いよいよカンボジア旅行記も最終章となります。
最終日の午後です。
お昼ご飯を終えてから、トゥクトゥクは田園地帯を進みます。
こちらの田んぼは収穫はまだまだ先。
こちらの田んぼは、穂が垂れてきています。
こちらは、ニ期作。
こんな穂が実っています。
稲の背高は、コシヒカリよりひょろっと高い感じ。
それと近くには大きなアリ塚が至る所にありました。
見ると強そうなアリが忙しそうに動いています。
途中、とても古い遺跡が見えましたが、私たちは素通り。
私たちの目的は、こちらでした。
ちっちゃな看板が立っているだけで、うっかりしていると通り過ぎてしまうところ。
1973年、今から40年ほど前に20代で亡くなった戦場カメラマン 一ノ瀬泰造さんのお墓です。
とてもとても辺鄙なところにあります。
トゥクトゥクを降りて、最後は徒歩で進みます。
地元の子供たちが水遊びを楽しんでいました。
そして、しばらく歩くと、実に簡単な橋がかかっていました。
この橋は、ここを訪れる方用に最近HIS(旅行社)が架けられたそうです。
と言うことで、その前はもっと簡単な橋だったとのこと。(昨年も来たま~とん談)
橋を渡り、田んぼ道を進むとお墓がありました。
今回のカンボジア行きに際して、泰造さんの映画を見てきていたので、感慨深く合掌です。
ただ、この写真で拝んでいるY隊長。
ここに着いた途端、何と強烈に便意が・・・。
しか~し、こんなところにトイレなんてありません。
もちろん紙も・・・。
そこで、手を拭くように持っていたウエットティッシュを片手に、このお墓の裏手の草むらへと一目散。
しばらくして、安堵の表情をしたY隊長は、何も無かったように戻り、お墓にお参りをしていました。
草むらで何をしてきたかは、ヒ・ミ・ツ・・・。
こんなところにお墓があるなんて?
と言うようなところですが、墓守の方がおられます。
コォン・トゥンさんだったかな?
不思議なことに、この方は私たちが来た時には姿はどこにも見え無かったのですが、気が付けばいつの間にか、すぐ横におられました。
服装は、何故か軍服です。
この付近で見かけた男性の方は、軍服姿の方が多かったです。
実に不思議な方ですが、とても誠実な印象でした。
そして、たどだとしい日本語で説明をされます。
お墓の前には、ちっちゃな資料館がありました。
ノートが置かれていて、私たちも本日訪れた気持ちを記すことにしました。
この日、私たちが来る前に二人の方が訪ねて来られていました。
男性と女性です。
一人旅のようですが、泰造さんへの思いでこの地まで来られたのでしょう。
周りはのどかな風景。
泰造さんも当時こんな風景を眺めておられたのでしょうかな?
写真などを見ていると、農作業中のおばちゃんたちが近寄って来られました。
稲刈り鎌の説明などを聴きながら、日本のコンバインを勧めておきました。
初対面のそれも外国人の私たちと、とても気さくに接して頂きました。
ありがとうございました。
お墓を後にして、途中にあった農家を訪ねました。
このおばさんも、とても気さくな方でした。
刈り取ったもみを干されています。
日本の援助で作られた井戸です。
家の敷地内には、ヤシの実。
そして、マンゴー。
それとバナナ。
突然お邪魔をさせていただき、申し訳ございませんでした。
それから、トゥクトゥクは相変わらずの田園地帯を走り抜けていきます。
そして、辿りついたのが、地雷博物館。
その前にちょっと休憩です。
サムライと言う飲み物ですが、ネーミングはカッコよさと言うことだけらしいです。
お味は、まぁまぁ。
ちなみにここのレストランで調理をされていた女性は、片足を地雷で失われていました。
それでは、喉も潤したので入場です。
地雷博物館は、6年前に訪れた時は、もっと違うところにあり、とても小さく粗末な手作り感あふれるところでした。
それが今では、とても近代的に変わっていました。
そのため、入場料3ドルが必要になっていましたが・・・。
この博物館は、元クメール・ルージュの少年兵で、現在は地雷撤去人として活動されているアキー・ラー氏によって建てられました。
カンボジア各地から撤去されてきた地雷・爆弾などが展示されています。
私たちが行った時に、日本の若者たちの姿もありました。
地雷の恐ろしさが伝わってきますが、まだカンボジア各地には数多くの地雷が放置されたままです。
地雷博物館を後にして、またまた田園風景の中、街へとトゥクトゥクは進みます。
途中、事故現場を通りました。
カンボジアは、右側通行。
バイクは免許の必要無し。
道路交通法も????
そして、シェリムアップの街には、信号が5つしかありません。
実のところ、トゥクトゥクで移動中、とても怖い目を何度もしています。
よく事故が起こらないものだと不思議に思っていたのですが。
それから訪れたところは、一ノ瀬泰造さんがとてもお世話になったと言う食堂です。
今は、当時の場所から移り、とても大きくそしてきれいな店になっています。
中に入るとお店の一室に泰造さんのコーナーがありました。
そこで私たちは、泰造さんが好きだったメニューのスープを頂きました。
実にあっさりスープです。
そろそろ日も暮れてきた時に、現地のインターネットカフェへ。
初めての体験です。
そこで、「もりのぼたもち」を開けて見ることができ、ちょっと感激。
それから、いよいよカンボジア最後の晩餐です。
ここで、三日間お世話になったドライバーさんとお別れ。
色々とわがままなコースに付き合っていただき、本当にありがとうございました。
また、いつか機会があれば・・・。さようなら。
私たちは、洒落たレストランで夕食です。
と言いましても、こんなカンボジア料理は苦手な私。
結局、ピザだけを頂きました。
段々とカンボジアを離れる時刻が近づいてきました。
夕食後に、最後のマッサージ。
またまた、60分5ドルのコースです。
相変わらずの安さですが、内容は抜群。
お姉さんありがとうございました。
マッサージを終えて、私たちは一旦チェックアウトしたホテルに戻り、シャワーをお借りし、カンボジアの汗とほこりを洗い流しました。
そして、いよいよ空港へ。
あっという間のカンボジアでしたが、なかなかツアーでは行けないところを巡り、色々な人にお会いしました。
それと、何とか終えることができたハーフマラソン。
とても辛いレースでしたが、大きな感動です。
それに何と言っても、素敵なガイドさん、ソフィア。
私たちのニーズをしっかり遂行して頂き、貴重な体験、素敵な出会い、楽しく思い出に残る旅のサポートをありがとうございました。
元気であの時語っていた夢に向かって、がんばってください。
ソフィアとのお別れを惜しみながら、深夜カンボジアを後にしました。
寒い日本に戻ります。