第151回芥川賞の受賞作です。
行定勲監督の映画「きょうのできごと」が気に入って、作者のデビュー作である原作を読んでから断続的に作品を読んでいますが、だんだんに純文学性を強めているようです。
「きょうのできごと」では、現代の若者たちの姿を鮮やかに描写しながらエンターテインメント的要素も含んでいたのですが、この作品では物語性はほとんどなくなりかなり描写に傾いた純文学的作品になっています。
この変化は、純文学からエンターテインメントへ傾斜していく多くの作家(同じ芥川賞作家の綿矢りさが典型でしょう)と対照的です。
この作品は芥川賞を取ってかなり売れたでしょうが、本質的にはベストセラーにはなりにくい方向なので、その志向は評価したいと思います。
この作品では三人称で書かれながら、最後に主人公の姉の一人称の部分がまぎれこまされており、読者の読み方に揺さぶりをかけます。
この書き方により一見ニュートラルに感じられる視点の設定が、実は女性によるものだということがはっきりしたと思います。
読みだしの部分をふり返ってみると、主人公が男性であることに違和感を覚えたので、ここで謎が解けたように思います。
また、主人公の男性もユニセックスな印象が強く、他の女性の登場人物たちとの関係性も、異性間のものではなく同性間のそれに近いように受け取れました。
もっとも、こういった男性像が現代のリアルな男性に即したもので、私自身の男性観が古すぎるのかもしれませんが。
1990年代前半までの児童文学の世界では、こうした純文学タッチの作品も出版されましたが、描写を前面に出した文学的な作品よりも物語性を重視したエンターテインメントが全盛の、現代の児童文学の出版状況では無理でしょう。
行定勲監督の映画「きょうのできごと」が気に入って、作者のデビュー作である原作を読んでから断続的に作品を読んでいますが、だんだんに純文学性を強めているようです。
「きょうのできごと」では、現代の若者たちの姿を鮮やかに描写しながらエンターテインメント的要素も含んでいたのですが、この作品では物語性はほとんどなくなりかなり描写に傾いた純文学的作品になっています。
この変化は、純文学からエンターテインメントへ傾斜していく多くの作家(同じ芥川賞作家の綿矢りさが典型でしょう)と対照的です。
この作品は芥川賞を取ってかなり売れたでしょうが、本質的にはベストセラーにはなりにくい方向なので、その志向は評価したいと思います。
この作品では三人称で書かれながら、最後に主人公の姉の一人称の部分がまぎれこまされており、読者の読み方に揺さぶりをかけます。
この書き方により一見ニュートラルに感じられる視点の設定が、実は女性によるものだということがはっきりしたと思います。
読みだしの部分をふり返ってみると、主人公が男性であることに違和感を覚えたので、ここで謎が解けたように思います。
また、主人公の男性もユニセックスな印象が強く、他の女性の登場人物たちとの関係性も、異性間のものではなく同性間のそれに近いように受け取れました。
もっとも、こういった男性像が現代のリアルな男性に即したもので、私自身の男性観が古すぎるのかもしれませんが。
1990年代前半までの児童文学の世界では、こうした純文学タッチの作品も出版されましたが、描写を前面に出した文学的な作品よりも物語性を重視したエンターテインメントが全盛の、現代の児童文学の出版状況では無理でしょう。
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