。それで弱ったユンサンは「お金貸してくれる?と聞いてきた。私は多めにお金を持ってきてたので、かまわなかったのだが、クレジットカードが使えなくなったことで、ユンサンはだいぶあせってた。すぐにお姉さんに電話して、自分の銀行口座にお金を振り込むように頼んでた。というかすでに9時ぐらいでこんな時間に銀行振り込みができるのか。。。!
ユンサンはしきりに謝り、恥ずかしいを連呼してた。でも、私もカードのオーバーは経験あるから問題はないと思うのだけど。
それからしばらく歩いてやっと銀行を見つけてお金を無事下ろせた。
その後カフェに行くことになった。しかしタクシーがなかなか捕まらなかった。
暗かったのでどこをどう走ったのかわからなかったが、伝統的な建物が並ぶ通り沿いにおしゃれなカフェがたーくさんあるとこに来た。東京にもありそうな感じのカフェだ。そこで、暖かいゆず茶とユンサンが頼んだカキ氷+パフェが合体したような大きな器に入ったデザートを堪能した。うまかった。こういう場所はユンサンと一緒でないとこれなかったと思うので、すごくよかったと思う。ほんとに会えて良かった。
店が11時で閉まってしまったので、帰ろうと思ったのだが、そのカフェがある場所がまた車どおりが激しくない場所なんで、これまたタクシーを捕まえるのに苦労した。
やっと10分ぐらいしてから捕まえることに成功した。タクシーの中で話してるうちに、なぜか夜景を見に行こうということになり、タクシーの運転手にある場所を告げていた。この場所がけっこう山の頂上みたいなとこがあり、タクシーの運転手も久々だから道を忘れてて、途中路線バスの運転手に聞いたりしてやっとたどり着けた。ソウルの市街地にある丘のようなとこだろうか、行く途中グネグネと山道のような道路を走り、緑がいっぱい生い茂ってるのがわかった。タクシーの運転手が「君達、ここはすごく空気がおいしいところだよ」といってた。窓の外からソウルタワーが、ソウルのネオンが見えた。けっこうキレイだった。時間が遅いため、おそらくネオンの数が減ってたかもしれない。でもきっとピークの時間だったらすごくキレイなんだろう。
これもまたユンサンが連れてきてくれたおかげである。ほんとうにありがとうユンサン。夜景を見た後はホテルまでタクシーで送ってくれた。何から何まで仕事帰りなのに、色々つくしてくれてすごくうれしかった。ユンサンといい、ジウンといい、韓国の人って本当に客人に対しては親切。心がこもってると思うのでした。今度はソウルでもちゃんと時間を取って、ユンサンと一日遊ぶとさらに色々連れて行ってくれそうだ。

JSA

2007-05-29 22:27:00 | のほほん日記
さて、今回のソウル滞在の目的は板門店(PunMunJeon)ツアーに参加することです。こういうのって、なかなか友達にも誘いづらい。女の子はやっぱコリアンスターだ、お買い物だ、エステとかでしょ。板門店行きたいなんていう人まずいないしね。
しかし、板門店は外国人旅行者のみに開放してる場所で、韓国人はいけないのでソウルの友達も誘えない。ということで、JTBを通して大韓旅行社の日帰りバスツアーに参加しました。
板門店は北朝鮮との軍事分断線(北緯38度)にあり、その周りは非武装地帯であります。そこは国連&北朝鮮&韓国で警備しており、いわゆるJoint Secirity Area(JSA)gがココ。何を隠そう私はあの映画が大好きである。あの映画を見てから一度来てみたかったのである。
さて、朝ロッテホテルでツアー客が集合。日本語と英語のツアーであり、それぞれのガイドさんが交互にスピーチしながらバスは北に進む。1時間ほど走ったところで、北朝鮮との分断線のそばを流れる漢川とイムジン川の合流地点に来た。ここに統一展望台というのがあり、北朝鮮が見渡せるビデオなどの説明があり、ココから見える北朝鮮サイドには宣伝村と言う実際人が全く住んでない村が見えるという。何階建てかのアパートがあり、夕方には音楽を流すそうだ。韓国に対する威嚇か見栄かそれとも韓国人に北朝鮮は豊かだというアピールか、いずれにしろ恐ろしいと思う。今の世の中かこんなことをやってる国があるなんて。資料館もあり最近の北朝鮮から入手した、現地の人々が見につけてる衣服や学校の教科書などの生活用品が飾ってあるのだが、ツアーに来た人たちは年配の人などは「これは戦後の日本だよなぁ、懐かしい。。。」と言っていた。そんなものなのである。
さて展望台にいったのだが、この日の天気は快晴であり川の向こうには霞がかかっていた。白くて北朝鮮の陸がうっすら見える程度で宣伝村もあまりはっきりわからない。残念だが仕方ない。でも目の前のイムジン川はきれいに見える。あの歌にもある有名な川であり、自分がその目の前にいるなんて、なんだか感動である。
お昼をその近くのレストランで取り、いよいよ板門店へ向かった。途中2回ほど軍の検査を受けた。いよいよリムジン川を越えた。そこから先は地雷の森である。一歩森に入るとそこは地雷だらけだという。恐ろしい。しかしそんな非武装地帯にも村がある。農業を営む小さな村で、ココでは住むのも町へ行くのも軍の許可を受けねばならないという。しかも男はこの村に移住することはできないが、女は嫁に来るという理由で入ることは(移住する)できるという。めっちゃ懐古的である。
村を通り過ぎ、いよいよ国連の管理するキャンプの中に入る。途中、ゴルフ場もあったりと(世界一危険なゴルフ場と言う看板が)さすが、こんなとこまでゴルフ場があるのはアメリカンチックである。戦車もあって、いつでもすぐに出動できるように24H態勢で兵士が戦車から顔を出してた。なんか、すごいなぁ。
いよいよ38度線で北朝鮮と対じする軍事分断線上にある会議場へいくことに。映画同様韓国側の軍人があの衣装でサングラスwかけて、定位置に建ってる。両脇の建物から体を半分だけ出して北朝鮮のほうを向いてるのが不気味だ。しかし北朝鮮サイドでは兵士らしき人は誰も見られない。会議室の中はテーブルが並べられてあり、両国の代表が軍事会議をするときいつも使うそうである。実は次の日からその会議が予定されており、このツアーは当分ないそうだ。そうとも知らず今日で申し込んでおいて、私はラッキーだったかも知れない。こういう会議は急におこることもあるので、ツアーも急に亡くなることは珍しくないとか。私のバスの隣の席に乗ってた人は今回2回目で、前回はやはり会議のために急に中止になったといってた。実際会議室の中には床に線が引かれていて、その線にテーブルの真ん中が通るように設置されてる。ツアー客はごく限られた時間、5分か3分か、、、だけこの線をまたいで北朝鮮側に立つことができる。警備の韓国サイドの軍人が2箇所に立っていて、その人たちとも写真が取れる。この人たちだって、兵役の義務を負った若い韓国人の学生の兄ちゃんだろうに。それを思うと複雑である。
その次が「自由の家」(韓国側)という展望台。ココからは北朝鮮の板門店の建物と先ほどの会議場が良く見える。北朝鮮の軍人は建物の正面に一名だけ見えるのみである。しかし私達が展望台に上ると、北朝鮮の建物の窓が開いた。あそこからカメラなどで35人の軍人が見てるという。なんか気持ち悪い。もちろん北朝鮮側からも観光客がココを見物に来るそうで、向こうは主にロシアや中国が多いらしい。
その後は別の展望台へ行き、乾燥したヤブ畑の前に見える、杭で等間隔に打たれた分断線を眺めた。その杭の向こう側はあまり木が見れない裸の山や丘が続いていた。なんとなく韓国側とは全然違う感じだ。やはりその杭の向こうは別の国なのだ。その向こうにはなんと北朝鮮で3番目に大きい年都市があるそうだ。なんだか韓国へきて、東京(特にソウルは)と変わりないなぁと思ってたのだが、その向こう際の風景を見てなんとなく外国なんだなぁと思った。中国かどこかの山奥にある発展途上国の街みたいであった。
最後に帰らざるの橋と言う映画にも出てきたあの有名な橋が出てきた。なんてことないみすぼらしい寂しい橋なのだが、この国が分断するとき多くの人がこの場で北か南を選択して橋を渡ったはずだ。そして渡った後は2度と戻れない。そんな悲しい橋である。もともとあった一つの国が二つに分かれてしまうなんて、ドイツも昔はそうであったのだが、悲しいことである。

インサドン

2007-05-25 17:26:00 | のほほん日記
プサンでの5日間の滞在を終え、いよいよソウルに戻るときが来た。5日間もジウンとともにすると、しかも私は外国人で慣れない私に気遣ってジウンが至れり尽くせり面倒を見てもらったおかげで、なんだか離れるのはやはり寂しい。今度いつ会えるかもわからないのに。その反面ひとりになれることにほっとしてる自分もいる。まるであなたの彼氏みたいよね、、とジウンが言う。朝ごはんに駅前の食堂で韓国版わかめスープを飲んだ。日本のコンソメわかめスープとほぼ同じ味で、もちのような白玉がたくさん入ってた。それにギンパも。
来たときと同じようにプサン駅へ行く。この日は日曜日。なためか、ものすごく込んでた。ソウル行きの切符を買おうとしたら、ちょうど良い時間のが売り切れで、ロイヤルシートのみしかないという。その次に出るのはKTXではなく在来の特急で5時間もソウルまでかかるという。選ぶ余地はなく、ちょっと高いロイヤルシートを買った。ジウンとはハグして、これまでの滞在の礼を述べた。でもNYで離れるときほどなぜか悲しみは感じなかった。あの時は先が良くわからなかったが、今はお互い母国に戻ってきて、それでもこうやって会おうと思えば会えるのだなぁと実感したので、まるで別の地方にいる友達に会えた気分である。
さて、このロイヤルシート、ものすごくすわり心地が良かった。まず広い。エコノミーと比べると足の広がせる範囲がまるで違う。おかげでソウルまでぐっすり眠れた。
ソウル駅ではビョンスーが迎えに来た。彼女が2005年12月にNYを去って以来だから、だいぶご無沙汰である。しかし全然変わっておらず、まずは私のホテルのチェックインへ向かった。
泊まるホテルは鐘路という場所にあるYMCAホテルである。とにかく場所がいい。しかしホテルについてフロントで私の名前を告げたが、予約が記録されてないらしい。フロントのお兄さんはノートを何回も見ていたが、様子がおかしい。私は確かに2ヶ月も前に電話で予約を取った。そのとき予約番号とかあるのか?とたずねたが、そんなのはないから来るだけでいいと対応してくれた男性が話してたことを言った。さらにその男性の苗字も記録してたので話した。それがうまくいったがわからないが、シングルには空きがあったので、部屋は無事確保ができた。
その後出かけようと外に出ると、ホテルの前の通りで何やらパレードが始まった。見てると韓国の伝統的な服に身を包んだ人がいっぱい出てきた。歴代の歴史ごとの将軍行列らしい。軍隊が続き、馬になった将軍が出てくる。「このパレードは毎年やってるの?」とビョンスに聞くと彼女はかしげて、「たぶん、私はあんまり見たことないの。これは観光客向けなんだよ。日本や外国の人にこの時期ソウルにたくさん観光に来てもらうためのイベントよ」と言った。たしかに、きれいな韓服がたくさん見れるから観光客は喜ぶだろう。
おなかも空いてたので、(KTXで寝てたので昼ごはんを食べてなかった)、インサドン(仁寺洞)へ行った。ここは古い骨董品や書道関係の店が昔は多かったのだが、近年若者向きのおしゃれな店やレストランが増えて、ものすごくにぎわってた。韓国の伝統的なものを使ったおみやげ物屋さんも多いため、外国人観光客もすっごく多い。でもそれ以上にソウルの若者ばっかりで通路は人でいっぱいだ。ビョンスになのが食べたいと聞かれたが、少々韓国料理に飽き飽きしてた私はインディアンカレーをリクエストした。ビョンスはびっくりしてたが、私の事情を知るとインサドンにあるインド料理やへ連れて行ってくれた。私が食べたのは野菜カレーにチャパティ、そしてマンゴーらっシー。久々だとめちゃおいしく感じれた。そのあと通りの色んな店お回って歩いた。コリアンスタイルのテーブルクロスや巾着、韓国伝統茶(なんとあじさいのお茶を買った)などやピアスなども買ってしまった。ほんとにおしゃれでかわいい小物屋さんがいっぱいである。
そのあと、ミョンドンも移動した。こっちは10年前に一度訪れたことがあるのだが、だいぶ変わってた。ファッション関係の店が前より圧倒的に増えていた。この繁栄振りはもう東京とほとんど変わりないと思う。最後にミョンドン名物「明洞餃子」のレストランへ行った。ここだけは10年前とまったく変わってなかった。相変わらず繁盛してるらしい。ここのキムチは特別辛い。もう病気になっちゃうとか思うくらい、何か特殊な味付けがあるみたいだ。しかし餃子はおいしかった。ビョンスにその後ホテルまで送ってもらった。明日からビョンスは仕事である。おそらくこの日が日曜だから会えたのだろう。つかの間でも会えてよかったなぁと思った。

プサンの休日

2007-05-21 23:31:00 | のほほん日記
さて、プサンに戻ってきて、最終日です。
お昼までのんびりして、プサン観光へ、、、とその前に、ジウンが温泉へ連れて行ってくれました。
韓国で今はやりのSPAです。日本で言う温泉とはちょーっと違って、健康ランドみたいな総合休憩テーマパークみたい。
実はジウン家があるドンナエ区は昔から温泉地で有名らしく、町のあちこちに温泉マークの建物が見える。でも実はあれは温泉ではなく、モーテルのマークだそうだ。外見がなんだか寂れたホテルっぽくて、モーテルといってもアメリカのよりもむしろ、入り口などラブホテルのわかめカーテンみたいなものになってて、怪しい。
しかしジウンの連れて行ってくれたスパはキレイだった。ホテルみたいな大きな建物の3階と4階部分がスパで、2階部分は結婚式場になってた。たまたま見かけたら結婚式があるらしく、キレイな韓帽を着た人たちを何組か見た。結婚式だけあって、すごく華やかでキレイである。
受付でロッカーの鍵をもらい、中に入る。スパは円形のガラス張りドームの中にあって、中央に温泉、そしてところどころにある洗い場を取り囲むように変わったお風呂がいっぱいある。木のお風呂石のお風呂、泡風呂、足湯、半身浴の湯、薬草やフルーツのお湯、洞窟風呂、水風呂もたくさんあり、もちろんジャグジーや露天風呂も。あかすりコーナーや、サウナも何種類かある。こっちのサウナは大きなカマクラのようなドーム上のものが主流。それが石だったり、土(レンガ)だったり、色々。私も木のサウナの中に入ったが、日本の温泉のサウナみたいにテレビが壁に取り付けられていて、料理番組が放送されてた。なーんか、どこの奥様番組も同じだなぁと思った。
さて、スパから出ると、甚平のような上下セットの服を着て、休憩コーナーへ行く。これは別の階で、とにかく広い畳の部屋でみんなごろごろしてる。ほとんどの人が寝てるのだが、中には団欒する人や、トランプを楽しんでる人など、さまざま。その場所を取り囲むようにして、睡眠室と言う名の低温サウナがたくさんある。80℃ぐらいの部屋から(これじゃ寝れないと思うのだが)、40℃、10℃(寒いでしょ)とあり、他におそらく体にいい磁気を発する石の部屋や、オンドル部屋などたくさんの部屋がある。どこも少し暑い。寝っころがるとジワジワと汗かいちゃう感じ。しかしこんな部屋でもみんないびきをかく勢いで寝てる。韓国人はそんなにみんな疲れてるのか?と思うくらいだ。
ひどい人になると部屋の外の廊下で寝てる人もいる。すごい光景だ。
そんなこんなで色んな部屋に行きながら2時間ぐらい楽しめた。NYでもニュージャージにある韓国スパに行ったが、あれは全く同じであった。
温泉のあと、プサンの市内観光をした。そういえばプサンの市街地全然見てなかった気がする。2日目にジウンと夕方のチャガルチ市場を見たっきりである。チャガルチは魚市場ですっごいたくさんの魚などを見た。中には見たことのない魚や気持ち悪い生き物もたくさんあって、あれをどう料理するのかなぞである。
今回はプサンをちゃんと見ようと思う、龍頭山公園(ヨンドンサン)にあるプサンタワーへ出かけた。小高い丘の上にあるのでエレベーターを3つぐらい登らなければならないのだが、なんと故障中。階段で登ったが、地獄だ。キョンジュのサイクリングでもう坂ののぼりは懲り懲りだったのに。。。
天気は曇りだったが、けっこうくっきり見えた。さほど混んでも折らず、寂れた雰囲気が通天閣にも通じるかも。。。
上からはプサンの町並みが一望できた。プサン港とフェリーターミナル、、、きっと目の前の向こうはもっと晴れてれば福岡が見えたに違いない。
と、ジウンの友達とこの後会った。名前をヘジョンといって、保母さんをしてる子で、土曜日はお休みらしい。ちょっとジウンより太ってるけど、目鼻立ちのくっきりしたお茶目で可愛い子だった。性格がとぼけてるというか面白い子で、一緒に飲んだのだが、言葉が通じない割りにけっこう楽しめた。
会ってから国際市場と言うところにいった。ここは世界から色んなものが入ってきてる市場である。しかし私が見た感じ、日本のものが圧倒的に多く、しかも昭和くさいと言うかこんな古そうなお菓子どこで?!みたいなものばっかだった。日本のスーパーじゃ見かけられなさそうな。おもちゃにしろ、服にしろ、イマイチほしいと思うものはなかったが、歩く途中で、屋台のお菓子やら飲み物やらを見ながら、ヘジョンがこの伝統的な食べ物を挑戦しなさいと色々買ってくれた。しかし韓国伝統茶のお米のお茶などあまりに甘くて激まずで飲むのがかなり辛かった。
そしてプサン国際映画祭の会場になるPIFF広場にも連れて行ってもらった。この辺りはまるでソウルのミョンドンのような繁華街で、土曜の夜とあってものすごい人手だった。アクセサリーの屋台もたくさん出てた。PIFF広場を見終わるとおなかがすいたので、ご飯を食べに行った。
今度はコリアン中華である。ちょっと普通の中華と違い、ジャジャ麺などがある。そしてスパイシーな面もあって、いかにも韓国っぽい。韓国オリジナルのメニューらしく、スパイシーな麺はけっこういけた。もちろんジャジャ麺もうまかったが、そういや、ジウンがよくNYで食べてたのもこのヌードルだった。
お次はヘジョンの勧める飲み屋。韓国バーであるが、ログハウスみたいに木で作られた飲み屋で、テーブルごとのソファがふかふかでかなり居心地の良い店だった。ここではソウジュのキュウイ割カクテルをいただいたがけっこうおいしかった。ジウンが私とヘジョンの間に入り、韓国語を通訳しながら色々おしゃべりした。ヘジョンはけっこう私と話と言うかうまがあって、ジウンに似たもの同士なんじゃない?といわれた。あなたが韓国語はなせれば、きっとヘジョンの面白さがもっとわかるわよ。。。といわれた。でもまぁ、この日も十分楽しめたけど。記念すべきプサン最後の夜に地元人と楽しめてけっこう良かった。今度は私も韓国語を少し覚えて、ぜひヘジョンとまた会いたい。
この日は夜4時ぐらいまで色々おしゃべりした。最後の夜ってこともあったかも。なぜか今まで夜は忙しくて疲れてて、早く寝てたのだ。しかも会った初期はまだジウンが英語モードに本格的に入ってなかったせいもあり、一緒にすごすうちにだんだん慣れてきて、徐々に本来のおしゃべり、爆発トークが戻ってきて、4日目にしてNYのころの勢いになった感じ。あー。なんで今頃になって私達こんなに色々しゃべってるのかしらね。久々だからいっぱい話すことあるのに、なんでこの何日間話さなかったのだろう。と最後の夜を惜しむような感じでした。私もできることなら寝ないで話したいと思ってたのだが、やはり明日は明日でソウルで色々用事があるし、4時で切り上げて休みました。ジウンには「あなったってほんとに徹夜しない人なのね。。。」と言われたが、ジウンはめっちゃ夜が強いんだよね、私はとにかく弱いから(朝は強いが)といって許してもらった。いや、次の日日本に帰るだけならもっともっとしゃべっていたかったけど。
そんなわけでプサン滞在も終わります。ジウンのお姫様ベットも最後です。

キョンジュでサイクリング

2007-05-19 22:15:00 | のほほん日記
次の日も良く晴れた。
昨日の夜蚊に何箇所もさされて、かゆくて目がさめた。ジウンがシャワーを浴びてる間に適当に朝ごはんを作った。
インスタントラーメンである。
蚊のおかげでゆっくり寝れなかったので、のんびりチェックアウトの時間ギリギリまで、11時ぐらいかなぁ、部屋で過ごした。
今日はキョンジュの町の中を見に行こうと思い、私達はコンドミニアムを出た後、レンタルで自転車を借りた。
しかし市街地に行くとレンタバイク屋の親父にいうと「あんなとこまで?!遠すぎる!!」と言われた。そんなに遠いのか?大丈夫なのか?と不安に思ったが、ジウンは気にしてないようで、さぁ行こうと乗り気なので、私も久々の自転車だし張り切って走り出した。市街地までは30分くらいひたすら下り坂だった。のどかな河原に田園風景が続き、並木道の緑も青々しててすごくさわやかだった。むしろ天気もよく汗もかいてTシャツで十分な気候。青森はやっと桜が咲きだしたというのに、ここはもはや夏である。しかしひたすら下りなため、帰りのことを考えると恐ろしい気もしてきた。が、今は後のことは考えまい。。。とひたすら突き進むことにした。しばらく延々と自転車をこいでやっと市街地らしいとこへ入り込んだ。キョンジュのダウンタウンは古い韓国の田舎の町並みを感じさせるもので、取り立てて魅力もあるわけではないが、なんとなく埃や風がアジアを感じさせるものがあった。うまくいえないが、匂いとか雰囲気とかがアジアなのである。日本では味わえないような感覚だ。
私達はキョンジュの駅から程近い「古墳公園」へ移動しました。ここは小高い盛り上がった大きな山のような古墳がたーくさんある場所です。
一見すると緑の小さな山みたいに見えるのですが、これが全部古墳かぁと思うと爽快です。天気もよく緑がきれい。その古墳公園の中にチョムソンデという東洋最古の天文台がある。7世紀ごろ立てられた不思議な形(とっくりみたい。。。)をした石の塔である。中央に穴が開いていて昔はそこにはしごをかけて出入りしていたというんだけど、けっこう高い場所にあった。星見台ってことで、なんだかロマンチックである。けっこう暑かったので、ここでアイスを買って木陰で食べた。ほんとに夏みたいである。
その後そこから10分ほどいったとこにあるイメジョンという昔の皇帝の夏の離宮へ行った。ここは大きい池と庭が自慢らしく、池を見渡せる離宮から見る景色がきれいで、何より涼しい。夏の離宮って言うのもなんとなくわかる。風通しがいいもの。見物を終えるとまた木陰でおしゃべりした。ジウンが私がNYを去った後いろいろあった事件について語りだした。けっこう長くしゃべっててきっと1時間ぐらいいた気がする。気がつくともうそろそろコンドミニアムに戻ったほうがいい時間になってた。実は始め自転車を借りるとき2時間と言う約束だったとか。しかしこの時点で3時間半ぐらいはたっていた。しかも帰りはひたすら上り坂。さすがに最後の坂では私も自転車を降りて歩かざるを得なかったけど、想像したよりは辛くなく帰れた。
かなりの時間をオーバーしたのに、貸自転車屋のおやじは追加料金を請求しなかった。これにはジウンも喜び、「彼はなんていい人なのかしら!!」と言ってた。
私達はなんとか路線バスに乗りキョンジュの駅にたどり着いた。駅の正面にある大通りには夕焼けが迫っていて、夕暮れの喧騒と車の煙で、少しガスがかかって見えて、なんとなく不思議な風景が広がっていた。私ここがアジアだなと思う風景であった。
さて、プサン行きの最終電車は7時だった。出発するまでまだ30分あったので、駅の待合室でのんびり座って待つことにした。その間ジウンと私はキョンジュブレッドを食べて待ったりした。K-TRAILでプサンまで2時間である。しかし以外にもKTXよりも電車の座席は広く乗り心地が良かった。通勤や旅行者なので列車はほぼ満席の状態だ。夕暮れから夜に変わる時間を列車はのんびり田舎道を走る。日本と似てる風景なのに日本じゃないっていうのは不思議だ。そしてジウンと電車に乗ってるのもなんだか不思議であった。今回はいつも使う地下鉄のドンナエ駅とは違う駅で降り、商店街をのんびりした。日本の駅前商店街のようにたくさんの惣菜などを売る店があって、今日の晩御飯にジウンはトッポギ・マンヅゥ・ギンパなど色々買っていた。マンドゥはキムチ味もあって普通のと両方買った。私達は家に帰り二人でそれを食べたが、すごくおいしかった。さすがにトッポギは辛すぎて私にはあんまり食べれなかったけど。ジウンが勧める地元商店街なだけある。

慶州へ

2007-05-14 23:36:00 | のほほん日記
慶州(キョンジュ)へ行きたいと私がジウンにリクエストしたので、ジウンが宿を取ってくれた。
釜山について3日目、
私達は朝のんびり起きて、支度をした。
お昼前にジウンのお姉さんが迎えに来てくれた。
ジウンが慶州までお姉さんに車で送ってくれるよう頼んだのだ。
お姉さんは仕事があるんじゃないのかなぁ。。。と思ったのだが、車の中でお姉さんに聞くと「今日の分はもういいのよ」と言ってた。お姉さんは携帯の会社のマネージャーをしてて、たぶんそれなりにえらい地位にいるらしく、融通が利くのかもしれない。いずれにしろ、釜山から慶州まで高速道路で1時間を私達を送ってくれるのだから感謝しなくてはいけない。お姉さんも少し英語が話せるみたいだ。ジウンのそのことを聞くと「私が学生のころ、彼女はすでにヨーロッパ中を一人で旅してたわ」と言う。なるほど、ジウンがあんなにヨーロッパばかり旅行へ行きたがるのもこのお姉さんの影響かしら?
私達は3人でおしゃべりしながらあっというまに慶州に着いた。お姉さんは慶州で一番有名なレストランへ連れて行ってくれた。お店の外壁には慶州のシンボル「新羅のスマイル」と呼ばれる彫刻のリリーフがあって、見せは韓国の伝統的な家屋スタイルだった。入り口を入ると、色々な古い展示物が飾られていた。農機具や戦争時代のものとか。天井が少し低く土間のようなとこを抜けると、広い座敷の部屋になってテーブルがたくさんあって、たくさんの人がご飯を食べていた。部屋の周りにもやはり古い民族衣装や飾りなど色々なものが展示されてて面白い。
「この店はすっごく人気があるのよ、私がこの間着たときは料理が出るまで30分以上は待たされて、頭に着ちゃった」とジウンがいう。今日は平日なのでさほど混んではなく、私達はすぐに座れた。面白いことにここのウェイトレスは外国人もいた。フィリピンもしくは東欧方面か南米か、、、そんなウェイトレスが2,3人に韓国人のウェイトレスは化粧が濃すぎ。私がそう言うとお姉さんもジウンも笑ってた。
さて、ここの名物料理はズバリ野菜料理。肉中心になってしまう韓国料理だけど、私がお肉が苦手なのをジウンはわかっててここに連れてきてくれたのだ。ゆでた白菜や昆布やサンチェなどが運ばれてくる。
それをまず手のひらで広げて、そこにご飯をのせ、おかずを載せてくるんで食べるのだ。おかずがまたありとあらゆる20種類ぐらいの料理が出てきた。あらゆるナムルにキムチ、酢の物にナスの炒め物、牛肉や鶏肉、タコなどを使ったものまであって、好きなものを選んでご飯と野菜でくるみ次々食べる。おかずはなくなったらいくらでもお代わりできる。もちろん包む野菜もご飯もいくらでも。食べすぎだ。おなかが苦しくなって食べきれず残した。ま、これが韓国の流儀である。残して何ぼ。日本人的にはいやだけど。
さて、ご飯も終わったらお姉さんがどこか観光するなら送っていくわよ。と言う。行為に甘えることにして、まず今日の宿泊場所へチェックインへ行った。
これがまたコンドミニアムだったのである。ジウンの家族がファミリーでこのコンドミニアムの会員になってて、利用できるのだ。
見た目がマンションのようないくつものコンドミニアムが並んでて、その中の一つに入った。「ここは普通に留まると高いけど会員だとすんごく安いのよ」と言うが、見た感じあんまり新しくなく、ちょっと中国あたりにこういうホテルありそうだ。部屋は6Fでエレベーターから一番遠い部屋だった。広くって長方形の部屋で、入り口付近にトイレとキッチンが、そして窓際にベットとテレビがあるだけの殺風景な部屋だったが、これで十分。今日の夜はジウンがキムチチゲを作ってくれるらしい。
その前に私達はお姉さんに送られ石窟庵(ソックラム)と仏国寺(ブルグクサー)へ観光に行った。

エステと魚料理

2007-05-12 23:50:00 | のほほん日記
ランチを食べて別荘に戻ると、ジウンのお母さんがパソコン教室より戻ってきていた。
今日はどうするの?と私達に聞くので、私は「市場見てみたいなー」と言った。
せっかくだから買い物もしたい。
ジウンとお母さんは何やらごにょごにょ会話してて(もちろん韓国語なんで私にはわからなかったけど)、「エステ行かない?」と聞いてきた。
韓国といえばエステでしょー。本場のエステもちろん大好き!「いくいくいく。。。」と私が返事をしたのですぐに決まり。ジウンはお姉さんがいつも行ってるというエステのビジネスカードを見ながら電話して予約を入れた。
夕方4時半からの予約だ。
まだ時間があるから駅前のでっかいショッピングセンターを少し見てから行こうという事になった。
昨日もちらりと見た大型スーパーマーケットで、色んな試食があちらこちらでやってる。見てて気がついたのだが、韓国のマネキンさんはガンダムルーズソックスを履いていて、ミニスカートのコスチュームだ。日本のママさんマネキンとだいぶ違っている。とにかくマネキンが多かった。
私はマネキンさんが勧めるブロッコリーのクリームスープを飲み、おいしいので気に入ったら、ジウンが「明日の朝ごはんにしよう」と買ってくれた。わーい!!
恐ろしく広いスーパーでまだ全然見てないのにも上捨ての予約の時間が来た。そのスーパーの裏通りを少し行ったところにエステサロンがあって、すごくキレイなとこだった。入り口で受付とカウンセリングがあって、まぁ私は言葉を話せないからジウンが適当にコースを予約してくれた。カウンセラーは私のにきびの症状を見て「ちょっと問題があるみたいね。。。」と思ってくれたらしい。エステはジウンの家の最寄り駅のドンナエ駅の近くで釜山でいうとあんまり観光客がいないとこだろう、地元人客多いから私のような日本人のお客は珍しいと見た。
ロッカーで着替えてから私とジウンは別々の部屋に通された。私の部屋は中に4人ぐらいの台があって、そのうちの一つに寝かされた。すでに他の3つの台は人が埋まってて、丸見え。日本のエステサロンは個別に部屋が別れてるから他人のエステを見ないけど、ここじゃみんな同じ部屋で同時にやってるから音とか聞こえてきてしまう。
何はともあれ台に寝かされ始まった。フェイシャルマッサージなんだけど、すごく力が強くて腰までマッサージしてくれてとても気持ちよかった。一時間ぐらいだったのだろうがあっという間だった。後半やったパックがまた冷たくて気持ちよい。
私が終わってから戻るとすでにロッカールームにジウンが待ってた。私が満足したことを聞くと彼女も喜んでくれた。いやいや、彼女のおかげである。
まさかこんなにすぐ韓国エステを堪能できるとは思わなかったから、つやつやのお肌で大満足だ。
エステの後ジウンのお母さんとお姉さんと甥が駅まで車で迎えに来てくれた。これからみんなで新鮮な刺身料理を食べに行こうというのだ。
お姉さんには初対面だ。もちろんジウンがいつも自慢する甥っ子も。甥っ子とにかく元気が良い。今4歳。一番腕白元気が良い盛りでとにかくじっとしていない。車の中を動きまくりずっと喋り捲ってる。それを聞いてジウンのお母さんもお姉さんも笑ってる。みんな可愛くて仕方がないような可愛がりぶりだ。一人っ子の男の子だからであろう。
車は駅から20分ぐらいで、海沿いのビーチがある場所に来た。ビーチの向かいには海の上に立てられた巨大な橋が見え、ライトアップされて美しい。ビーチ沿いにはバーやレストランにネオンで目立つビルがたくさん並んでる。私達はその一角にある展望レストランへ行った。面白いことに1Fで自分の食べたい魚(まだ生きてる)を選ぶことができ、ジウンのお母さんとお姉さんはなにやら相談して魚やタコ、ナマコやホヤなど色々選んでいた。その魚をバケツに入れて8Fのレストランへ持っていくと、希望した通りにさばいてくれるらしい。面白いシステムだ。何より新鮮で港町釜山ならではだ。8Fからはライトアップされたブリッジとビーチが見渡せてすごくキレイだ。
しばらくすると刺身が出てきた。
タコの足がまだグネグネしてる。
私はこれが嫌いで「ギャー」と叫んでしまった。なんか見てるだけで気持ち悪くないあれって?踊り食いっていうの。「何いっ輝の新鮮でおいしいでしょ。それに日本も生きたまま魚とか食べるじゃん。」とジウンはいうがやっぱり見てて気持ち悪いのは悪い。タコ以外は動いてないのでおいしくいただいた。
帰り際にビーチで少しくつろいだ。波の音が気持ちよくって昼間はまたキレイだろう。ビーチにはやっぱりたくさんの人が集まっていて、なんか観光地だなぁと実感。おしゃれなjAZZバーもいっぱいあったし。帰りには「あの橋渡ってみたい?」とお姉さんが聞くので、お願いした。こういうのは車がないとできないものね。やっぱり知り合いがいるっていいよなぁと実感した。お姉さんもお母さんも親切でとても楽しい夕食でした。もちろん魚も新鮮でおいしかったです。ただあれはなんていう魚の刺身だったんだろう。。。


J's FAMILY

2007-05-10 23:23:00 | のほほん日記
さて、一夜明けて、8時におきてジウンの両親が住む別荘に向かった。
釜山で有名な観光どころ、お寺ポモサのある山にその別荘はあった。地下鉄でポモサ駅まで移動して、駅までジウンのお母さんが迎えに来てくれた。
ジウンのお母さんは日本のおばちゃんと同じ刈上げ気味のショートヘアーで茶色に染めていて、明るくやさしそうな感じだ。
「マザー」と私がジウンママとハグをかわし、車に乗り込んだ。ジウンママの運転するRV車はグングンポモサのある山のほうへ、グネグネ坂を登っていく。
さっきまでの街の喧騒はどこへやら、、、緑が生い茂り、小川が流れ、いかににも観光地別荘地的なレストランや家が並んでいるところにきた。
ジウンの家はその表通りから裏に回った場所にあり、高台にあった。門から入るとずっと砂利道が続いてる。入り口の左手には藤棚がありその下にテーブルと椅子の東屋が。左手には25プールよりちょっと広い芝生のヤードがあり、その横にボタンが生い茂る庭があって、その上に2階建ての大きな別荘があった。
ヤードの奥には巨大なバードゲージがあり、25mプールよりも広そうな池まであって、鯉ばかりではなくて、彫刻の人魚やドラゴンやセイウチまでがいた。
とりあえず私達は別荘へ行き、ジウンのお母さんが朝ごはんの支度をした。支度ができるとお父さんが二階からお父さんが現れた。眉毛がジウンにそっくり。目じりがたれ気味で、私は「ジウン’sダディー」と呼び、恐れ多くもハグをした。
さて、朝食はチキンの煮込みにプルコギに自家製キムチの数々で、お母様の手料理。韓国人は朝から肉をこんなにたらふく食うのか??!と思ったが、どうやら私はお客様のでもてなしの心らしい。なるほど、感謝していただいた。おいしかったが、一緒に食べた雑穀米がまたうまかった。。。
食後にコーヒーをのんで、ジウンお母さんはPCの習い事教室があるからといって出かけていった。
午前中お父さんのところに客人が来て珍しい鳥を持ってきたらしく、見せてくれた。ジウンのお父さんの部屋がある2階に招かれたが、ガラス張りの暖炉のある素敵なお部屋で、冬はロマンチックだろうな。。。と思う。夏だから緑や光が一斉に入ってきてすごくさわやかなお部屋だった。
鳥はとても地味な鳥だが、鳴き声がすごく美しいという。どうやらジウンの父は鳥が好きらしい。外にある大きなバードケージでも以前何か飼ってたらしい。ジウン曰く、前に鹿を8頭飼ってたんだって。動物園みたい。
今は犬が2匹いる。小さい狆みたいな犬(パピヨンみたい)で名前は「ダロンギ」(韓国で言うポチ)ともう一つは黒い立派な韓国犬であった。大きい犬はつながれてるが、私を見るとやたら吠えるし、番犬っぽい。それに比べるとダロンギは後ろをチョコチョコついてきてとてもかわいい。
お客が帰った後ジウンのお父さんが庭の奥にある陶芸の工房へ案内してくれた。庭の奥にでっかい建物があってなんだろうと思ってたのだが、毎日陶芸家の人がここに来て先品を作ってるそうだ。ジウンのお父さんが土地と施設をかしてるんだって。なんで、ここの別荘の門に漢字で「無形陶芸」のような字が書いていた。時々知らない人間が習いに来てるらしく、ジウンはそれがあんまり好きじゃないとか言ってたが、家に工房があるなんて、なんてかこいいのだろう。。。
相違やキムチをつける壺も大小たくさんあるし、屋上にはジウンのお母さんがつけてる瓶がたくさんあったし。工房の中で先生と挨拶をした。先生は白い立派なひげを蓄えていたが、顔は日に焼けてたくましく、よく日に焼けてはっきり行って若く見える。きらきらした少年みたいな瞳とそのひげのアンバランスさがちょっと対照的だった。シそのあとジウンのお父さんが作品を展示してる部屋に案内してくれた。大きい壺から小さい茶碗まで大小さまざまな茶碗が並べられていた。と、これもう一つしか残ってない貴重なものだけど。。。といいながら私にティーカップセット(韓国の急須とミニ茶碗のセット)をくれた。茶色の臙脂のような見事な色の品物で、こんな立派なものをいただいていいのか。。。と思ってたら、今度は陶芸家の先生が白い磁器のおわんをくれた。すばらしい。
工房を堪能したら、私とジウンは別送を後にしてポモサというお寺を見に行きました。ガイドブックにも載ってる観光地なのに、別荘から歩いてすぐに行けちゃうとこが素敵。色とりどりの色彩が豊かなのが韓国のお寺。沖縄の首里門を思い出しちゃう。基本が緑や青で赤や黄色で花や花鳥風月の模様が細かに描かれてて華やか。やはり大陸文化だなぁとしみじみ思い起こさせる。中国の紫禁城とかね、、、そういう感じ。
お寺には阿弥陀如来や釈迦如来、菩薩、観音様とか色々な種類の仏像を祭った建物がいくつもあるのだけど、ジウンはのぞくのじゃなくて実際中に入ろうと薦めて、中に入るとお参りの仕方も教えてくれた。まず一番大きな本堂に入り、もの前に3対の大きな仏像がいる。日本の仏像と違いやたらと顔がでかくて四角くてヒゲみたいなものが口の周りにあってキンキラキンである。その前でみんなひざまついて、チベット仏教のように立ち上がり手を胸元に合わせてお参りして、またひざまずくという動作を何回もしてた。一度に3回するのが礼儀となってて、まず正面の仏像に向けて3回、そして左、右に3回ずつ。合計9階は最低やらなくてはいけない。ここにはたくさんの仏教徒がおまいりに来てて、みな一心におまいりをしてる。皆に混じってジウンも厳かに頭を下げだした。私も見よう見真似でやったが、なんかそういう風にお参りするのは日本ではないことなので、チベット仏教のお寺でそういう光景を一度見たことあるけれど、韓国も仏教のお参りの仕方は同じなのだろうか、、、日本ではそういうのってみたことがない。そちらかといえば手は合わせはしても仏道は京都などで眺めるものだと思ってたから、こんな風に一生懸命お参りしてる人たちに混じるとなんだか不思議な気がする。
いくつかのお堂のような建物の中に色々な仏像がいて、中には千人に様な神様や山の神様もいた。それの一つのお堂に入り、私達は休みながらお堂の中を観察して、飛天や天人の絵を見ながら、おしゃべりをした。すごく静かでリラックスした場所だった。山に吹く風が気持ちよく、緑は青々としていた。お堂ごとに3回ずつの礼拝をしてたら終いに腰と体がだるくなったので最後は私も礼拝をせずに眺めるだけにとどまった。ポモサの水はいい水らしく、清めの水を飲んでみたがおいしかった。お寺で2時間ぐらいのんびりして再び別荘に戻ると、ジウンのお父さんが別送の隣にあるレストランに予約を入れていてくれて、昼食を奢ってくれた。ビビンバだった。野菜がたっぷり入ってて、この見せのビビンバはおいしいと、ちげ鍋も一緒に食べた。あまりにうまいので2杯も食べてしまった。ジウンもビックリ。お父さんとも少し話をしたが、なんだか見た目は怖そうで気難しそうなお父さんである。でも娘の客にご飯をおごったり、顔には出ないけどやさしいひとなのだろう。気をつかってくれてありがたい。



釜山へ

2007-05-08 23:10:00 | のほほん日記
GW(5/1~5/8)まで韓国へ遊びに行ってきました。
今回のメインは釜山。ジウンのとこへ遊びに行きました。
青森からソウルまで週4便大韓航空が飛んでいるので、今回は初★青森から出国でした。
あんな小さい空港でもちゃんと国際空港なんだねー。
13時の飛行機は15時30分に無事インチョン国際空港へ着きました。
まず、空港でジウンに電話。韓国の公衆電話を使うのは始めだけど、すごくわかりやすかった。ジウンに無事入国したことを知らせて、ソウル駅行きのリムジンバスに乗る。このリムジンバス、普通の路線バスもソウル駅行きがあるのだが、成り行きですぐ近くのカウンターでチケをかったのでこれに乗ったが、すっごいゴージャスカーだった。
座席が3つしかないのよ。普通2列2列の4席が一列で横に並んでいるじゃん。あれが3つなんで、席が広くてふかふかのリクライニング。しかもお客が3人しかいなくて、なんかもったいなかった。しかし、チケは高かった。13000Wよ。いや、日本の成田行きリムジンよりは安いけどさ。
ソウル駅はなんか昔の東京駅のようだった。丸い頭の古めかしいデザインの休館の横にでっかいガラス張りの近代的な新しい駅がドドーンと建っていて、そのコントラストにちょっと驚かされる。
駅の中は高い吹き抜けになっていて、お目当ての韓国の高速鉄道KTXの看板がでっかく見える。窓口でこれから出発する便のチケを買う。無事エコノミー席が買えたのでまたジウンに電話する。ここまでの過程がすごくすんなり行ったので、思ったよりも早く釜山に着きそうだ。ジウンも電話口で驚いてた。ソウル発釜山行き17時15分の列車は20時04分に到着予定だ。2時間49分の旅。
KTXはフランスの高速鉄道をモデルにしていて、日本の新幹線とは雰囲気がだいぶ違う。エコノミーとロイヤル席があるけど、私の利用したエコノミーは44800W。
座席はちょっと狭い。はっきり言って新幹線のほうが広くて快適かもしれない。席はリクライニングできないし、私はたまたま進行方向だったけど、進行方向と逆に設置されてる席もあるそうな。通路を挟んで2列ずつ左右に席がある。けっこう通路も狭いし座席も狭い。トレイを下げたらひざがくっついちゃいそうだ。
それでも外国で列車に乗るのはまたワクワクする。飛行機や車とは違う駅の風景というものがあるでしょ。そういうのがまた良かったりするのよね。
でも韓国の風景はなんだか山とトンネルと農村の風景で、日本の田舎とほとんど同じだった。山が多いから日本よりつまらなかったかもしれない。ところどころテグとかに停車して、外が暗くなったころに釜山へ到着した。私が時間通りに到着したにもかかわらずジウンは遅刻してきた。なんだか相変わらずで笑えてきた。私がキョロキョロ別の場所を探してるとき、出口と反対のエスカレーターから見たことのありそうな雰囲気の人間が出てきた。ジウンだ!私は駆け寄って「HEY!!」と声をかけた。やっぱりジウンだった。髪の毛が伸びてたが、まったく変わってなくて私達はお互い喜んでハグをした。NYでのお別れから実に9ヶ月がたっていた。私は韓国に着たばかりで興奮していたし、ジウンもそれなりに興奮してたかもしれない。後で聞いた話だが、英語を話さない生活をしてたためにいきなり私と英語オンリーの会話になり、初めは話しにくかったそうだ。
私達はジウンの家があるドンナエ駅まで地下鉄で移動して、商店街のレストランでご飯を食べた。ジウンが色々選んでくれたのは、やはり焼肉!やっぱり韓国といえば焼肉なんだけど、ちょっと変わっていて豚肉の焼肉で、肉に抹茶の粉末のようなパウダーがかかっているみたいなものだった。始めジウンがグリーンティの肉頼んだから。。。なんて言ったときは「??」って思ったのだが、やはり来た肉はどこか緑がかっていた。それをジウンが鉄板に乗せて次々焼いていく。一枚一枚が長くて大きくて、焼けたころにはさみで切りながら食べるのだ。まさに本場韓国式だ。しかし味は普通のお肉の味に少し苦味のある抹茶どくときの香りが漂ってなんとも言えず美味であった。私達は久々の話の盛り上がりながら、店を後にした。ジウンが路上でイチゴを買ってくれた。通りには屋台がたくさん出てて、ざるに盛られたイチゴが300Wくらいで売られていた。そのあと私達は、私の荷物のこともあるのでタクシーでジウンの家まで移動した。
彼女の家は、山が迫っている釜山の坂にある、いわゆる都会の高層団地であった。その中の一つの棟の3Fに家があった。いわゆるマンションである。しかし、中はすんごく広かった。ヨーロッパ調の家具に囲まれた彼女の家はとても広くて、居間には映画館のスクリーンみたいな馬鹿でかいアメリカサイズのテレビがあってソファーがおかれていた。その横がキッチンに、調度品やら恐ろしく豪華できれいなティーセットがたくさん飾られたサイドボードやらがあて、その奥が両親の部屋らしい。手前がジウンとお姉さんに弟さんの部屋。ジウンの部屋もお姉さんの部屋もまるでフランス人のような可愛いお姫様ベットにドレッサーがあって、すんごくかわいい部屋だった。壁紙も花柄で可愛いし、どうやら素敵なティーカップのコレクションもその部屋のデコレーションもお母さんの趣味らしい。布団も布団といえないくらい可愛いものであって、私はそこで寝ることになったのだが、フリル満載のその部屋は、韓国というよりどこかのヨーロッパのおうちに来たような錯覚すら覚えた。
寝る前にイチゴを食べながらドラマを見た。ジウンが好きなドラマが入ってるらしい。以外にも夫婦の話で夫が妻の親友と不倫をしてるという話であった。ジウンこのドラマの女優の演技がいいと絶賛してた。
それから明日のことを色々と説明してもらった。ジウンの両親は実は今、そこからもうちょっと郊外にある別荘に住んでいてここにいないらしい。弟さんも中国で働くてるし、この広い部屋にこれから5日間は私とジウンの二人だけだ。というか、ジウンも昨日まで一人でここに住んでたのだ。なんだかすごいなぁと思った。明日はその別荘に朝出向き、ジウンのお母さんが朝ご飯を用意してくれるらしい。楽しみである。
そして私はその素敵なベットで眠った。