行こうか、行くまいか、それが問題だ。今日の予定が突如キャンセルになったため、昨日から迷いに迷っていた、京都国立博物館の狩野永徳展に行くことにした。
狩野永徳は特に好き!という訳でもない。でも単に良く知らないだけで、もしかしたら掘り出し物件が見つかるかもしれないし、行った方がいいのかも?ということで、迷っていたのだ。
最終的には、今日の午前9時半に、博物館のHPの「混雑状況」を見たら「待ち時間0分、鑑賞環境=快適」とあったので、即決。これは開館直後の情報だし、着くまでには状況は変化するので、賭けでもある。
それでも25日に出たばかりの『件p新潮11月号』は、狩野永徳の特集だし、今週の『新・日曜美術館』(10月21日)でも特集されたので、早めに行った方がいいに決まっている。
10時過ぎに家を出て、11時半には現地に居た。やはり待ち時間0分。しかし会場内はさすがに混み合っている。特に今回の目玉である国宝『洛中洛外屏風図』の前は黒山の人だかりで、スタッフの方が「たいへん混み合っておりますので、ゆっくりと前にお進み下さい」と連呼される。でも動かない、動かない。これには、すっかり興が削がれ、列につく気力もなくなり、ヒトの隙間隙間から垣間見える金碧屏風図をちらりちらりと見るのみ。
でも鑑賞人たちが動かないのにも訳がある。この絵は巨大なのに細密画なので、上から下まで、隅から隅まで見ようと思ったら、時間がかかってしょうがない。別の部屋に、この絵の詳細な解説付のレプリカがあれば、混雑ぶりも緩和されるのにな。
私は『四季花鳥風月図』(これはいかにも私好みな少女趣味的日本情緒!)以外の金碧屏風図は、ゴージャス過ぎて胃もたれしそうだった。むしろ水墨画の方が好もしい。風にそよぐ松や柳の風情、大胆に襖に描かれた松や梅は、思わず「こういうの、ウチにあったら、かっこええなあ~」と気分はすっかり戦国大名。
それから龍や虎の表現のキュートさったらない。虎を描いた水墨画って、なぜかムネがきゅうんとなるくらい、キュートなんですよね。虎って猛獣やなかったんかい~?とつっこみたくなるくらい、猫よりはるかに可愛らしい。日本人にとっては、龍同様、見た事の無い動物だし、愛をこめた画家の想像力で虎が描かれているのかもしれない。
狩野派の絵って、私にとっては魅力薄だったんだけど、動植物の表現や、風や空気の流れる様子の繊細な描き方には脱帽。松葉のそよぎや柳の垂れる枝ぶりの様子から、彼らは風までも描けるのだ。
自然に対する観察眼と愛がなければ、これほどの表現は無理でしょうね。
「そうだ、京都に行こう」と思い立って1時間以内には京都駅。帰宅は午後3時なれど、駅前の京都中央郵便局で振込をしたり、京都駅の伊勢丹で開催されていた「富山・長野物産展」にて、本日の夕食材料(車麩と鮭の切り身)の調達などの家事も込みの、実り多い一日でした。
狩野永徳は特に好き!という訳でもない。でも単に良く知らないだけで、もしかしたら掘り出し物件が見つかるかもしれないし、行った方がいいのかも?ということで、迷っていたのだ。
最終的には、今日の午前9時半に、博物館のHPの「混雑状況」を見たら「待ち時間0分、鑑賞環境=快適」とあったので、即決。これは開館直後の情報だし、着くまでには状況は変化するので、賭けでもある。
それでも25日に出たばかりの『件p新潮11月号』は、狩野永徳の特集だし、今週の『新・日曜美術館』(10月21日)でも特集されたので、早めに行った方がいいに決まっている。
10時過ぎに家を出て、11時半には現地に居た。やはり待ち時間0分。しかし会場内はさすがに混み合っている。特に今回の目玉である国宝『洛中洛外屏風図』の前は黒山の人だかりで、スタッフの方が「たいへん混み合っておりますので、ゆっくりと前にお進み下さい」と連呼される。でも動かない、動かない。これには、すっかり興が削がれ、列につく気力もなくなり、ヒトの隙間隙間から垣間見える金碧屏風図をちらりちらりと見るのみ。
でも鑑賞人たちが動かないのにも訳がある。この絵は巨大なのに細密画なので、上から下まで、隅から隅まで見ようと思ったら、時間がかかってしょうがない。別の部屋に、この絵の詳細な解説付のレプリカがあれば、混雑ぶりも緩和されるのにな。
私は『四季花鳥風月図』(これはいかにも私好みな少女趣味的日本情緒!)以外の金碧屏風図は、ゴージャス過ぎて胃もたれしそうだった。むしろ水墨画の方が好もしい。風にそよぐ松や柳の風情、大胆に襖に描かれた松や梅は、思わず「こういうの、ウチにあったら、かっこええなあ~」と気分はすっかり戦国大名。
それから龍や虎の表現のキュートさったらない。虎を描いた水墨画って、なぜかムネがきゅうんとなるくらい、キュートなんですよね。虎って猛獣やなかったんかい~?とつっこみたくなるくらい、猫よりはるかに可愛らしい。日本人にとっては、龍同様、見た事の無い動物だし、愛をこめた画家の想像力で虎が描かれているのかもしれない。
狩野派の絵って、私にとっては魅力薄だったんだけど、動植物の表現や、風や空気の流れる様子の繊細な描き方には脱帽。松葉のそよぎや柳の垂れる枝ぶりの様子から、彼らは風までも描けるのだ。
自然に対する観察眼と愛がなければ、これほどの表現は無理でしょうね。
「そうだ、京都に行こう」と思い立って1時間以内には京都駅。帰宅は午後3時なれど、駅前の京都中央郵便局で振込をしたり、京都駅の伊勢丹で開催されていた「富山・長野物産展」にて、本日の夕食材料(車麩と鮭の切り身)の調達などの家事も込みの、実り多い一日でした。