現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

エーリヒ・ケストナー「あきらめは観点ではない」子どもと子どもの本のために所収

2016-12-04 11:52:31 | 参考文献
 1953年のミュンヘン国際児童図書館における、イスラエルの児童画展の開会式に際してのあいさつです。
 ここでのケストナーの言葉は、いつにはなく歯切れの悪いものです。
 ご存知のように、第二次世界大戦で、ナチスドイツは、たくさんのユダヤ人を虐殺しました。
 終戦から十年もたたない時期に行われたスピーチなのですから、歯切れが悪いのは無理もありません。
 ケストナーは、つぐなえないものがあることを述べています。
 その一方で、ユダヤ人によるイスラエルの建国によって、中東で新たな紛争が起きていることもふまえています。
 世界の状況は、常に複雑なのです。
 それでも、ケストナーは子どもたちに未来への希望を託しています。

子どもと子どもの本のために (同時代ライブラリー (305))
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岩波書店
 
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私たちの今日

2016-12-04 08:56:43 | キンドル本
 主人公の女性は、大学を卒業してから、もう二年以上がたっています。
 でも、彼女はまだ正規の仕事につけていません。
 非正規の職場を転々とした後で、学生時代にやっていたアルバイトに戻ってしまいました。
 ファミレスのウエートレスです。
 主人公は、アルバイトをしながら就職活動を続けていますが、なかなかうまくいきません。
 新卒扱いになる三年の間に、なんとか正規の仕事を見つけたいと思っています。
 きちんとした職歴がないので、中途採用も難しいのです。
 現代社会は、彼女のような若い女性の就職をきちんと支援してくれていません。
 主人公の周りには、同じような境遇の人たちがたくさんいます。
 また、周辺の男性も非正規労働の人が多いので、経済的に余裕がなくて結婚相手も見つかりません。
 彼女たちは、仕事にも結婚にも夢を持てないでいます。
 そんな主人公たちの今日は? そして明日は?

私たちの今日
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大岡秀明「「現代児童文学作家論」への試み」日本児童文学1974年10月号所収

2016-12-04 08:25:52 | 参考文献
 作家論と銘打っていますが、特定の作家ではなく、現代児童文学出発期の代表的な作家である山中恒、佐藤さとる、いぬいとみこ、松谷みよ子について、一般に現代児童文学が始まったと言われる1959年以前とその後の作品について述べています。
 大岡の視点はごりごりの社会主義リアリズムによるもので、それらの作品が書かれたころの社会的背景(60年安保前後の階級闘争の盛り上がりなど)と、彼らの作品が遊離していたことを強く批判しています。
 たしかにその時点では社会主義リアリズムに立脚した作品評価がされていましたが、この文章が書かれた1974年には70年安保の敗北、革新勢力の分裂などを経て、すでに社会主義リアリズム万能の作品評価は社会の実相と大きくずれていたはずです。
 しかし、この社会主義リアリズムに立脚した批評の観点は、その後もソ連などの共産主義国家が崩壊する1990年代ごろまで続きました。

日本児童文学 2014年 12月号 [雑誌]
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小峰書店
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