久々の雨。それも家が揺れるほどの雷鳴と稲光と落雷。家の中にいれば絶対安全、と根拠無くのんびりとそんな天候を楽しむ。
「今日は畑や庭に水やりしんとー」と朝につぶやいていた夫・H氏は、午後に空がかき曇って来るや、「おっ、雨降ったら、水やりせんでもええし、いっぱい降ってくれんかな」と大期待。そんな中、久々一緒に図書館に行く。
私は『文學界 9月号』の橋本治さんの女義太夫評論「音色と文体」を閲覧。相変わらずなんと難しい文章であることか。この評論のバックボーンである古典や義太夫のテキスト自体の知識がないので、あんまり理解できていないかも。でもこれを読んだら確実に、鶴澤寛也師匠の「女義太夫」を生で見聞きしてみたい!と思ってしまう。
『文學界9月号』の橋本治さんの「音色と文体」のことは、蕃茄庵日録8月9日の日記で紹介されていて、これはぜひとも読まなくちゃ、と図書館に行く機会を伺っていたのだ。
夫は図書館入口に面展示された新刊の中に、向かい合う場所に「蓄音機の研究」をみつけて、即私に手渡し「はい、借りて」。私が『文學界』を閲覧中にLPレコードやオーディオ関係の本を検索しまくってメモし、「はい、これを借りて来て」と紙を渡される。
Kちゃんの自由研究に役立ちそうな本も物色し、今日はムダ無く図書館利用できた。たまに無目的に来て、ただ時間を浪費するだけという時もあるのだ。むろん悪いのは図書館でなく私。借りたい本のタイトルをキレイに忘れ去っていた、というマヌケな失敗も。メモを忘れた、とかね。
雷鳴が轟き、大粒の雨が降り出した頃、図書館を脱出。
午後に激しく雨が降った後は、気持のよい爽やかな雨上がりになった。草木も地面も空気さえ、久々の雨に潤ってすっきりと晴れやかな表情になる。風もすゞやかに吹いて、このところの暑さで寝込み気味のおばあちゃんも、声に張りが戻って来てひと安心。
落雷で信号機は消灯し、PCは接続出来ず、冷蔵庫も一時停電し、というアクシデントもあったが、おおむね充実の週末だった。
「今日は畑や庭に水やりしんとー」と朝につぶやいていた夫・H氏は、午後に空がかき曇って来るや、「おっ、雨降ったら、水やりせんでもええし、いっぱい降ってくれんかな」と大期待。そんな中、久々一緒に図書館に行く。
私は『文學界 9月号』の橋本治さんの女義太夫評論「音色と文体」を閲覧。相変わらずなんと難しい文章であることか。この評論のバックボーンである古典や義太夫のテキスト自体の知識がないので、あんまり理解できていないかも。でもこれを読んだら確実に、鶴澤寛也師匠の「女義太夫」を生で見聞きしてみたい!と思ってしまう。
『文學界9月号』の橋本治さんの「音色と文体」のことは、蕃茄庵日録8月9日の日記で紹介されていて、これはぜひとも読まなくちゃ、と図書館に行く機会を伺っていたのだ。
夫は図書館入口に面展示された新刊の中に、向かい合う場所に「蓄音機の研究」をみつけて、即私に手渡し「はい、借りて」。私が『文學界』を閲覧中にLPレコードやオーディオ関係の本を検索しまくってメモし、「はい、これを借りて来て」と紙を渡される。
Kちゃんの自由研究に役立ちそうな本も物色し、今日はムダ無く図書館利用できた。たまに無目的に来て、ただ時間を浪費するだけという時もあるのだ。むろん悪いのは図書館でなく私。借りたい本のタイトルをキレイに忘れ去っていた、というマヌケな失敗も。メモを忘れた、とかね。
雷鳴が轟き、大粒の雨が降り出した頃、図書館を脱出。
午後に激しく雨が降った後は、気持のよい爽やかな雨上がりになった。草木も地面も空気さえ、久々の雨に潤ってすっきりと晴れやかな表情になる。風もすゞやかに吹いて、このところの暑さで寝込み気味のおばあちゃんも、声に張りが戻って来てひと安心。
落雷で信号機は消灯し、PCは接続出来ず、冷蔵庫も一時停電し、というアクシデントもあったが、おおむね充実の週末だった。