紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

イマドキの大学生

2007-05-26 23:56:53 | ファミリー
 五月も終わりにさしかかろうとしている。

 私が大学1回生のこの時期には、たしか「聖書研究会」を名乗る(実は統一教会の)方にキャンパスを歩いているときにつかまり、熱心に入会を勧められていた。「大学の授業って、つまんないでしょ?」というのが導入部だったと記憶している。すでに「聖書研究会」のことはクラブの先輩から聞いていたので、やんわりお断りした。まだ一般教養の授業がほどんどだったけれど、そう見くびったものでもないと思うんだけどな。

 でも確かに漫然と授業を聞いて、語学以外は家で勉強することはなかった。だからお兄ちゃん、Tくんの猛勉強ぶりには、いささか恐れ入っている。機関銃のように小テストがあり、頻繁にレメ[ト提出の課題も出ているようだ。それでも1回生から専門的な授業も自由に取れるらしく、とても楽しそうに勉学に励んでいる。昨年の夏休みに明け暮れた小論文対策が、大いに役立っている。

 彼は特定の大学に行きたいというよりは、むしろ「とにかく法学部!」にターゲットをしぼっていたのが、結果オーライだったのだろう。五月病どころではない。「藤原道長のもちづき」状態である。

 先日も、佐藤優氏の著書をテキストにしてレメ[トを書き上げ、「できたー、やっとできたー!」と満足げだった。
 高校生の頃読みふけっていた爆笑問題の時事問題の本と肩を並べて、いつしか彼の本棚には背表紙を見ているだけで「おおお~」と感嘆符が付くような(私には)難解な社会分野の本が並んでいる。

 お父さんの本棚から『戦争と人間』(全18巻)を持ち出して積み上げてあったので、「読んでるの?」と聞くと、「うん。いま8巻まで読んだ。めっちゃ面白い!」というので驚愕してしまい脂汗が出そうだった。念のため本の所有者H氏に、「お父さん、『戦争と人間』って、読んだの?」と訊ねたところ、「ああ五味川純平の。もちろん読んでへんで」。おおお~! 

 大学生になってまだ2ヶ月だというのに、そのたった2ヶ月の授業と読書と映画で吸収した彼の知識についていけないときもしょっちゅう。知らない人名がャ塔ンでてくるのだ。私とは畑違いといえばそうなのだけど、だから知らないというのも、やっぱり悔しい。

 映画マニアの親友の影響で、時間があれば一緒に映画を見に行っている様子。大学近辺に映画館は名画座もロードショーもよりどりみどりらしく(しかも激安!!)、『ベンハー』や『十戒』を観たかと思えば、『パッチギ LOVE & PEACE』や『バベル』も観ている。

 先週「スゴい人がいるんや!」という話をしてくれた。初めて話した同学部の人は、中学卒で音楽活動をしつつ弁当屋で働いていたが、このままじゃ駄目だと一念奮起し、大検を受けて合格したらしい。確かにスゴい。
 友だちも多種多様らしく、ときどき広島弁や青森弁のイントネーションがうつってしまっているのが可笑しい。

 凄まじきインプットの季節である。おそるべし、イマドキの大学生。 

正直者です。

2007-05-25 23:13:49 | ファミリー
 お兄ちゃんTくんは、小学校2年生の夏休みに高校野球にハマり、贔屓チームを心底応援した。彼らが最終的に負けたときは、大泣きであった。

 その後、お父さんにグローブとボールを買ってもらい、お父さんが在宅のときには、キャッチボールに明け暮れる日々だった。

 ハンパじゃ無い凝り性の血脈を受け継いだ3代目なので、ハンパじゃ無いくらいキャッチボールに付き合わされたお父さんだった。だがハンパじゃ無い子煩悩なお父さんは、グチひとつ言わず、ひたすら息子に付き合った。休みの日は延々とキャッチボールに明け暮れるハンパじゃない日々だった。

 しかし、さすがにその内、キャッチボール以外のこともしたくなる。バットを買ってもらうことになり、父子は一緒に地元の小さな個人スメ[ツ店へ出かけた。

 お店の主人とお父さんが「やっぱり金属バットやな、よう飛ぶもんな」と意見が一致する。「金色と銀色があるけど、どっちがいい?」と訊ねる父・H氏。

 が、Tくんの反応は予想外だった。

「ぼくは正直者やし、木のバットにしとくわ」

当時家庭内でイソップ寓話の「金の斧」のお話が、ちょっとしたブームだったのである。

神仏習合展

2007-05-24 21:36:28 | おでかけ
 奈良から私を呼ぶ声が聴こえるような気がするほど、気持が引っ張られてついに行った「神仏習合展」は、入ってすぐ、いきなり巨石の三段重ね「須弥山石」に圧唐ウれる。ケースに入っている訳ではないから、どでん!とした展示品の周りをぐるりと回り、ため息をつく。なんやこれは一体! それでも流石に飛鳥時代からの歴史をくぐり抜けて来ただけの物であるので、物体としてだけでなく、その存在感も巨大である。

 それから東大寺二月堂の「お水取り」が、神仏習合儀礼だということも初めて知る。
 「お水取り」の最初の作法として、日本中の神々の名を列挙した神名帳を読み上げ、全国の神々を二月堂に勧請するという式次第だそうだ。

 古代日本人は山自体を神として恐れ敬っていた。山は神の住まう所と信じられていたのだ。山林修行に励む僧侶たちは、神聖な山(白山や比叡山や高野山など)に入ることを許された人達であり、彼らが神仏習合をすすめてきた面があるらしい。弘法大師こと役行者が有名どころである。密教のお坊さんでありながら不思議な神通力をもっている、という伝説があまたある仏教界のスーパースターである。

 それから鏡、三種の神器の鏡なのであるが、これが「懸け仏」(基本は丸形で、壁に鰍ッてお祀りする金属製の仏像。社殿内!に鰍ッられていた)へと推移していくのだ。
 最初は鏡の裏に仏の姿が線で描かれていて、裏は鏡として使用できるものだったのだが、そのうちに裏から打ち出されて仏のレリーフになってしまった。こうなるともう鏡としての用をなさない。おまけに懸け仏が進化するに連れて、最初は鏡だった丸いところがたんなる光背になり、仏像は別にしっかり作られたのが貼付けられたりして、鏡としての原初の姿は見る影もない。この進化の過程が、たいへん興味深かった。

 日本史の授業で習った記憶がうっすらとある本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)。これは日本の神々は、仏菩薩(本地)が衆生を救済するために、この世に現れた仮の姿(垂迹)であるという説である。中世から近世にかけて、神社と寺院が一体化してゆくなかで、最も一般的な説として広まったそうである。これは神仏習合の基本の話である。

 ここで不思議な変換がされる。日吉社は釈迦如来、八幡社は阿弥陀如来など、神社ごとに本地仏が特定されてゆく。そのカテゴライズはどこから出た話なのか? その辺の説明もあってしかるべきかと個人的には思う。その過程で、上記の「懸け仏」ができていったらしいのだが。

 神社に熱心に祈願にいく僧侶たちもいた。
平安時代の後期、俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)が灰燼に帰した東大寺の復興祈願のため、60人の僧侶とともに伊勢神宮へ参詣した。
 その後もさまざまな僧侶のお伊勢参りがおこなわれたようで、伊勢神宮は神社として孤高を保ちたかったようだが、勝手に仏教側から天照大神=大日如来説を提出され、内宮=胎蔵界大日、外宮=金剛界大日と理解され、三種の神器も密教的に解釈したりしている。伊勢神宮にとっては、もしかするとありがた迷惑な話かもしれない。(「ありがた」すらなかったかも?)

 鎌倉時代の明恵上人は、春日フリークともいうべき熱狂的な春日信仰者で、春日明神の神託をうけて、ますます釈迦に帰依したそうである。不思議だ。きっとこの文章の間に、幾多の出来事が省略されているのだろうと思う。

 またファンキーな踊り念仏の一遍上人は熊野に参詣し、熊野権現の神託を受けて、人々に念仏を勧めたそうである。

 う~~ん、神託を受けたのなら、なぜ神様をプッシュしないのか? 展示では時間がないので省略してあったが、その省略の部分に大きな秘密が隠されているのだ、きっと。ここに私の理解を阻むものがあったんだろうな。まだまだナゾが山のように隠されているらしい神仏習合なのであった。

 まあそれでも、宗教対立で争いが絶えないよりは、むしろこのいい加減さに強烈な魅力があるんだと思う。頑なさよりも、したたかさ。筋を通し信義を貫くより、よく分からないうちに融合される面白さ。こういうのが本来日本人の伝統技なのでは? と自分が日本人であることが久々、ちょっと嬉しかったりした。 

奈良はいいのだ

2007-05-23 19:30:20 | おでかけ
 そうなのだ、近鉄奈良駅を降りるとのんびりと「松と鹿」とがお出迎えしてくれるのだ。ホテルや駅ビルや名店街がひしめいて、タクシー乗り場や市バスのターミナルが慌ただしい都市・京都とは、えらい違いなのだ。千年の古都・京都といえど、それより古い歴史と伝統の奈良にはかなわない。奈良の、のんびりした佇まいは別格なのである。

 昔ながらの商店街がゆったりと駅の線路沿いに伸びて、そこを通り過ぎ東大寺に向かって興福寺の国宝館も通り過ぎる。うう、こちらに行けば、阿修羅像や佛弟子たちの像にも再会を果たせるが、今回は涙を呑んで国立博物館のみ。しかしおかげで『神仏習合展』は、ゆっくりたっぷりじっくりと見ることができた。人の入りも丁度いい具合に空いている。

 だってなんといっても神仏習合展である。誰でも知ってる展示品があるわけでもない。これぞという美術品が来る訳でもない。そもそも「神仏習合」すら興味はおろか、知る人も限定されるのではないか。なんとマニアックな企画であろうか。まあ、奈良の博物館は「涅槃仏の世界展」とか昔からマニアックな企画を打ち出していたので、今に始まったことではないが、それにしても来館者を選ぶ大冒険企画ある。

 今回の目玉といえば須弥山石(しゅみせんせき)くらいかもしれない。これは山形に加工された大型石像物で、須弥山は仏教的宇宙観にいう世界の中心に聳える山で、頂上には帝釈天が住む宮殿があるとされる。しかしこんな巨石に文様を彫り表しているのは、なんだかアミニズムや神観念を意識した感じでもある。

 予想を上回る大きさで、見上げる程の迫力だった。運び込むのも大変だったろう。そのためか入口すぐのところでの展示だった。東京国立博物館所蔵のものなので、関東方面の方はご存知かもしれない。飛鳥時代の物であり、「世界の中心」とはいえ、この石の前で愛を叫んだ訳ではなく、政治的な誓約や、天皇への服属儀礼が行われたらしい。

 と言う感じで、やっぱり神仏習合は難解なのだった。
 当然のことながら、すっきりくっきりと解るものでもないのだろう。でもだからこそ魅力的なのかもしれない。ナゾがいっぱい、というものに対して、ドキドキするのは人の常なのである。「○○をみたで~~!」という興奮はないが、「よくわからへんけど、ムネがドキドキする~♪」という状態なのだ。それでも、一部理解できた(ほんまか??)ところで大変興奮したりもした。

 僧形や男像、そしてあろうことかホトケに変換される神様たちや、神社にお参りする有名なお坊さんたち、神器である鏡の変遷や、密教や修験道など、大変興味をそそられる事実などは、本当に面白かった。その辺の話をうまくまとめられたら、明日も話題は続きます。まとめられるかが大問題なんだけど。いや、たぶん無理でしょうが、ま、まとまらなくても書き留めておかなくてはね。

奈良へ

2007-05-22 21:49:38 | おでかけ
 奈良へ行ったのは何年ぶりだろうか? 軽く10年以上は経っている。

 しかもそのときは幼児のTくんをつれての遊園地、「奈良ドリームランド」行きだったので、あんまり奈良らしくなかったな。いや、ドリームランドはなかなか面白かったんだけど、昨年の夏、8月31日をもって幕を閉じてしまった。「ジャングル巡航船」のアトラクションはほぼ20年ぶりだったが、数分間でゴキゲンな「世界一周の旅」!!だった。突如にゅ~っと飛び出して来る機械仕鰍ッの大蛇模型?に驚愕したH氏にも、ウケまくっていた。

 いやドリームランドの話ではない。やはり奈良と言えば寺院、そして仏像だろう。それでこそ、奈良である。鹿、という選択肢もあるが、やはりそれだけでは寂しい。葛、という選択肢もあるが、お土産を買いにくるだけじゃなかろう。

 本日の目的は奈良国立博物館で開催されている『神仏習合展』である。ぼんやりとしか理解出来ていない神仏習合について、この際きちんと整理する良いチャンスになるかと思い、行ってみたかったのだ。昨年末のみうらじゅん先生の講演会のまとめにもなる。

 JR京都駅で近鉄特急に乗り換える。京都ー奈良間は特急で34分。案外近い。終点「近鉄奈良駅」で降車し、しばし歩く。

 松が涼しげな奈良公園では、穏やかな鹿たちがのんびりと歩いている。歩道のサイドには、20メートルおきくらいに、小さなタコヤキ屋さんくらいの規模の「鹿せんべい屋」さんが屋台を出し、そのそばには、必ず1匹はマスコット・ディアがいる。

 それ以外にも、自由に鹿が歩道を歩いている。ヒト慣れしているので、撫でるのも可能だ。鹿と戯れるカップルや鹿とツーショット・フォトを収める人々の他、修学旅行の生徒たちに「鹿のフン」について説明をされる案内人の方もいらした。道路沿いに黄色の地に鹿のシルエットが走る菱形の交通看板もある。「鹿注意!」という標識なのだ。

 ああ、いつしか「奈良と言えば鹿」話題になってしまった。今日は鹿話題が長引いてしまったため、続きは明日。

 (国立博物館までの道沿いに「氷室神社」という神社があった。氷関係のお仕事の方がお参りされる神様らしい。これを見つけた時には、デジカメを持って来なかったことが非常に悔やまれた。残念!)