現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

エーリヒ・ケストナー「笑いについての考察」子どもと子どもの本のために所収

2016-12-21 17:28:00 | 参考文献
 ケストナーは、笑いについていろいろな角度から考察しようとしています。
 小見出しを紹介すると、以下の通りです。
「バスター・キートンとチャップリンとニノチカ」
「アリストテレスと笑う動物」
「人間はどんなに、何を笑うか」
「美学入門」
「単眼の文学と盲目の批判」
「長調と短調の陽気な笑い」
 そして、文学(特にドイツ文学、さらにはドイツという国自体)にいかに笑いが不足しているかと、その危険性を嘆いています。
 他の記事に書いたように、ケストナーはユーモアが児童文学に必須だと考えています。
 また、別の記事に書きましたが、ケストナーの作品自身もユーモアに欠けていて(はっきり言えば教訓臭い)、それをトリヤーの挿絵がかなりカバーしています。
 このように、文学に笑いを取り入れることは、ケストナーにとっては深刻なことだったのです。

子どもと子どもの本のために (同時代ライブラリー (305))
クリエーター情報なし
岩波書店
 
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児童文学と学校生活

2016-12-21 09:57:07 | 考察
 現在の学校生活(児童文学の舞台となるのは、主に小学校)は、私の子どもたちが通っていたころ(もう十年以上前になりますが)とは、すっかり様変わりしているようです。
 子どもたちの風俗の変化が非常に早くなっていて、普段そうした姿を見る機会のない外部の人間には、その実態を描くことは難しくなっています。
 インターネット、スマホ(小学校高学年(特に女子)の普及率は非常に高くなっています)、携帯ゲーム機(特に男子)などの学校生活への影響は、たとえ持ち込みが禁止されたとしても大きいでしょう。
 私が児童文学を書きだした二十代の時は、自分の子どものころの体験(やはり十年以上も前のことでしたが)をもとにして学校生活を描いても、それほど違和感はなかったと思います(読者の子どもたちが実際にどう思っていたか分かりませんが)。
 しかし、現在の子どもたちの学校生活を、若い児童文学作家(他の記事にも書きましたが、経済的な理由で現在ではほとんどいません)でも、過去の体験をもとに書くのは困難なのではないでしょうか。
 その点、学校の先生は、日常的に学校で子どもたちと接しているので、学校生活を舞台にした作品を描くには有利でしょう。
 しかし、かつては皿海達哉や岡田淳のような優れた教師の作家がたくさんいましたが、いまは激減しています。
 おそらく、現在の学校(特に小学校)では、昔とは比べ物にならないほど学級運営が難しく、担任になったら多忙で消耗していて、児童文学作品を書くどころではないのかもしれません。
 また、学校を舞台にしたリアリズムの児童文学作品は、支援学級など描いた作品を除いては、現在は需要が少なく(本が売れない)ので出版されにくいのかもしれません。



飛ぶ教室 (岩波少年文庫)
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岩波書店
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幼年児童文学における文学性について

2016-12-21 08:28:58 | 考察
 児童文学においてどこまで文学性を求めるかは、現代では難しい問題になっています。
 子どもたちが読書に求めるものが、ひとときだけの娯楽に限定されつつある現状では、児童文学作品に文学性を求めること自体がナンセンスなのかもしれません。
 それが、幼児やせいぜい小学校三年生ぐらいまでを対象とした幼年児童文学となると、文学性を求めることはさらに困難になってきます。
 もはや文学という言葉を用いられることさえためらわれて、幼年童話と呼ばれることが多いと思います。
 その幼年童話でよく用いられる一人称で作品を書くとストーリーが単調になりがちですし、出版のためには漢字もかなり開かなければなりません。
 文章や描写や用語もかなりグレードを落として書かないと、年少の読者には理解できません。
 皮肉なことに、幼児教育のせいで識字力が向上して、大人に読んでもらわずに自分で読む子どもたちが増えています。
 そのために、大人が年少の読者の理解力を補ってやることができないのです。
 一方で、場面場面で刺激がないと、これらの読者は飽きてしまいます。
 そのため、読みやすくて刺激の多い作品が好まれる傾向が加速しています。
 かつては、神沢利子の「いないいないばあや」(その記事を参照してください)のような文学的な幼年物が日本児童文学者協会賞を受賞したこともありましたが、現代では出版することすら難しいのではないでしょうか。
 そういう文学的な本を年少の読者に手渡すためには、読み聞かせなどで大人が介在すれば理解してもらえるかもしれませんが、それが行える大人も減ってきています。
 文学性を持った幼年文学は、すでに化石化しているのかもしれません。

幼年文学の世界 (1980年) (エディター叢書)
クリエーター情報なし
日本エディタースクール出版部
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