あるがままを受容する難しさを改めて感じている。
たとえば、相談者と窓辺の花を一緒に眺める。
白い花を、相談者が黒い花だと言えば、
あたかも黒い花として話を聴く。
黒の意味をわかろうとする。
これを17年も、毎月練習しているのに
今でも 自分の価値観が邪魔をして 聴けない話がある。
そういう時、誰かと交替しないと 相談者に申し訳ない。
ところで
あたかも黒い花として話を聴いたとしても
現実に、私は 白い花にしか見えない。
私の色覚異常かもしれないし、白だと主張してよいだろうか?
写真を撮ってスーパーバイザーに見ていただく
この花、先生は何色に見えますか?
これは、黄色でしょう
え?黄色ですか・・・
いずれ相談者と話がずれるのは 当然である。
私達は、違う個性を持つ 全くの別人なのだから
相談が終結する手前での対決を 避けては通れない。
7月の産業カウンセラー実践講座で
長谷川先生に注意されたこと。
あなたの優れた所でもあるのだが、
白を、あたかも黒く見る能力が高すぎて
白が曖昧になる、つまり客観性に欠ける。
だから、批判ができない。
何が正しくて、何が正しくないか
真に 判断できないにしても
少なくとも、社会性のつまづきは
生きる悪知恵?で、転倒予防ができるだろう。
信頼関係が充分に深まったら
<ここを、変えよう!>
と対決できる私になりたいものだ。
相談者の立場で考えることができたら
同時に、相談者の周囲の人々の気持ちや
不満や批判も、想像できなくては
起きている問題をよく理解できない。
私の人生で学んだ価値観に自信を持つと同時に
自由な発想も育めますように。
ということで・・
8月からは、意見を求められたら
受容的な視点と、批判的な視点から
同時に考える特訓をはじめよう。