紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

ヘヴィーな話

2008-04-21 23:58:10 | ノンジャンル
 先日の日曜日、CAP(子どもへの暴力防止)の公開講座に行った。CAP滋賀の主催で、講師はNPO法人SEAN代表の遠矢家永子(とおや かえこ)さん。大阪/高槻市で活動をされている。

 SEANで取り組まれた『(中学生が読んでいる・対象の)マンガ・雑誌の調査分析』「中学生の『性』意識調査」「セクシュアルライツ教育で出前授業実施」などをもとに、いま子ども(中高生)を取り巻く「性」情報の現実を知り、大人ができることを考えるというものである。

 いくつもムネに堪える話はあった。

 たとえば女の子のマンガは恋愛一色。しかもほぼイケメンの彼氏の言いなりで、氷室冴子の「なんて素敵にジャパネスク!」に出てくる私の好きな瑠璃姫のような威勢のいいかっこいい女の子は見かけないそうなのだ。
 ええーっ?いつからそんなことに? ジャジャ馬な女の子というのは35年前の少女マンガでは定番だったのに(古いねん)
 それも「モテるため」の技術のひとつらしいというのだけど。少女向け雑誌はお洒落とダイエットのオンパレードとなるそうだ。そりゃぜんぶが全部そうではないとは思うけど、気になる傾向である。

 それからDV(ドメスティックバイオレンス/配偶者からの暴力)は愛を支配/管理/暴力による束縛という思い込みによって起こるということ。そしてDVの構図がそのまま母親による子どもの支配「あなたのためを思ってしているのよ」にリンクしているというのも、かなり浮「話だった。

 逆に自尊感情を育まれ、支配や管理でない豊かな思い遣りや子どもへの尊敬の念によって育てられた子どもは、DV加害者(男女を問わず)予備軍を見破ることができ、たとえいっときは恋人になったとしても、支配/束縛されることに耐えられなくて逃れることができるという。
 ということは支配/束縛による育て方をされている子どもは、支配と愛を同化しているので、加害者になるのはもちろん、被害者側であっても「これは愛されているゆえのこと」という思い込みから、加害者より逃れる事ができないというのだ。ああ恐ろしい。 

 ただ救いは、女の子を踏みつけにするようなマンガのシーンをパワーャCントで見せると、真剣に「女の子に失礼じゃないか!」と怒る男子生徒がいるという話。中学生くらいの子は柔軟だし、中学生男子は、(たぶん)ごく一部の成人男性のように「女性に失礼な事をしたってなんぼのもん」かと思っている子は少ないと思う。「だって男は生まれつきそういうふうにできているから~」なんて自己弁護するような人と一緒にされること自体、怒っちゃうんじゃないかな、彼らは。

 遠矢さんはジェンダーの人で、そういうと敬遠しちゃう人もいるかもしれないけど、この公開講座のサブタイトルは「誰もが生き生きと暮らしていくために私たちにできること一緒に考えてみませんか」である。ジェンダーとはそういうことでもあるのだ。ほとんど一般理解はされてないけれど、知っている人は知っている。

 男女共同参画についての活動を10年以上にわたり、どんなにひどい嫌がらせを受け続けても粘り強く続けて来られた方がいらっしゃって、その屈する事のない精神力と忍耐力と学習を重ねる努力は驚嘆に値する。そんな彼女の活動を支える礎が何か、ふと漏らされた事がある。
 「だれでものびのび自由に空気の吸えるような、息苦しくない世の中を次代に手渡したいから」
 ほうらね。

 でも時代はもうずいぶんまえから反対方向に向かっているので、彼女らが休息を取れる日は当分こないかも。映画『YASUKUNI』上映中止事件みたいなことは、実はけっこうあるところにはあるのである。