紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

狩野永徳展

2007-10-26 23:19:37 | アート
行こうか、行くまいか、それが問題だ。今日の予定が突如キャンセルになったため、昨日から迷いに迷っていた、京都国立博物館の狩野永徳展に行くことにした。

 狩野永徳は特に好き!という訳でもない。でも単に良く知らないだけで、もしかしたら掘り出し物件が見つかるかもしれないし、行った方がいいのかも?ということで、迷っていたのだ。

 最終的には、今日の午前9時半に、博物館のHPの「混雑状況」を見たら「待ち時間0分、鑑賞環境=快適」とあったので、即決。これは開館直後の情報だし、着くまでには状況は変化するので、賭けでもある。

 それでも25日に出たばかりの『件p新潮11月号』は、狩野永徳の特集だし、今週の『新・日曜美術館』(10月21日)でも特集されたので、早めに行った方がいいに決まっている。

 10時過ぎに家を出て、11時半には現地に居た。やはり待ち時間0分。しかし会場内はさすがに混み合っている。特に今回の目玉である国宝『洛中洛外屏風図』の前は黒山の人だかりで、スタッフの方が「たいへん混み合っておりますので、ゆっくりと前にお進み下さい」と連呼される。でも動かない、動かない。これには、すっかり興が削がれ、列につく気力もなくなり、ヒトの隙間隙間から垣間見える金碧屏風図をちらりちらりと見るのみ。

 でも鑑賞人たちが動かないのにも訳がある。この絵は巨大なのに細密画なので、上から下まで、隅から隅まで見ようと思ったら、時間がかかってしょうがない。別の部屋に、この絵の詳細な解説付のレプリカがあれば、混雑ぶりも緩和されるのにな。

 私は『四季花鳥風月図』(これはいかにも私好みな少女趣味的日本情緒!)以外の金碧屏風図は、ゴージャス過ぎて胃もたれしそうだった。むしろ水墨画の方が好もしい。風にそよぐ松や柳の風情、大胆に襖に描かれた松や梅は、思わず「こういうの、ウチにあったら、かっこええなあ~」と気分はすっかり戦国大名。

 それから龍や虎の表現のキュートさったらない。虎を描いた水墨画って、なぜかムネがきゅうんとなるくらい、キュートなんですよね。虎って猛獣やなかったんかい~?とつっこみたくなるくらい、猫よりはるかに可愛らしい。日本人にとっては、龍同様、見た事の無い動物だし、愛をこめた画家の想像力で虎が描かれているのかもしれない。

 狩野派の絵って、私にとっては魅力薄だったんだけど、動植物の表現や、風や空気の流れる様子の繊細な描き方には脱帽。松葉のそよぎや柳の垂れる枝ぶりの様子から、彼らは風までも描けるのだ。

 自然に対する観察眼と愛がなければ、これほどの表現は無理でしょうね。

 「そうだ、京都に行こう」と思い立って1時間以内には京都駅。帰宅は午後3時なれど、駅前の京都中央郵便局で振込をしたり、京都駅の伊勢丹で開催されていた「富山・長野物産展」にて、本日の夕食材料(車麩と鮭の切り身)の調達などの家事も込みの、実り多い一日でした。

ちりとてちんの「お母ちゃん」

2007-10-25 23:54:43 | テレビ
 時間の許す限り必死のパッチでNHKのテレビ小説『ちりとてちん』を見ている。夜19:30~もBSで再放送があり、なかなか助かっている。

 主人公の母、糸子さん(和久井映見)が大層魅力的。常識的にはズレてたりしているんだけど。たとえば大阪に行った娘へ、彼女が必要と思ったいろんな物を箱詰にし、郵便局で送ろうとでかけるのだが、ふと気が変わり!? 箱を持ったまま、買い物カゴを下げたまま、電車で大阪まで行ってしまう、とか。行方がわからなくなった娘を、彼女からの短い電話で漏れ聞いた店名をヒントに、娘の匂い??をくんくんと追いかけて、しっかり娘の元に辿り着くあたりが、正統な日本の母なのだ。いや、ほんとに。

 彼女は全身全霊で「おかあちゃん」をしているので、自分の人生を微塵も疑っていない。そもそも、あんまり考えない人なのだ。ほぼ、直感のみを頼りに生きている人とみた。理論的根拠は無いけれど、揺るぎなく存在している人。理屈はないけど「そう思うから」という直感で判断し行動する人。でまた、彼女の直感は、えらくカシコイ。

 娘にとってベストな道は何なのかを、娘を凝視ししていくなかで判断を下す。自分の価値判断や、世間一般の価値判断ではなく、逐一ただ娘を見つめていることで、わかってくるのだ。バイアスのかからない無欲の愛情によって、自然な母親の直感が正確に働くのだ。

 先週は母娘のちょっと切なくも温かい「親離れ/子離れ」の話で、二人の駅での別れのシーンなんかは、何回みても泣いちゃいます(何回見てるねん!?)

 一日の一回分のクオリティが高いので、ドラマ的にも毎日満足。特に主人公・喜代美の「妄想シーン」、まるでここぞとばかり、かなり丁寧に、かつ贅沢に作られているので何回見ても唸ってしまう(だから何回見てるねん!?) 

 いよいよ今週から、話が転がり出してきた。メインロードの落語ワールドにどんどんはまってきた。今週の話の先がちょっと読めて来たけれど、それを役者さんたちが、どう演じるかというのが楽しみで、楽しみで。できれば土曜の一週間分のをまとめて見たいけど、何回見たら気が済むねん!という話になるので、時間があれば、ということで(やっぱり見るんかい!?)

忙中、笑あり。

2007-10-24 23:04:47 | ファミリー
 今日も仕事。帰宅途中に買い物をして、帰って即座に子供用のご飯を作って・・・と計画は練っていたが、電話は鰍ゥるし、お兄ちゃんは大学の体育の授業で肩を怪我して腕が上がらないし、空いている整骨院に送り届けたりして、てんやわんや。

 でも今日は家族各自より、とびきりの面白い話を聞けて、3日分くらい笑った。このみっちりな日々をストレス溜めずに過ごせるのは、やっぱり家族のメンバーが持ち帰る笑える話、マニアックな笑いを発見して、それをシェアする事、話術とパフォーマンスの素晴らしさを惜しげも無く披露してくれるので、どんどん肩の力が抜けて来る。

 ちなみにお兄ちゃんの大学は、体育の種目が何ヶ月か毎に変わるようで、この間まで「ゲートボール」だったのに、いきなり「アメリカンフットボール」に変わっているのだ。それで肩から転んで打撲である。華奢で小柄なのに「アメフト」!? まあ授業でする分には肉弾戦も激しくはないだろうが、それにしてもギャップが大きい。まさかウケを狙っているのだろうか? 聞いてみたら本気で「ゲートボール」も「アメフト」も好きなのだそうだ。

 Kちゃんも塾が終わって帰りの車の中で、「ああー、今日は面白かった!!」とその日のトピックスを語ってくれる。先生の口真似で。
「おう、(ホワイトボード用の)定規持って来るの忘れたやけ! ちょっとだけ、待っててくれやー」と教室を飛び出し、階下に定規を取りにいかれた。

 その間、生徒たちは何分で先生が戻るかカウントをしたら、丁度30秒だったらしい。はやい!! 3階から1階まで1往復を30秒! しかも決してお若くはない。

 戻って来た先生は大汗をかき、息を切らせていた。「今日は暑いのう!」と息も絶え絶えに呼び鰍ッる先生に、「それは走って来たからやろ、暑いの、あんただけや」と心の中で、そっとツッコムKちゃんであった。

 それにしても、W先生! どうかどうか、ご自愛のほどを! KちゃんのW先生そっくりの口調をしばしば聞いているので、どんどんW先生に感情移入してしまい、大変に愛すべきおっさんとしてKちゃんに洗脳されてしまいました。

 もっとも10月下旬というのに、確かに気温は高かったみたい。お父さんH氏とKちゃんは、わざわざ舗装されていない田んぼ道を通って塾に向かったのだが、そのとき未だかつて見た事がないようなでっかい、太さ5センチのとぐろを巻いた「マムシ」を目撃したそうなのだ。H氏は「最初、ホースかと思た。浮ゥったヨー!!」と心底驚愕したらしい。Kちゃんは当然、ハイテンションである。

変わっていない。

2007-10-23 01:02:07 | おしごと
 残念ながら今日の話は、全然楽しくない話である。が、記しておくべきことだし、重要なことだと思うので、あえて取り上げる。少なくとも「忘れてはいけない」ことなので。

 今日は図書室を閉めて整理作業。書架整理をしようと思っていたけど、棚がぱんぱんになってきたので、開架分を閉架にすべく古い情報となった本を抜いて行った。

 社会問題を重点的に取り扱っているので、3類は4桁になり細分化されている。にも関わらず、4桁ひとくくりの分類で一棚6段くらいがぎっしり。

 請求記号367.3は「家族関係」の分類になる。この棚のはやりすたりはダイナミック。15年前は「家庭内暴力」「夫からの暴力」というタイトルのキーワードが、いまや「ドメスティックバイオレンス」(略してDV)となり一般に認知もされている(はずである)。

 一時爆発的に流行った「アダルトチルドレン」(略してAC)という言葉をみると、
「ああ、そういえばそういうのがあったなあ。でも一般的に認知されていないうちに、下火になったなあ」と何だか感慨深かった。

 請求記号367.4の「結婚、夫婦、カップル」の棚も、時代の流れを感じる。農家に嫁が来ないということで「男が結婚出来ない」「フィリッピンからきた花嫁」「花婿学校」などというタイトルがちらほら見られるが、「結婚しない、できない」のが近い未来には定職につけないから(正社員になれないから)、という理由からになるとは、その頃は予想もしていなかった。

 367.7はお年寄り、高齢社会についての棚になる。こちらはまだ「遠くない高齢化社会」という未来の話として、ややのんびりムードが漂っている。この棚のお金や経済や家計も、たぶん「年金」があることを前提に繰り広げられているので、「50代くらいから準備してがっちりやっていけば未来はバラ色」みたいな感じだったりして。年金をはじめとして、社会保障全般が縮小削減されていくことになるとは、知る由もなかったなあ。

 なんだか、この15年ほどで、社会問題が加速度的に発掘されている気がしないでもない。それでも上記の棚は本がどんどん抜けた。すでに古くなっている問題もあるのだ。

 愕然とするのは367.6の棚なのだ。青少年問題の棚である。かつての問題は今もまだ未解決のまま、それどころか一層加速しているだけ。いじめはなくなるどころではないし、虐待される子どもたちは後を断たない。ショッキングな事件もあったから、認知度はかなりあったはずなのに。この変わらなさはなんなんだろう? 370の教育の棚にも、このたぐいの本は多い。、「問題が古いから」という理由でなら、抜く本は無い。

 結局子どもたちは、ずうっと置き去りにされているのだろうか。大人によって。議論や評論は山のように書かれ、委員会や評議会も繰り返し作られて対策を考えられているはずなのに、根本的には何もなされていない(のだろうか?) 苦しむ子どもたちは、また今日も増えている(のだろうか?)
 

寝過ごしましたぁ(泣)

2007-10-22 14:59:05 | テレビ
 あれほど昨日楽しみにしていた『週刊ブックレビュー』。0時にテレビの前にスタンバイ、だったはずが・・・。

 意外に早く家事が終了し、やれやれと思ったとたん、どっと睡魔が。番組が始まるまで、あと30分もあるし・・・。

 お兄ちゃんが隣の部屋でごそごそしていたので、「0時に起こしてや~」とお願いすると、「ボクももうすぐ下行くで」。「そしたら下行く時、起こして」・・・しかし、あまりに気持ちよく私が爆睡していたらしく、(たぶん)気の毒がって起こすこと無く階下にいったらしい、ということに気付いたのは、ふと目覚めた0時40分だった。

 目覚めたとたんにすばやく時計をみると、0時40分だったのだ!!
 
えぇ~~!?

 寒いので布団を身体に巻き付けながら、隣のテレビの部屋へ。すでに岸本佐知子さんは誠心誠意、インタビューに応えておられる最中だった。ファースト・エッセイ集『気になる部分』で自分を「ダメダメな人」と書かれておられたが、清楚で知的で誠実な、さらには、つつましやかな美人ではないですかぁ。

 インタビューの質問が、あまりに当たり障りがないので、岸本さんのカゲキな部分にNHKが恐れをなしているのだろうか?と怪しむ。いや、私は途中からみたので、もしかして最初の質問は面白かったのかもしれないし・・・。 それともあの過激さは、ペンを握ったときに発揮される秘撃ネのかもしれない。

 そう、みかけに騙されてはいけない。岸本さんは、麻薬的に痺れるほど毒のある文章を書く人です。そこがいいのだ。そこがムネがすくのだ!

 ところで、番組が半分以上観られなかったにも関わらず、ややショックながらも、さほど気落ちしていなかったのは、H氏に録画を頼んでおいたから♪ 明日、残り、観よ。そう思いつつ、1時に心地よく眠りに落ちた。

 翌朝、「起きてるぅ~?」とH氏を起こしにいけば、すでに起床していた彼は、地の底から響くような、悲痛な声で何か言った。
 よく理解出来なかったけど非常に悪いことが起こったらしいので、「どーしたん?? もしかしてムカデに噛まれたの?」と心配して聞き返す。

「録画、忘れた~・・・」

そのとき、心の底から我家ではKちゃん以外の人を信用してはいけないと、肝に命じたのでした。もちろん、自分自身もね。