「現代児童文学」が変質したタイミングを、児童文学研究者の石井直人は1978年とし、著者は1980年としています。
どちらも、児童文学の「商品化の時代」(石井は那須正幹「それゆけズッコケ三人組」、著者は那須正幹「ズッコケ㊙大作戦」と矢玉四郎「はれときどきぶた」の出版をその理由としてあげています)と「タブーの崩壊(それまで「現代児童文学」ではタブーとされていた子どもの死、家庭崩壊、家出、性などを取り扱う作品が出現したことです)」(石井は国松俊英「おかしな金曜日」(その記事を参照してください)、著者は那須正幹「ぼくらは海へ」(その記事を参照してください)の出版をその理由としてあげています)を、「現代児童文学」が変質した点としていて、従来の「現代児童文学」が掲げていた「変革への意志」が変容したことを指摘しています。
著者はそれに加えて、「子ども」という概念の歴史性が明らかになったことを、「現代児童文学」の変質の理由にあげています(柄谷行人「児童の発見(その記事を参照してください)」の発表とフィリップ・アリエス「<子供>の誕生」の翻訳化を理由としています)が、このことがどのようにその後の「現代児童文学」の作品群に影響を与えたかは明示されていません。
著者は、ここでも「箱舟」というモチーフを使って、「ぼくらは海へ」を1969年に出版された大石真「教室205号」と比較して、児童文学の理想主義がこの時期に崩壊ないしは変質したと指摘しています。
また、理想主義によるパターン化を脱却したオープンエンディング(結末を明示せずに読者にゆだねる)により、この作品が一種のユートピア文学(灰谷健次郎「我利馬の船出」や皿海達哉「海のメダカ」などを例にあげています)として読めることも示しています。
そして、現代の子どもたちを取り巻く状況を従来の「現代児童文学」の方法では書き得なくなったとき、那須正幹は「ズッコケ三人組」シリーズのようなエンターテインメントの手法でそれらを描くために方向転換を図ったとしています。
那須正幹のようなシリアスな作品(「ぼくらは海へ」や「屋根裏の遠い旅」など)とエンターテインメント作品(「ズッコケ三人組」シリーズなど)の両方を書く作家は、それぞれを区別して評価せずにトータルで評価すべきではないかと主張しています。
この主張はもちろん正しいのですが、著者のアプローチはやや那須正幹という特定の作家の作品に沿った後追いのように思えます。
むしろ、エンターテインメント手法の名手が那須正幹のもともとの特質であり、「児童文学の商品化」の時代においてそれが花開いたとみるべきでしょう。
そういった意味では、「ぼくらは海へ」は「現代児童文学」作家としての那須正幹の限界であり、それと「ズッコケ三人組」シリーズの成功が、彼を主としてエンターテインメント作品の書き手になることへと転換させたのではないでしょうか。
そして、この「商業主義化」の流れは、他の作家たちも巻き込んで児童文学界全体にどんどん広がっています。
それでも、出版バブルだった1980年代にはシリアスな作品も含めて多様な作品群が発表されたのですが、バブルが崩壊した1990年代に入るとその状況は一変して、しだいに商業主義的な作品しか出版されなくなってしまいます。
このことが、「現代児童文学」を終焉させて、主として女性向け(子どもだけなく大人も)のエンターテインメントとしての現在の児童文学に変容させてしまったのです。
現代児童文学の語るもの (NHKブックス) | |
クリエーター情報なし | |
日本放送出版協会 |