一期一振(いちごひとふり)は、粟田口吉光作の日本刀のことです。
粟田口 吉光(あわたぐち よしみつ)は鎌倉時代中期の刀鍛冶。
正宗と並ぶ名工で作品は短刀ばかり。
太刀はこの1振しか作らなかったので「一期一振」と呼ばれた。
フリー百科事典によれば、
一期一振を朝倉氏が所有していたが滅亡後に毛利氏にわたり、
毛利輝元から豊臣秀吉に献上され、大坂夏の陣で焼けてしまった。
徳川家康は、越前康継に焼けた一期一振を打ち直させ
蘇った一期一振は尾張徳川家で所蔵された。
幕末。文久3年(1863年)、尾張藩主・徳川茂徳より孝明天皇に献上されて
以後、皇室御物となっている。
優れた作品だと、どんな時代でも大切にされ続けるのですね。
料理・建造物・芸術・研究なども、
自分が居なくなった後も作品が残って
「私はこれをやった!」っていう達成感が味わえそう~。
私の仕事は、心理カウンセリングや講師だから
眼に見える形が残りません。
扱う対象も「こころ」という眼に見えないものです。
せめて辛くなったときに思い出してもらえるように
誰かの想いの中で ひっそりと
生き続けられたら幸せだなあ。
粟田口 吉光(あわたぐち よしみつ)は鎌倉時代中期の刀鍛冶。
正宗と並ぶ名工で作品は短刀ばかり。
太刀はこの1振しか作らなかったので「一期一振」と呼ばれた。
フリー百科事典によれば、
一期一振を朝倉氏が所有していたが滅亡後に毛利氏にわたり、
毛利輝元から豊臣秀吉に献上され、大坂夏の陣で焼けてしまった。
徳川家康は、越前康継に焼けた一期一振を打ち直させ
蘇った一期一振は尾張徳川家で所蔵された。
幕末。文久3年(1863年)、尾張藩主・徳川茂徳より孝明天皇に献上されて
以後、皇室御物となっている。
優れた作品だと、どんな時代でも大切にされ続けるのですね。
料理・建造物・芸術・研究なども、
自分が居なくなった後も作品が残って
「私はこれをやった!」っていう達成感が味わえそう~。
私の仕事は、心理カウンセリングや講師だから
眼に見える形が残りません。
扱う対象も「こころ」という眼に見えないものです。
せめて辛くなったときに思い出してもらえるように
誰かの想いの中で ひっそりと
生き続けられたら幸せだなあ。