現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

エーリヒ・ケストナー「ヴァルター・トリヤー追悼」子どもと子どもの本のために所収

2016-12-14 15:45:37 | 参考文献
 プラハのドイツ的小巨匠「ヴァルター・トリヤーのユーモア」への序文です。
 トリヤーは、ケストナーのほとんどの児童文学作品(1951年に亡くなるまで)の挿絵を描いた画家です。
 ケストナーの作品の魅力は、トリヤーの挿絵なしには語ることはできません。
 エーミール・ティッシュバインも、マルチン・ターラーも、点子ちゃんも、アントンも、ロッテも、彼の描いた姿によって、より具体的なイメージを読者は得ることができました。
 やや教訓臭いところのあるケストナーの作品は、ユーモアあふれるトリヤーの挿絵によって、どんなに助けられたことでしょうか。
 児童文学の場合、往々にしてこういう幸せなケースがあるのですが、「楽しい川辺」や「クマのプーさん」のシェパードや「ミス・ビアンカ」シリーズのガース・ウィリアムズなどと並んで、「エーミールと探偵たち」や「飛ぶ教室」のトリヤーの挿絵は忘れがたいものになっています。
 日本でも、コロボックル・シリーズの村上勉やバッテリー・シリーズの佐藤真紀子の挿絵は、日本の子どもたちにとっては、作品と切り離せないものになっていることでしょう。

子どもと子どもの本のために (同時代ライブラリー (305))
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岩波書店
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少女小説と少年小説

2016-12-14 09:06:18 | 考察
 現在の児童文学でも、少女小説は健在です。
 児童文学の読者は女性が圧倒的に多いですし、書き手も大半は女性です。
 女性作者に内在する子ども時代の経験は、表面的な風俗は大きく変化していますが、創作にはいかされていることでしょう。
 「本を読まない男の子たちのために、児童書の企画なんかしない」と、ある女性編集者が飲み会で豪語していたのはもう十年以上も前のことですが、先日もある女性作家が「編集者は男の子向けの作品なんて見向きもしない。女の子向け、それも中学年(小学校三、四年)以下の依頼しかこない」と語っていました。
 そうした状況の中で、少年小説は死に絶えてしまいました。
 少年倶楽部の諸作品や千葉省三の「虎ちゃんの日記」などが書かれた戦前は、少年小説が児童文学の中心でした。
 戦後の狭義の「現代児童文学」(定義は他の記事を参照してください)でも、1980年代ごろまでは、森忠明や皿海達哉のような少年小説の名手が活躍していました。
 しかし、出版バブル崩壊後の1990年代からは、出版される本が売れ筋に絞り込まれ、女の子向け(最近ではさらに中学年以下向け)の本が主流になり、少年小説はほとんど出版されなくなりました。
 現在の男の子たちの物語消費欲求は、ゲーム、マンガ、アニメ、トレーディングカードなどでのみ満たされています。
 こうした状況は、子どもの生育環境としての多様性が失われていて、非常にいびつです。
 しかし、「児童文学」が、「子どものための文学」から、「子どもだけでなく、もっと広範な年代の女性のためのエンターテインメント」に変貌しているとしたら、やむを得ないのかもしれません。

日本の少年小説―「少国民」のゆくえ (インパクト選書)
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インパクト出版会
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隆志の学芸会

2016-12-14 08:26:09 | キンドル本
 小学校の学芸会の話です。
 主人公の少年のクラスでは、「アリババと四十人の盗賊」をやることになりました。
 主人公は、「召使い3」と「大きな木」の二つの役をやることになりました。
 クラスで一番背が高いので、「大きな木」の役をやるのにはうってつけなのです。
 セイタカタカシというあだ名をつけられています。
 主人公は、「大きな木」をやることを家族には話せませんでした。
 主人公の家では、単身赴任のおとうさんが、ちょうど学芸会の時に帰ってきます。
 おとうさんは、「アリババと四十人の盗賊」をビデオ撮影をしてくれました。
 おとうさんが単身赴任先から、送ってきた、特別編集の学芸会のビデオとは?

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隆志の学芸会
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平野 厚



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推敲について

2016-12-13 09:26:00 | 考察
 文章を書くプロセスにおいて、推敲は非常に重要です。
 たんに誤字脱字の修正をするだけでなく、内容や構成に誤りや矛盾がないかを、客観的に見直すことができるからです。
 自分の経験を振り返ってみると、ワープロやパソコンを使用するようになってからは、本来は推敲して書き直しがしやすくなったにもかかわらず、かえってきちんと推敲しなくなったような危惧を感じています。
 手書きの時代は、まず適当な紙(研究用箋というマス目の細かい用紙をつかっていました)に文章を書きなぐります(頭の中にアイデアや文章が出てくるスピードに負けないように、素早く書く必要があります)。
 次に、四百字詰めの原稿用紙に清書します。
 これが、第一稿ですが、手書きの時代は書き直しが大変なので、非常に真剣に文章や内容を推敲しながら清書していました。
 その後、同人誌の仲間や編集者などのフィードバックをもとに第二稿や第三稿を作る場合も、書き直しが大変なので(一から書き直すか、せいぜい使える部分を切り貼りしなければなりませんでした)、非常に真剣に推敲していました。
 以上のように、その時代の方が書くことにより真剣だったので、文章の完成度が高かったような気がします。
 今では、最初からパソコンで書いていますが、手書きにはスピードが及ばないので(一応ブラインドタッチでタイピングしていますが)、頭の中に浮かんだアイデアや文章をずいぶんとり逃したような気がします。
 また、いつでも、削除や挿入やコピーができるので、推敲においても手書きの時よりも真剣みが欠けてしまいます。
 こう考えてみると、手書きに戻った方がいいようですが、一度楽してしまうとなかなか元のやり方には戻れません。

文章添削の教科書
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芸術新聞社
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ネットカフェにも朝は来る

2016-12-13 08:50:49 | キンドル本
 現代の都会には、どこにも住む所がなくネットカフェで暮らしている若い女性たちがいます。
 彼女たちは、政治や行政や学校教育の無力によって、都会のすみで忘れ去られています。
 そういった女性たちに住むところを提供するのが、ネットカフェの新しいビジネスモデルになっています。
 また、収入や託児所などをワンストップで提供しているので、皮肉にも性風俗産業が行政よりもセーフティネットとしての機能をはたしています。
 男女雇用機会均等法や労働者派遣法などの改悪が、このような格差社会の矛盾をさらに加速しています。
 この作品の主人公の女の子たちも、そんな環境で苦しんでいます。
 それらに上の世代の怠慢に対抗して、団結しようとする若い世代の人たちの姿を描いています。

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USBヘッドフォンアンプ

2016-12-13 08:33:40 | 参考情報
 以前の記事に書きましたが、2012年の2月に、適当な現代日本児童文学研究環境が見つからなかったので、大学院進学を断念して、自宅と公立図書館で研究することにしました。
 その時に、自宅の四畳半の部屋を書斎に改造するために、大学院の費用を以下の投資にまわしました。
 パソコンデスクとライティングデスクの間を、往復反転して使うためのハーマンミラーのアーロンチェア。
 Windows7のノートパソコン(東芝ダイナブック)。
 WiHiルーター。
 天井で固定できる9段の本棚を四つ設置し、所蔵の児童文学関係の本を書庫などから移動して、不足する本をアマゾンから購入。
 ディジタル音源の整備(ソニーのXアプリで一元管理しています)。
 自宅での研究はうまくいっているのですが、公立図書館での研究環境は悪く(閲覧席でもまわりをうろついたり大声を発する人たちがいます。ノートパソコンをインターネットにつなげられるところもありますが、使えないところもあります。
 また、机の作業スペースが狭くて、本とパソコンの作業を共存できないので、期待したほど成果はあがりませんでした。
 そこで、2013年からは図書館は本の貸し出しのみを利用することにして、研究は書斎だけで行うことにしました。
 そのため、以下の機器を追加投資しました。
 ポメラ(テキストエディタ。外出時および書斎でパソコンが使えない時の文章の作成。その後、タブレット端末を購入したので、現在は使っていません)。
 キンドル(電子書籍リーダー。読書環境とプライベート資料管理(ワード、PDF)の改善。外出時はタブレット端末を使うようになったので、今は家にいる時のみ使っています)。
 マジックスキャン(ハンディスキャナ。本や雑誌のディジタルコピーとOCR機能によるJPEGデータのテキスト化)。
 以上の機器についてはそれぞれの記事で紹介しましたので、この記事では2013年1月26日に購入したUSBヘッドフォンアンプについて紹介します。
 中学生のころから常に音楽がないと生活できないので、書斎でも音楽環境は作業効率アップのためにすごく重要です。
 高校生のころから購入(レコード、CD)したり、録音(FM放送をカセットテープにエアチェック、ディジタルラジオ放送をMDに録音)したりした音源(クラシック、ジャズ、ロック、ポップスなど)を全部ディジタル化(ソニーのウォークマンのダイレクトエンコード機能を使ってアナログ音源をディジタルに変換)して、パソコンにインストールしたソニーのXアプリやMedia Go(ウォークマン用の音楽管理ソフトウェア)に40Gバイト(40000分)以上保有しています。
 今までは、パソコンのヘッドフォンジャックに、5メートルのオーディオケーブルで、本棚に組み込んだミニコンポにつないでいました。
 音源の種類や量、Xアプリの操作性には不満はないのですが、パソコンの音質(内蔵のDAC(Digital to Analog Convereter)の性能で決まっていしまいます)と長いオーディオケーブル(アナログ)による減衰やノイズレベルの増加によって、せっかくのディジタル音源の品質が生かせていませんでした。
 そこで、USBヘッドフォンアンプ(ラトックシステムのREX-A1648HA1で、まあまあのオーディオDACを内蔵しています。音源がハイレゾではなくCDやそれ以下の音質なので、これ以上DACの性能をあげても無意味です)をミニコンポの横に置き、5メートルのUSBケーブルでパソコンとつないで(ここまではディジタル信号なので減衰やノイズレベルの増加はありません)、そこからは50センチの短いオーディオケーブルでミニコンポに接続しました。
 さっそくいろいろな音楽を鳴らしてみると、格段に明瞭なサウンド(それぞれの楽器の音が一つ一つはっきりと聞き分けられるようになりました)で非常に満足しています。
 おかげで、書斎生活がより快適になって、児童文学研究の作業効率も高まりました。
 
ラトックシステム USBヘッドホンアンプ(16bit・32kHz/44.1kHz/48kHz対応) REX-A1648HA1
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ラトックシステム

  
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夏の一日

2016-12-12 08:30:19 | キンドル本
 少年たちの夏休みの一日を描きます。
 プール遊びやプロレスごっこ、彼らの遊びは延々と続きます。
 友だちの家でプロレスごっこをして騒いでいると、「おじいちゃんが寝てるのよ」と注意されます。
 友だちのおじいさんは、病気で寝たきりなのです。
 主人公たちは、土地の旧家である友だちの家の蔵に、プロレスの舞台を移します。
 そこで、主人公たちは秘密の地図を見つけます。
 どうやら近くの山の頂上付近に、宝物が埋まっているようなのです。
 宝探しに出かけた少年たちが見つけたものは?

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エーリヒ・ケストナー「児童文学作家の博物学について」子どもと子どもの本のために所収

2016-12-11 18:27:52 | 参考文献
 1960年に、ハンス・クリスチャン・アンデルセン賞を受賞した時の挨拶です。
 ケストナーは、児童文学を書くに至った経緯を説明した後で、次の三つの命題をあげています。
一、児童文学作家の職業は、あらゆる他の商売からと同様に、作家の職業から区別されます。この二つの職業が、共通の道具としてことばを用いることは、その差別をおおい隠すが、その差別を小さくはしません。
二、児童文学作家にとって特徴的な前提は、彼が子どもを知っていることではなく、自分の子どものころを知っていることです。彼の作る成果を、彼は観察にではなく、自分の思い出に負っています。
三、作家の場合より児童文学作家の場合は、アウトサイダーがずっと大きな重要な役割を演じています。女性の場合にそれが男性の場合と同程度であるかどうかは、留保しておきましょう。
 これらの命題は、狭義の「現代日本児童文学」(定義は他の記事を参照してください)でもあてはまっていましたが、現在ではかなりずれてきていると思われます。

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チキンレース

2016-12-11 14:43:31 | キンドル本
 主人公が通う小学校の前には、長い坂道があります。
 その坂道は、あまり車が来ません。
 自転車でその坂道を下るのは、スリルがあって最高です。
 ただし、坂道の終点はT字路になっていて車も通っているので、スピードをおとさなくてはいけません。
 主人公は、ひょんなことから、クラスのボスの少年と、その坂道を下る時にどちらがぎりぎりまでブレーキをかけないでいられるかを競うレースで、対決することになります。
 そういう度胸試しのレースのことを、アメリカではチキンレースといいます。
 チキンには、臆病者の意味もあるのです。
 レース前夜、いろいろなことを想像してしまって、主人公は眠れない晩をすごします。
 思わず寝過ごした主人公は、レースに遅刻します。
 いよいよ二人のチキンレースが始まります。
 さて、レースの結果は?

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村中李衣「五つのはなし ― りえさんの場合」小さいベット所収

2016-12-11 11:37:58 | 作品論
 ここで、村中はこの短編集が生まれた経緯を説明しています。
 当時二十五歳だった村中は、おはなしのおねえさんとして、絵本を読みに週に二回小児病棟(おそらく慶応大学病院と思われます)を訪れていたのです。
 この短編集に載っている五つのはなしは、子どもたちとの触れ合いの中で、子どもたちに催促されるように生み出されたものです。
 医師でも看護師でもないフリーな立場で病気の子どもたちと触れ合える、児童文学作家としては「恵まれた」環境だったのでしょう。
 村中は鋭い観察と的確な描写で、病気と闘う子どもたちの様子を描き出しています。
 その後、彼女の関心は、児童文学の研究および大学での教育や、絵本や読み聞かせが子どもや大人に与える影響などの研究に移って、創作は幼年童話や絵本に限られていましたが、2012年に「チャーシューの月」(その記事を参照してください)を出して、児童文学者協会賞を受賞しました。
 彼女の作品(特に高学年もの)の可能性に期待していた私としては、これからも高学年もしくは中学生向けの作品も書いてもらいたいと思っています。

 
小さいベッド (偕成社の創作(21))
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闇にひそむ者たち

2016-12-10 09:19:19 | キンドル本
 主人公は、中学受験のために、塾へ通っています。
 その帰り道に、近道をしようとして新興住宅地跡を通ります。
 そこは、開発の失敗で周囲から取り残され、廃墟のように荒廃しています。
 そこの闇には、怪しげな影がひそんでいます。
 道の途中には、開発失敗の責任をとって自殺した人を供養するお供え物がおかれた場所があります。
 毎日そこを通るたびに、そのお供え物が少しずつ減っていっていることに、主人公は気づいてしまいます。
 それにつれて、あたりの闇にひそむ影はだんだん増えていきます。
 最後に主人公に迫ってきた者たちは?

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闇にひそむ者たち
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ファールボール

2016-12-09 12:16:20 | キンドル本
 主人公は、おとうさんと二人暮らしです。
 おかあさんは、病気で去年亡くなっていました。
 主人公は、ようやくおかあさんのいない暮らしに慣れてきました。
 二人の生活を支えるために、おとうさんは懸命です。
 会社で働いているだけでなく、家事もやっています。
 主人公も、そんなおとうさんを手伝っています。
 ある日、主人公が当てた招待券で、東京ドームのジャイアンツ戦を二人で見に行くことになります。
 でも、出張へ行っていたおとうさんはなかなかドームに現れません。
 主人公は気が気ではありません。
 ようやくおとうさんが現れました。
 試合も面白くなってきました。
 ラストで二人を襲ったファールボールの行方は?

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マダム・フローレンス! 夢見る二人

2016-12-08 17:39:30 | 映画
 1944年のニューヨークを舞台に、実話をもとにした作品です。
 音楽界の有力なパトロンの老婦人が、実は音痴なのにまわりのお世辞を真に受けて、歌手をめざし、独唱会をしたり、レコードを出したりして、最後には当時の音楽の殿堂であるカーネギー・ホールでリサイタルを開きます。
 大女優メリル・ストリープがふけメイクとヘタウマの歌声(本当の彼女は歌が大変うまいのですが、実際の老婦人の歌い方を完コピしてみせます)で、圧倒的な存在感を示します。
 年下の夫役のヒュー・グランドもいい味を出していますし、伴奏のピアニストなど他の出演者も演技達者ばかりで、戦時中のニューヨークの雰囲気を鮮やかに再現して見せました。
 それにしても、日本では、彼女のような大女優に、その年相応の魅力のある役を演じられるような作品を提供できないでしょう。
 映画館では、例によって、アイドルたちの愚にもつかない映画の予告編を、いやっというほど見せさせられました。

「マダム・フローレンス! 夢見るふたり」
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ユニバーサル ミュージック
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再会

2016-12-08 09:04:16 | キンドル本
 主人公は、高校受験に向けての夏季講習に参加しています。
 でも、主人公はなかなか授業に集中できませんでした。
 いまだに引退したバスケットボール部が懐かしくて、夏季講座の昼休みには会場の私立高校の体育館で一人バスケをしています。
 ある日、幼稚園の時に一緒だった女の子と同姓同名の子が、同じクラスに参加していることに気づきます。
 その女の子は、今と違って弱虫だった主人公を、いじめっ子からかばってくれた「恩人」でした。
 でも、幼稚園の時の記憶では、「恩人」の女の子は長身だったのに、目の前の彼女はどちらかというと小柄です。
 そのために半信半疑になった主人公は、なかなか声をかけられません。
 一人バスケと彼女の存在のおかげで、主人公は夏期講習をなんとか続けることができました。
 いよいよ、夏期講習の最終日を迎えます。
 はたして、二人は九年の時を超えて、うまく「再会」できるでしょうか?

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児童文学の時代考証について

2016-12-08 08:34:35 | 考察
 児童文学を書く場合に、時代設定を明確にすることは非常に重要です。
 一般に、大人である作者が子どもの世界を描くと、実際に現在を生きている子どもたちの実感とずれてしまいがちです。
 作者の年齢が高いと、この傾向は特に顕著になります。
 それを防ぐには、作品世界の時代設定をあらかじめ明確にすることが有効です。
 例えば、1990年代とか、昭和五十年代とか、その作品のテーマや題材に適した時代を選ぶことができます。
 多くの場合、それらの時代に対しては、作者の方が読者である子どもたちよりも豊富な情報を持っています。
 これが、リアルタイムの現代の子どもたちを描こうとすると立場は逆転します。
 中途半端な知識で描いて、子どもたちの失笑をかう恐れもあります。
 しかし、逆に過去のある時代に設定した場合には、作者にとっては常識だと思うことを子どもたちは知らなかったりする場合もあります。
 そのため、読者の理解を助けるための、適切な情報提供は必要でしょう。
 また、自分の記憶だけに過度に頼ることも、注意しなければなりません。
 その時代の風俗、用語、事件などは、事前にきちんと調べておいた方がいいでしょう。
 時代考証が必要なのは、歴史物の作品だけではありません。

考証要集 秘伝! NHK時代考証資料 (文春文庫)
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