現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

色川武大「連笑」百所収

2020-06-20 10:10:43 | 参考文献
 6歳年下の弟が交通事故で大怪我したのをきっかけに、兄弟が久々に共同生活を送ります。
 作者が33歳でまだ無頼生活を送っていた時代のことで、岐阜で一人住まいをしている弟の面倒を見るには、家族の中で一番身軽な作者が適任でした。
 当時の二人の生活の中に、いろいろな時代の二人の関係が挿入されて、二人の特殊な関係が描かれています。
 中でも驚かされるのが、作者が中学生、弟が小学生になったころの思い出です。
 小中学生のころの作者が、学校をサボって都内のあちこちの盛り場、特に浅草に入り浸っていたことは他の記事にも書きましたが、弟が小学生になってからは土日は弟も一緒に連れて行ったのです(作者のように普通の人間の道を踏み外させることを恐れて、平日は連れていきませんでした)。
 猥雑な盛り場芸術に対する、作者の異常なまでの早熟な通人ぶりはすでに他の記事で書きましたが、その影響で弟はさらに早熟な通人としての相棒だったのです。
 こうした二人が二十年近くの時を経て、お互いの境遇を超越して共同生活する話は、男の兄弟を持たない私にとっては、羨望以外の何者でもありません。
 かなり個性的な姉たちに虐げられていた子供時代、何度、兄や弟の存在を夢想したことでしょうか。
 その願いは、子どもや孫の男の子たちによって、時代を経て間接的に叶えられたのですが、こうした男兄弟の関係性を描いた作品(例えば、ヴェルヌ「十五少年漂流記」、柏原兵三「兎の結末」、庄野潤三「明夫と良二」、ピアス[トムは真夜中の庭で」など)を読むことも、その代償行為だったのかも知れません。
 また、この作品では、それと同時に、父と作者、父と弟、母と作者、母と弟、父と母の関係を描くことによって、ひとつの家族の姿も浮き彫りにしてくれます。



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