高校は京都に通学だったので、1時間半ばかりの通学時間には、たっぷり本を読んだ。ブラッドベリとかエラリー・クイーンとか、筒井康隆とか半村良とか、SFかミステリを読んでいた時代である。
実家はかなり町外れだったので、もよりの駅に出るまでのバスの便も少ない。学校に間に合うのにちょうどいい時間帯のバスもなくて不自由した。とにかく学校に間に合うバスに乗って行くと、30分以上前の静まり返った教室で2番手の子を待つ事になる。無人の教室に椅子と机の群が佇み、学校のとなりの雑木林の緑がざわめく音のみが聞こえた。
帰宅する時は滋賀県組の子たちと群をなして帰ったが、問題は土曜日だった。その頃土曜日は半日授業だったが、電車が間引き運転になり本数が減る上、帰宅途中の駅が終着駅だったりして、なかなか地元駅にたどり着けない。JRがまだ国鉄といっていた時代だと思う。
だったら本屋さんのある駅で途中下車してしまおう、ということで大津(滋賀県の県庁所在地)や草津(温泉はないが江戸時代は重要な宿場町だったらしい。名物は「姥が餅」。小学生の頃は「くさつよいとこ、いちどはおいで♪」という歌を聞いて、「温泉???」と首を傾げたものだ)で道草をした。駅前の大型?スーパーに書店が入っているのだ。現在の本屋さんの状況から見ると信じ難いようなボリュームと幅広い品揃えだった。たぶん、ごく普通の本屋さんだったんだけど。
大津のスーパーの本屋さんは、やたら広いフロアだった。今から思えば10代の女の子が読むような本ではなかった半村良にはまっていったら、芋づる式に国枝史郎がよみたくなった。その頃は大学生だったが、その本屋さんに行くと春陽堂文庫がずらっ!と(しかし「現品限り、売り切れごめんでっせ!」という顔で)並んでいて、国枝史郎の文庫も買う事ができた。
日本SF専門雑誌であり、新井素子さんや夢枕獏さんを発掘した(リアルタイムで目撃出来たのだ)いまはなき『奇想天外』を毎月買っていたのも、たいてい大津か草津の本屋さんだった。
しかし困惑するのはSF雑誌が「SMファン」や「薔薇族」や「さぶ」の至近距離に必ず置いてある事だった。半村良は読んでもそれは困る。けっして怪しいものではございません。クラスでも3本の指に入る程、品行方正な女子高生でございます、という気配を必死でまき散らし、いつになく迅速に行動する。
あ、筒井康隆さんが編集長の時代の、作家が1冊まるまる編集するサブカル雑誌『面白半分』も、そういえば買っていたなあ。思い出した。これもあんまり女子高生が買うようなものではないかも。って、ないって!
普通に、本屋さんに創元推理文庫や早川文庫も棚に何列も揃っていた。そういう幸運な時代だった。
「少年チャンピオン」に「ドカベン」(水島慎司)や「ブラックジャック」(手塚治虫)や「エコエコアザラク」(古賀新一)が連載されていた多分同誌の黄金時代でもあった。単行本になるのが待ちきれなくて、「少年チャンピオン」を買っていた。あんなに「ドカベン」と高校野球にはまっていたのに、現在のアツい高校野球にまったく興味がないんだから、諸行無常である。
なんだか本屋さんで道草する事が、私の人生の大きなウエイトを占めているような気がする。うーん、「気がする」なんてもんじゃないのでは・・・。
実家はかなり町外れだったので、もよりの駅に出るまでのバスの便も少ない。学校に間に合うのにちょうどいい時間帯のバスもなくて不自由した。とにかく学校に間に合うバスに乗って行くと、30分以上前の静まり返った教室で2番手の子を待つ事になる。無人の教室に椅子と机の群が佇み、学校のとなりの雑木林の緑がざわめく音のみが聞こえた。
帰宅する時は滋賀県組の子たちと群をなして帰ったが、問題は土曜日だった。その頃土曜日は半日授業だったが、電車が間引き運転になり本数が減る上、帰宅途中の駅が終着駅だったりして、なかなか地元駅にたどり着けない。JRがまだ国鉄といっていた時代だと思う。
だったら本屋さんのある駅で途中下車してしまおう、ということで大津(滋賀県の県庁所在地)や草津(温泉はないが江戸時代は重要な宿場町だったらしい。名物は「姥が餅」。小学生の頃は「くさつよいとこ、いちどはおいで♪」という歌を聞いて、「温泉???」と首を傾げたものだ)で道草をした。駅前の大型?スーパーに書店が入っているのだ。現在の本屋さんの状況から見ると信じ難いようなボリュームと幅広い品揃えだった。たぶん、ごく普通の本屋さんだったんだけど。
大津のスーパーの本屋さんは、やたら広いフロアだった。今から思えば10代の女の子が読むような本ではなかった半村良にはまっていったら、芋づる式に国枝史郎がよみたくなった。その頃は大学生だったが、その本屋さんに行くと春陽堂文庫がずらっ!と(しかし「現品限り、売り切れごめんでっせ!」という顔で)並んでいて、国枝史郎の文庫も買う事ができた。
日本SF専門雑誌であり、新井素子さんや夢枕獏さんを発掘した(リアルタイムで目撃出来たのだ)いまはなき『奇想天外』を毎月買っていたのも、たいてい大津か草津の本屋さんだった。
しかし困惑するのはSF雑誌が「SMファン」や「薔薇族」や「さぶ」の至近距離に必ず置いてある事だった。半村良は読んでもそれは困る。けっして怪しいものではございません。クラスでも3本の指に入る程、品行方正な女子高生でございます、という気配を必死でまき散らし、いつになく迅速に行動する。
あ、筒井康隆さんが編集長の時代の、作家が1冊まるまる編集するサブカル雑誌『面白半分』も、そういえば買っていたなあ。思い出した。これもあんまり女子高生が買うようなものではないかも。って、ないって!
普通に、本屋さんに創元推理文庫や早川文庫も棚に何列も揃っていた。そういう幸運な時代だった。
「少年チャンピオン」に「ドカベン」(水島慎司)や「ブラックジャック」(手塚治虫)や「エコエコアザラク」(古賀新一)が連載されていた多分同誌の黄金時代でもあった。単行本になるのが待ちきれなくて、「少年チャンピオン」を買っていた。あんなに「ドカベン」と高校野球にはまっていたのに、現在のアツい高校野球にまったく興味がないんだから、諸行無常である。
なんだか本屋さんで道草する事が、私の人生の大きなウエイトを占めているような気がする。うーん、「気がする」なんてもんじゃないのでは・・・。