紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

遊んでいる?

2007-04-26 23:55:03 | 読書
 先頃ついに完結した橋本治さんの『ひらがな日本美術史』を『件p新潮』の連載時、溺れるように読んでいた時期があった。私は室町時代あたりから、こつこつと休憩時間に読んでいたのだが、あまりに感動したもの(例えば『大津絵』)や度肝を抜かれたもの(例えば『南蛮屏風』)の章のときには、思わず注文してしまっていた。後でよく考えれば、まとめて本になったとき買えばよかったのに、逆上してしまったのだ。

 安土桃山の美術は、なんだか突拍子もないものがあって、ぞくぞくする。南蛮風「世界地図の屏風」とかは、大のお気に入りの逸品である。

 そんなへんてこりんな時代は、世に言う戦国時代でもある、というのがすごい不思議。戦乱に明け暮れていながら、南蛮渡来のものがバンバン入って来て、茶の湯が大名の間で大流行している。戦争と文化が激しく同時進行しているなんて、やっぱりおかしな時代なのだ。しかも贅沢し放題、婆娑羅というパンク?も流行する不思議な時代でもある。

 『ひらがな日本美術史』は、『枕草子』の章立てのように「~のようなもの」「~なもの」とその印象でひとくくりにまとめてある。その中で、ひとしきり笑ったのが『遊んでいるようなもの』というタイトルで、戦国時代の『変り兜』が紹介されている(『ひらがな日本美術史』第3巻/新潮社)。これはもう、写真だけでも一見の価値有り。

 猿の顔で顔面を覆う兜は、動物コスプレみたいだし、天台密教の仏具・金剛杵(こんごうしょ)を握りしめる腕付き兜は、仏のご加護を狙ったものだろう。
 縁起でもないような五輪塔を付けた兜だってある。しかも五輪塔には「南無阿弥陀仏」と書かれており、梵字の型抜きまでしてある凝り様だ。まったくもって、何を考えているんだか・・・。しかしまあ、こんな兜の敵と対面したら、どうしたって一瞬の隙ができるだろう。それを狙ったのか? まさかねえ?

 なぜか丼を伏せたカタチで頭に乗せてみたり、伊勢エビと貝をデザインしてみたり、キンキラキンのサザエをかぶって戦った武将もいたのだ。

 戦国の世で命を賭けて戦う武人たち。でも兜は命懸けに精魂傾けたギャグ。昨日の『件p新潮07/4月号』紙上で、「織部は茶席でギャグを狙っていたと思う」と『へうげもの』の作者、山田芳裕は語っていたが、うーん、安土桃山時代の人は、なんとエネルギッシュなギャグを放つのであろうか。降伏でござる。