昨夜は相談員研修で午後9時まで面接練習を
カウンセラー同士でやってきました。
私は(老い)について語りました。
私にも母にも叔母にも ひたひたと迫る喪失感に
どう向き合えばいいのか 整理したくて。
メールで、高峰秀子さんの生き方を紹介していただきました。
「人間、誰しもいずれ死んでしまうのです。
死ぬということに対しての準備というのも、せざるをえないです 」
老いを前に身辺整理をすませ、生活を簡略化し、年相応に謙虚に生きる
身辺整理の手始めに、洋服や来客用の食器類、家具調度品を処分した。
「未練がないというのは建前で、本音は、歯ぎしりするほど悔しい気持ちもありました 」
住んでいた麻布の一等地の古い教会建築を「 半分やけくそでブッ壊し 」
LDK・書斎・寝室だけの小さい家に建て替えた。
「物への執着は捨てても、物にまつわる思い出だけは胸の奥に残るでしょう 」
高峰さんの描いた 老後の生活 のお手本は 吉田兼好の「 徒然草 」で
『 身死し財(たから)残る事は、智者のせざる処なり 』 だったそうです。
私も、そろそろ必要でないものを決めて 手放す整理をはじめましょう。
将来、末期癌で入院するにしても、身体が動かなくなり障害者施設へ入所するにしても、
持ってゆける荷物は身の回りのごくわずかです。
アウシュビッツへ送られたユダヤの民は、精神と身体のみでした。
死は、それさえ失います。
いつ、どんなかたちで死を迎えても良いように覚悟しておくと、
少しはパニックに陥るのをふせげるでしょうか。
生活を簡略化し、することと しなくていいことの優先順位を決めます。
年相応に謙虚に生きるというのは、気持ちの良いことです。
私が私らしく自然に振舞えて、自然に人々の中に埋もれて消えてゆくような
暮らしが穏やかで、居心地がよさそうです。