現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

宮澤賢治著「グスコー・ブドリの傳記」

2018-02-08 17:18:16 | 参考文献
 今回考察しているのは、賢治の後期の代表作の一つである「グスコーブドリの伝記」についてですが、作品論ではありません。
 1941年4月20日に羽田書店から第1刷が発行された、宮澤賢治著「グスコー・ブドリの傳記」という本についてです。
 もちろん本物の初版本ではありません。
 この本は、ほるぷ出版より1974年10月1日に第1刷が出た、「名著復刻日本児童文学館第二集」に含まれていたので、今も私の書棚にあるのです。
 私は1977年に外資系の電機メーカーに就職したのですが、なぜか会社へホルプ社がこの全集を売り込みに来ていました。
 この全集の第一集、第二集は両方でうん十万円もしたので、私は四月と五月の給料、そして初めての夏のボーナスもはたいて買いました。
 それは、「就職で中断するけれど、いつか児童文学の研究を再開するぞ」との、決意表明のようなものだったのかもしれません。
 その時、私以外にこの全集を買ったのは社長だけだったと、販売員が言っていました。
 どの本も、出版当時の様子を今に伝えていて素晴らしいのですが、その中でもこの本は思い出深いものです。
 賢治の生まれ故郷である花巻に取材した横井弘三による、たくさんの素晴らしい挿繪と装幀に飾られた豪華な本になっています。
 太平洋戦争勃発直前の発行時期を考慮すると、この本がいかに重要視されていたかが推察されます。
 この短編集は、冒頭にあの有名な「雨ニモマケズ」の詩が掲げられ、以下の八篇がおさめられています。
「北守将軍と三人兄弟の醫者」
「祭りの晩」
「ざしき童の話」
「よだかの星」
「注文の多い料理店」
「烏の北斗七星」
「雁の童子」
「グスコー・ブドリの傳記」
 生前に自費出版された「注文の多い料理店」にも含まれていた二編も含めて、賢治の短編の中でも生前に雑誌などに掲載されていたものを中心に選ばれています。
 表題作の「グスコー・ブドリの傳記」は、最後に雑誌に発表されたもので、賢治の多様な作品の特徴の一つである「自己犠牲」を表現した代表作です。
 「みんなの幸福のため」に一人死地におもむくブドリのラストシーンは、私は何度読んでも涙がこみあげてくるのを抑えられません。
 これは私の個人的な想像なのですが、手塚治虫のアニメ「鉄腕アトム」の最終回で、アトムが地球を守るためにロケットを抱えて太陽に突っ込んでいくラストシーン(これも何度観ても私は泣けます)には、このブドリの影響が強く感じられます。
 賢治は1933年に37歳で亡くなるのですが、生前は全国的にはほとんど無名で自費出版の詩集「春と修羅」と童話集「注文の料理店」を出しただけです。
 ところが、死後遺稿がだんだんに明らかになるにつれて有名になり、戦前、戦中、戦後、そして現在でも、多くの読者に読み続けられている日本ではほとんど唯一の童話作家となりました。
 著作権が切れた関係もあり、今でも毎年相当数の童話集や絵本が出版され続けています。
 また、賢治だけを研究する宮沢賢治学会イーハトーブセンターも1990年に設立されています(私も会員です。その記事を参照してください)。
 1950年代から1960年代にかけて、日本の近代童話(小川未明、浜田広介、坪田譲治などに代表される)を批判して、現代日本児童文学が出発した時も、賢治は千葉省三や新見南吉などとともに批判の対象外でした。
 それは、戦中に多くの児童文学者が戦争協力をするような作品を書いた(あるいは沈黙した)ために、戦後に批判の対象になったこととも関係があります。
 なぜなら、賢治が戦争協力の批判を浴びなかったのは、満州事変はすでに起きていたものの戦争が本格化する前に亡くなっていたからです。
 ただ、「グスコー・ブドリの傳記」の本をじっくり眺めていると、一つの疑問が浮かび上がってきました。
「なぜ、戦時中も、賢治の作品は高く評価されたのだろうか?」
 もちろん、賢治の作品が持つ高い文学性が一番の理由でしょう。
 しかし、それだけでしょうか?
 この本の巻末を見ると、以下のような本の広告が載っています。
「軍用資源 秘密保護法」
「軍機保護法」
「若きドイツ」ヒットラー・ユーゲントを紹介した本のようです。
 これらの本を出している出版社が、賢治の本を、特に「グスコー・ブドリの傳記」を前面に出して出版していることにある意図を感じます。
 賢治の「自己犠牲」の精神は、戦時中には国家への「滅私奉公」として悪用されていた恐れはないでしょうか。
 ここで、少国民文学の研究家でもある児童読み物作家の山中恒が、インタビューで宮沢賢治の影響を問われて語っていた言葉がよみがえってきます。
「最初はかなり影響受けたけど、よしゃよかったんだけどさ、宮沢賢治、右翼だったんだよね。すごいやつ。論文なんか読んじゃったら「もうこれアカンわ」「日蓮さん勘弁してよ」って感じ。だから、宮沢賢治はいい時に死んだと思ってるの。生きてたら、ガリガリの戦争(賛美)児童文学書いたと思う。激しく。」(「インタビュー山中恒「50年代の早大童話会、「少年文学」をふりかえって」」早大児文サークル史所収、その記事を参照してください)
 これから、賢治が現代日本児童文学に与えた影響についても考察していきたいと考えています。

 
日本児童文学館〈第2集 30〉グスコー・ブドリの伝記―名著複刻 (1974年)
クリエーター情報なし
ほるぷ出版



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イターロ・カルヴィーノ「太陽と砂とねむりの安息日」マルコヴァルドさんの四季所収

2018-02-08 17:11:01 | 作品論
 今度も民間療法の話です。
 マルコヴァルドさんは、持病のリューマチの治療に、医者に「海岸の熱い砂にうまるのがいちばんだ」と言われます。
 お金のないマルコヴァルドさんは、川岸に行って砂掘り人夫たちの目を盗んで、砂を積み込んだはしけに乗り込み、子どもたちに命じて横になった自分を埋めさせます。
 しかし、はしけを岸につなぎとめていた綱がほどけ、川へ流れ出してしまいます。
 その先には滝が…。
 例によって、最後はドタバタで終わるのですが、作者得意のユーモアはもう一つの感じです。

マルコヴァルドさんの四季 (岩波少年文庫)
クリエーター情報なし
岩波書店
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