戦前に実在した女流俳人をモデルにした短編です。
主人公は、画家として世に出ると思って結婚した夫が、地方の中学の美術教師に甘んじていることが我慢できずに、自分で俳句を作り始めます。
もともと東京の高等女学校出身で文才もあった彼女は、めきめき頭角を現し、九州の俳誌だけでなく、中央の有名な俳誌にも掲載されるようになります。
彼女は、その俳誌を主宰する当代随一の俳匠に傾倒して、夫に無理を言って上京するようになります。
しかし、その俳匠には富裕層の取り巻きの女性たちがたくさんいて、田舎の貧乏教師の妻ではなかなか割り込めないように本人は思い込みます。
次第に彼女の行動は常軌を逸するようになり、肝心の俳句の方も精彩を欠きます。
最後には、その俳誌からも除名されて、狂死します。
題名の菊枕は、彼女が中国の故事にならって、健康と長寿を祈念して俳匠に贈った、菊を中に詰めた手製の枕のことです。
現代の俳句の世界がどうなっているかは知りませんが、児童文学の世界でも、かつては高名な先生の周りに同じような取り巻きがいるといううわさを聞きましたし、かなりスケールダウンはしますがそれに近い状況を実際に目撃したこともあります。
ただし、たびたび他の記事にも書いたように、今の児童文学の世界はほとんど女性社会なので、昔のようなことはないでしょう。
一方で、これも他の記事にも書きましたが、児童文学の世界はプロとアマチュアの垣根がますます低くなっているので、何年か真面目に創作に励めば、商業出版するのはそれほど難しいことではありません。
問題は、そこからプロになるかどうかです。
かつては、エンターテインメント的な作品と純文学的な作品を書き分けている作家もいましたが、児童文学のマーケットがシュリンクした現在ではそれは不可能です。
エンターテインメント(特に女の子向け)専業になればプロになることも可能ですが、それも現在では限定的な存在でしょう。
その場合は、他に仕事を持つか、配偶者の収入に依拠した主婦(主夫)作家になるしかありません。
しかし、それも時間的及び経済的な理由で、続けていくことはかなり困難なので、断念する人たちも少なくありません。
それでも、中には、自分のライフサイクルに合わせて創作活動をいったん中断し、再開後に商業出版する人もいます。
主人公は、画家として世に出ると思って結婚した夫が、地方の中学の美術教師に甘んじていることが我慢できずに、自分で俳句を作り始めます。
もともと東京の高等女学校出身で文才もあった彼女は、めきめき頭角を現し、九州の俳誌だけでなく、中央の有名な俳誌にも掲載されるようになります。
彼女は、その俳誌を主宰する当代随一の俳匠に傾倒して、夫に無理を言って上京するようになります。
しかし、その俳匠には富裕層の取り巻きの女性たちがたくさんいて、田舎の貧乏教師の妻ではなかなか割り込めないように本人は思い込みます。
次第に彼女の行動は常軌を逸するようになり、肝心の俳句の方も精彩を欠きます。
最後には、その俳誌からも除名されて、狂死します。
題名の菊枕は、彼女が中国の故事にならって、健康と長寿を祈念して俳匠に贈った、菊を中に詰めた手製の枕のことです。
現代の俳句の世界がどうなっているかは知りませんが、児童文学の世界でも、かつては高名な先生の周りに同じような取り巻きがいるといううわさを聞きましたし、かなりスケールダウンはしますがそれに近い状況を実際に目撃したこともあります。
ただし、たびたび他の記事にも書いたように、今の児童文学の世界はほとんど女性社会なので、昔のようなことはないでしょう。
一方で、これも他の記事にも書きましたが、児童文学の世界はプロとアマチュアの垣根がますます低くなっているので、何年か真面目に創作に励めば、商業出版するのはそれほど難しいことではありません。
問題は、そこからプロになるかどうかです。
かつては、エンターテインメント的な作品と純文学的な作品を書き分けている作家もいましたが、児童文学のマーケットがシュリンクした現在ではそれは不可能です。
エンターテインメント(特に女の子向け)専業になればプロになることも可能ですが、それも現在では限定的な存在でしょう。
その場合は、他に仕事を持つか、配偶者の収入に依拠した主婦(主夫)作家になるしかありません。
しかし、それも時間的及び経済的な理由で、続けていくことはかなり困難なので、断念する人たちも少なくありません。
それでも、中には、自分のライフサイクルに合わせて創作活動をいったん中断し、再開後に商業出版する人もいます。
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