紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

お茶でなごむ「へうげもの」日和

2008-04-18 21:32:45 | 読書
 本日やっと、ほぼ半年ぶりくらいに、お茶のお稽古(というのも恥ずかしいようないい加減なものだが)を再開した。最初は先生の体調の都合でお休みが続き、先生がOKになったと思ったら、私が動きが取れず駆け回る日日だった。やっと茶の湯が解禁され、リ・スタートの日となった。

 茶の湯といえば『へうげもの』。古田織部が主人公の骨太な?漫画である。先頃6巻をやっと読む事が出来、なんだかほのぼのしている。

 古田織部の「へうげもの」ぶりには、ますます拍車がかかり、留まる所を知らんのか~?と呆れつつも笑ってしまう。数寄で天下を取る!という野望はもっているものの、彼のその天真爛漫さというかピュアな「へうげもの」ぶりに、思わず「ああ、あんたはあんたのままで充分、もうすでに頂点や!」と声をかけてしまいそうになる。子煩悩やし愛妻家やし、しょーもないプライドや面子ももってへん自然体なとこが、現代においても最先端の男なんや!と、密かに賞賛しているのだ。彼があまりにピュアなので、ピュアを突き抜けて笑ってしまうのだ。「しょーもないもん」をなんにも持ってへん、気持のいいヤツなのだ。

 ひとが自分のセンスをどう見ているのかなんて、そんな気配りも顔色を伺う事も皆無。どう思われていようが気にする事なく、ひたすら自分の趣味に突っ走り、すっかり妄想世界で有頂天になったりするとこ、まるで「ちりとてちん」の喜代美を見るようだ。

 しかしさすがに、数寄への天才的直感での理解力は、恐るべしである。「できる」やつなのに、なんでこんなに天真爛漫なのか。どうにも愛すべきキャラなのだ。

 6巻では千利休の古田への失望と、自らの野望の挫折と、茶の湯への新たな展開を、かたや古田織部の有頂天とスランプと復活を読める。感動や驚愕はさほどないが(古田のつっぱしる「へうげもの」ぶりは別として・笑)、数寄の魂の「へうげ」を介した交流、茶の湯では誰もが平等なフロアにいることの素晴らしさが、しみじみ、ほのぼのと染み渡る、なかなかの余韻が深い巻なのだった。

 古田織部のへうげた奇想のホスピタリティは、伊藤若冲も真っ青です(笑)ぜひ、6巻でご覧ください。必笑間違いなし!!