現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

ふあーっ!

2016-12-07 08:34:39 | キンドル本
 小学生の夏休みの一日を描いています。
 のんびり休みをすごしている主人公は、一日中眠くてしょうがありません。
 プールへ行ったりして、友だちと一日中遊んでいますが、その最中にもついうとうとしてしまいます。
 寝ているときには、様々な夢を見ました。
 主人公は、夢と現実が混じり合った不思議な一日を体験します。
 最後に主人公が見たものは?

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キンドル・ダイレクト・パブリッシング

2016-12-07 08:13:27 | 参考情報
 「現代児童文学者の経済学」という記事(カテゴリーは評論)で、児童文学の作家や評論家が、それだけで生活していくことがいかに困難かを分析しました。
 その中で、将来的には中間搾取層(出版社、取次ぎ、書店など)がなく印税が高い電子書籍に期待したいことを述べました。
 その時、頭の中にあったのは、すでにベストセラー作家を生みだしているアメリカでのKDP(キンドル・ダイレクト・パブリッシング)のことでした。
 そのKDPの日本語版が、2012年末にスタートしました。
 ためしに、将来の日本の児童文学者たち(純文学の作家たちも)を、KDPが経済的に救済できるかを検討してみました。
 結論からいうと、まだ一般的な児童文学者たち(当然のことですが、彼らは基本的に文系で英語も苦手な人が多いです)には、KDPは参入障壁が高いことがわかりました。
 KDPは自己出版(自分で編集作業や印税の経理処理をする)なので、いわゆる自費出版(百万円以上かかることが多いです)や協力出版(著者が自己負担金を出します)と違って、費用はいっさいかかりません。
 印税は35%(特定の要件を満たせば70%)と、期待通りに高いです。
 紙の本の印税は普通は10%ですが、児童文学の場合は絵描きさんの分があるので高学年で8%、グレードが下がるにつれて下がり、4%とか3%といったアマゾンのアフィリエイト広告(ブログなどに載せる広告)の手数料より割が悪くなる場合もあります(短編のアンソロジーの場合はそれを頭割りしますので、ゴミみたいなパーセンテージになってしまいます)。
 しかし、KDPには以下のような参入障壁があって、一般的な児童文学者にはすぐには手が出ないと思われます。
1.印税の支払いがアメリカにあるアマゾンの関連会社からなので、アメリカの源泉徴収(30%)を避ける手続きが必要。
2.送金は円建て(1000円以上たまったら自動的に送金される)で、向こうの銀行の手数料はアマゾン負担ですが、日本の受け取り銀行でリフティング・チャージ(一件につき数千円)がかかることが多く、少額の送金だと赤字になってしまう(銀行によっては無料のところもあるようです)。
3.本の原稿ファイルを、キンドル本の仕様に変換しなければならない。
 以上の障壁は、手間暇かければ回避する方法はあります。
 それに、1と2は最初だけですし、3も二回目からは慣れるのでそんなに時間はかからなくなるでしょう(画像がなく原稿をワードで書いている人はそれほど難しくありません)。
 ただ、私が調べた限りでは、日本アマゾンのKDPに対するサポート体制が非常に悪い(英語の情報が多い。日本語の情報は自動翻訳のせいか誤訳だらけ。日本アマゾンにKDPを詳しい人がいない。電話でのサポートが受けられない)ので、一般的な児童文学者にはなかなか大変でしょう。
 キンドル上にはKDPのノウハウ本があふれていますが、どうも「釣り」っぽい感じがしますので、価格は安いですが手は出さない方がいいと思います。
 日本アマゾンの公式情報やネット上に無料の日本語情報(今までの私の経験では無料の方が信用がおける(お金目的ではないので)ことが多いですし、取捨選択が自分でできます)も、だんだんに出てきています
 しかし、私が本質的な障壁と考えているのは、KDPの最低価格です。
 35%の印税の場合の最低価格は99セント(日本では99円です)です。
 安いように感じられる方もいらっしゃるかもしれませんが、短編を99円で売るのは困難です(私の感覚では紙の本換算で1ページ1円以下にしないと売れないでしょう)。
 また、70%の印税を得るための最低価格は2ドル99セント(日本では250円です)です。
 薄い文庫本のキンドル版は、300円から400円で購入できるので、有名でない作家の本を250円で購入する人はほとんどいないでしょう。
 第一、キンドルをはじめとした電子書籍リーダーも、いまだに日本では十分に普及していません(ただし、アイフォンやアンドロイド用の無料の対応アプリがあるので、スマホやタブレットで読むことは可能です)。
 以上のように、現状では児童文学作家のKDPへの参入は難しいでしょうが、他の記事でも書いたように五年後ぐらいには、これらの障壁も緩和されることを期待しています。
 これは、ひとえにアマゾンの日本マーケットに対するマーケット戦略にかかっていると思われます。
 私は外資系の電子機器メーカーの新規ビジネスの開拓に長年かかわってきたので、彼らが冷徹でビジネスライクな考え方で決定するのはよく理解しているつもりです。
 でも、私がKDPのマーケティング担当者ならば、日本語のキンドル本の増加のために、日本でのKDPのサポートにもっとお金をかけるでしょう。
 それが、日本でのキンドル本体の販売の増加につながり、そうするとアマゾンにとってのビジネスの本線である一般のキンドル本の売り上げも伸びるという、正のスパイラル効果が期待できるからです。
 また、楽天やソニーの電子書籍ビジネスとの差別化にもなるでしょう。
 はっきりいって、今の日本アマゾンでKDPに関わっている人たちはビジネス的に素人なので(もしかするとアウトソーシングされているかもしれません)、現状ではまったく期待できません。
 要は、米国アマゾンが日本での電子書籍マーケットに対してどういう戦略をとるかです。
 最悪は、電子書籍ビジネスの日本からの撤退でしょう。
 その時は、楽天のコボなどで、KDPと同様のサービスを展開してくれるとありがたいのですが。

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雪合戦

2016-12-06 08:47:05 | キンドル本
 主人公は、私立中学の二次試験の日を迎えます。
 あいにく、当日の東京は大雪でした。
 面接のスケジュールが遅れたので暇になった主人公が校庭を見ていると、二人の男の子が雪合戦を始めました。
 興味を持った主人公は、教室を出て行って、雪合戦に参加します。
 さらに、窓から見ていた他の子たちにも、参加を呼びかけましたが、誰も来ません。
 その学校の先生に注意されて、三人だけの雪合戦は終了しました。
 面接の終わりに、主人公たち三人は待ち合わせて一緒に帰っていきました。
 帰り道で、三人が見たものは?

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桜木紫乃「せんせぇ」ホテルローヤル所収

2016-12-06 08:18:06 | 参考文献
 妻が不倫相手と家に入るところを見たために自宅へ帰れなくなった高校教師が、いきがかりで一緒にいた教え子の女子高校生と逃避行に出る話です。
 妻の不倫相手は元上司の校長で二人の仲人でもあり、彼女の担任教師で関係が二十年も続いているというかなり強引な設定です。
 この話も着地点が見えないオープンエンディングなのですが、話にかなり無理があるのと桜木の作品の美点である描写がいかされていないので、主人公の行為に共感できません。
 また、珍しく官能シーンもないので、桜木の良さがぜんぜん発揮されていません。
 児童文学の世界でも、教師と生徒が出てくる作品はたくさんあるのですが、たいがいはいい人か悪い人にパターン化されていて、生きた教師と生徒の姿を描きだした作品は少ないと思います。
 なお、この作品だけはホテル・ローヤルも出てきませんし、舞台も釧路ではありませんが、逃避行の行き先が釧路なので、おそらく「えっち屋」などで描かれたホテル・ローヤルがつぶれるきっかけになった心中事件のカップルはこの二人なのではないかと推定されます。
 各短編は、時代設定も、登場人物も、発表時期も異なるのですが、このようにあらかじめ桜木の中で完全に組立てられているようで、全体としてひとつの長編作品のように味わうことができます。
 80年代ごろから児童文学でも連作短編集(例えば、泉啓子の「風の歌を聞かせてよ」など)が出版されるようになりましたが、この作品のように周到に作り上げられた本は記憶にありません。
 

ホテルローヤル
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集英社
 
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夏の迷路

2016-12-05 09:04:40 | キンドル本
 主人公は、一人ぼっちの夏休みをすごしていました。
 おかあさんは仕事で忙しいのです。
 おとうさんは、主人公が小さいころに離婚しています。
 主人公は絵を描くのが得意です。
 その才能は、両親から受け継いだものです。
 二人ともに絵描きだったのです。
 テレビで、父親が亡くなったことを知ります。
 父親は、離婚後、海外で画家として成功し有名になっていました。
 父の絵を見に、主人公は父親の作品のコレクションを持つ都内の美術館へ行きます。
 そこで初めて父親の絵を見た主人公の思いは?

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児童文学における子どもたちの風俗について

2016-12-05 08:43:51 | 考察
 児童文学において、子どもたちの風俗を描くのは非常に難しい問題です。
 彼らの風俗は大人以上にどんどん変わっていくので、すぐに廃れてしまうようなものを描くと、注意しないと作品が古くなってしまう恐れがあります。
 例えば、トレーディングカードゲームを作品に描くのはいいのですが(これ自体は三十年以上の歴史があります)、特定のカードを具体的に描くとすぐにはやらなくなってしまう可能性があります(マジックザギャザリングのように長く続いているカードもあります)。
 また、携帯機器はポケベル、ガラケー、スマホとどんどん変化していますし、フェイスブック、ツイッター、ラインと、子どもたちに使われているSNSの主流も、年単位で大きく変わっています。
 こういった子どもたちの風俗を描くときには、普遍的な物だけを選んで使うのがオーソドックスな手段ですが、古びるのを恐れず最新の風俗を描くのも、読者との同時代性(後から振り返るとある時代を切り取った形になります)が得られて、特にエンターテインメント作品では有効かもしれません。
 どちらにしても、作品を通して徹底しないと、設定している時代が中途半端な作品になってしまいます。

心をそだてる 子ども歳時記12か月
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講談社
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エーリヒ・ケストナー「あきらめは観点ではない」子どもと子どもの本のために所収

2016-12-04 11:52:31 | 参考文献
 1953年のミュンヘン国際児童図書館における、イスラエルの児童画展の開会式に際してのあいさつです。
 ここでのケストナーの言葉は、いつにはなく歯切れの悪いものです。
 ご存知のように、第二次世界大戦で、ナチスドイツは、たくさんのユダヤ人を虐殺しました。
 終戦から十年もたたない時期に行われたスピーチなのですから、歯切れが悪いのは無理もありません。
 ケストナーは、つぐなえないものがあることを述べています。
 その一方で、ユダヤ人によるイスラエルの建国によって、中東で新たな紛争が起きていることもふまえています。
 世界の状況は、常に複雑なのです。
 それでも、ケストナーは子どもたちに未来への希望を託しています。

子どもと子どもの本のために (同時代ライブラリー (305))
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岩波書店
 
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私たちの今日

2016-12-04 08:56:43 | キンドル本
 主人公の女性は、大学を卒業してから、もう二年以上がたっています。
 でも、彼女はまだ正規の仕事につけていません。
 非正規の職場を転々とした後で、学生時代にやっていたアルバイトに戻ってしまいました。
 ファミレスのウエートレスです。
 主人公は、アルバイトをしながら就職活動を続けていますが、なかなかうまくいきません。
 新卒扱いになる三年の間に、なんとか正規の仕事を見つけたいと思っています。
 きちんとした職歴がないので、中途採用も難しいのです。
 現代社会は、彼女のような若い女性の就職をきちんと支援してくれていません。
 主人公の周りには、同じような境遇の人たちがたくさんいます。
 また、周辺の男性も非正規労働の人が多いので、経済的に余裕がなくて結婚相手も見つかりません。
 彼女たちは、仕事にも結婚にも夢を持てないでいます。
 そんな主人公たちの今日は? そして明日は?

私たちの今日
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大岡秀明「「現代児童文学作家論」への試み」日本児童文学1974年10月号所収

2016-12-04 08:25:52 | 参考文献
 作家論と銘打っていますが、特定の作家ではなく、現代児童文学出発期の代表的な作家である山中恒、佐藤さとる、いぬいとみこ、松谷みよ子について、一般に現代児童文学が始まったと言われる1959年以前とその後の作品について述べています。
 大岡の視点はごりごりの社会主義リアリズムによるもので、それらの作品が書かれたころの社会的背景(60年安保前後の階級闘争の盛り上がりなど)と、彼らの作品が遊離していたことを強く批判しています。
 たしかにその時点では社会主義リアリズムに立脚した作品評価がされていましたが、この文章が書かれた1974年には70年安保の敗北、革新勢力の分裂などを経て、すでに社会主義リアリズム万能の作品評価は社会の実相と大きくずれていたはずです。
 しかし、この社会主義リアリズムに立脚した批評の観点は、その後もソ連などの共産主義国家が崩壊する1990年代ごろまで続きました。

日本児童文学 2014年 12月号 [雑誌]
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小峰書店
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エーリヒ・ケストナー「ポール・アザールについて」子どもと子どもの本のために所収

2016-12-03 09:26:17 | 参考文献
 ポール・アザールの有名な児童文学論「本、子ども、大人」の独訳(1952年)の序文です。
 序文なのでほめているのは当然ですが、ケストナーの文章は魅力があって、同じ本の和訳(1957年)を四十年ぶりに読んでみることにします。

子どもと子どもの本のために (同時代ライブラリー (305))
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岩波書店


本・子ども・大人
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紀伊國屋書店
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カード

2016-12-03 08:32:58 | キンドル本
 主人公は、父親を病気で亡くしたばかりです。
 母親と一緒に引っ越した先の、新しい小学校にまだなじめません。
 いつも一人ぼっちな主人公は、父の形見のカードだけが友達でした。
 主人公がカードをながめていると、不思議なことが次々に起こります。
 そんな主人公に、クラスで同じ班になった子どもたちが誕生プレゼントをくれます。
 ようやく新しい友達ができそうです。
 主人公が最後のカードを出した時に見えたものは?

カード
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善き人のためのソナタ

2016-12-03 08:19:43 | 映画
 2006年のドイツ映画です。
 ただし、この考察は、この映画のあらすじや解説を述べるものではありません。
 私がこの映画を見て感じた、権威とか商業主義などについての考えを述べます。
 この映画は国民を監視や密告で抑え込んでいたベルリンの壁崩壊(1989年)以前の東ドイツで、反体制の劇作家を盗聴していた監視官がその過程で自由主義に目覚める姿を描いています。
 アカデミー外国語賞をはじめとして、数々の賞に輝いた作品です。
 しかし、私の正直な感想は、丁寧に作られた良質な映画とは思いましたが、ここまで高い評価を得る映画かな?というものでした。
 ガチガチの体制側の人間であった主人公が、自由主義に目覚める内的必然性がぜんぜん描かれていないので、どうしても作り物めいてしまうのです。
 それに、共産主義=悪、自由主義=善という単純な二元論的な描き方に、これが逆の立場に立った時にこの監督はまったく反対のものを作りそうな危うさを感じてしまいます。
 作品自体の評価は自分で見ていただいて判断していただくとして、私がこの映画を見た過程について後で考えたことを述べます。
 一言で言うと、アカデミー外国語賞などのいろいろな賞の受賞やネット上での評価の高さにひかれて、私はこの映画を見たのです。
 他の方々も同様な手段で見る映画を選ばれている場合が多いと思いますが、そこにいわゆる権威(ここではアカデミー賞など)や商業主義の影響の怖さが潜んでいるような気がしました。
 まず権威に関して言えば、それはあくまでもその時の政治や経済などの状況に強く影響を受けていると思います。
 例えば、この映画では、自由主義体制側にとって評価され易い側面を持っていると思われます。
 それが、この作品の持つ芸術性や監督の作家性などはそれほど高くなくても、アカデミー賞などのいわゆる権威に受け入れられたのだと思われます。
 これは、以前の共産主義国の映画祭では、全く逆のことが行われていたでしょう。
 この映画の場合、ベルリンの壁崩壊(1989年)以前に、東ドイツの弾圧のもとに秘かに作られたのなら全く状況が違います。
 しかし、2006年のドイツを描くならば、東西統一によるさまざまな弊害によって苦しんでいるドイツ国民のありのままの姿を描いた方が、よっぽど今日的かなという気がしました。
 東ドイツが監視国家だったことは、さまざまなメディアを通じて旧知のことですから、ベルリンの壁崩壊から17年もたってから描かれても今さらって気がします。
 アカデミー賞が商業主義と深く結びついていることは初めからのことですが、近年その傾向が特に強くなった気がします。
 最近はアカデミー受賞式自体も派手なショーになっていますが、アカデミー賞を取る(あるいはノミネートでも)ことが、日本での上映やテレビでの放映にも強すぎる影響を与えています。
 数年前にアカデミー外国語賞をとった「おくり人」はなかなかいい映画(芸術性や社会性という点では、1950年代から1960年代にかけての日本の名画群には遠く及ばないでしょうが)でしたが、もし受賞しなかったらあれほどの商業的な成功はおさめなかったでしょう。
 また、ネットでの評判にも注意する必要があります。
 やはりこれらは、一種の人気投票でしかありません。
 しかも、匿名性に保護されているので、その発言や評価の背景はまったくわかりません。
 前に話題になった食べログのやらせ問題でも明らかになったように、何らかの操作を行うことも可能です。
 映画だけでなく、文学作品(児童文学も含めて)を選ぶ時も、賞やネットなどの評判だけでなく、作家(監督)や作品をじっくりと検討して読む(見る)かどうかを慎重に選ばなくてはいけないなと、痛切に感じました。我々には有限な時間しか与えられていないのですから。
 
善き人のためのソナタ [Blu-ray]
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ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
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エーリヒ・ケストナー「ゴルディウスの結び目」子どもと子どもの本のために所収

2016-12-02 17:25:11 | 参考文献
 「ゴルディウスの結び目」とは、誰にも解けない結び目を、アレクサンダー大王が一刀両断にした故事からきていて、解決策を苦心して議論するよりも、武力行使をした方が解決が早いことを意味します。
 ケストナーは、十二年もの間、ナチスに執筆を禁止された苦しい経験をふまえて、若い人たちに、どんなに大変でも武力ではなく平和的な話し合いで解決すべきことを語ります。
 こうしたことは、第二次世界大戦直後だけに必要だったことでしょうか。
 いえいえ、現代の世界には議論による解決ではなく、ポピュリズムによって力付くで決定しようとする政治家たちが、世界中で権力を握り始めています。
 そして、そのことは日本も例外ではありません。

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皿海達哉「卒業生江戸響の花道」野口くんの勉強べや所収

2016-12-02 11:00:36 | 作品論
 連作短編集の第三話です。
 ぼくの小学校に卒業生だという触れ込みで、元十両二枚目と称する江戸響というお相撲さんがチャリティショーに来ることになりました。
 それ以来、学校ではちょっとした相撲ブームになっています。
 しかし、その江戸響が「相撲詐欺」だという噂を、友だちの野口くんと行った公開模試で、他の区からやってきた子から聞きます。
 チャリティショーでは、少しやつれた感じの江戸響は、子どもたちに丸太で腹を突かせたり、ビール瓶を砕いてその上に横たわり大きな岩を腹に載せてゲンノウで割らせたりします。
 最後に、三台の車に子どもたちを満載にして、歯の力で引っ張って見せようとしますが失敗して歯が折れ血まみれになってしまいます。
 ぼくの公開模試の結果は予想通り芳しくありませんでしたが、野口くんは13番と健闘します。
 その時に、前に会った子から、やはり江戸響は「相撲詐欺」だったことを知らされます。
 でも、ぼくと野口くんは、あんなにがんばっていた江戸響を信じたいと思います。
 模試の帰り道に野口くんと自転車をこぎながら、国語の問題に出た高村光太郎の「ぼろぼろな駝鳥」という詩を、ぼくは思い出します。
 そして、「ぼろぼろな駝鳥」は模試を受けに行った時はぼく自身だと思ったけれど、今は江戸響だと思います。
「ぼろぼろな駝鳥        高村光太郎
 何がおもしろくて駝鳥を飼うのだ。
 動物園の四坪半のぬかるみの中では、
 脚が大股すぎるじゃないか。
 くびがあんまり長すぎるじゃないか。
 雪の降る国にこれでは羽がぼろぼろすぎるじゃないか。
 腹がへるから堅パンも食うだろうが、
 駝鳥の眼は遠くばかり見ているじゃないか。
 身も世もないように燃えているじゃないか。
 瑠璃色の風が今にも吹いてくるのを待ち構えているじゃないか。
 あの小さな素朴な頭が無辺大の夢で逆まいているじゃないか。
 これはもう駝鳥じゃないじゃないか。
 人間よ、
 もうよせ、こんなことは。」
 ややセンチメンタルな感じはしますが、少年特有のロマンチシズムをうまく描いています。
「今は何者でもないけれど、いつかきっとぼくだって何かになれる」
 まだそう信じられる1980年ごろの少年たちと児童文学作家は、今よりもずっと幸福だったのだと思います。
 朝井リョウの直木賞受賞作の「何者」(その記事を参照してください)では、2011年になってもまだ「何者」かになれると信じている大学生たちが出てきますが、彼らは一種のエリート(朝井の言葉を借りれば教室カースト制度の上の方)なので、非正規労働にしか就けない若者たちや教室カースト制度の下層の子どもたちはとっくに「何者」になることをあきらめています。

野口くんの勉強べや (偕成社の創作)
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偕成社
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ファンタスティックビーストと魔法使いの旅

2016-12-01 17:07:31 | 映画
 ハリー・ポッターの世界観を使った魔法物語の新シリーズです。
 ただし、時間は遡って戦前のニューヨークが舞台です。
 当時のニューヨークの街並みを再現したCGが素晴らしいです。
 また、ファンタスティックビースト(魔法動物)や魔法使いの活躍するシーンも迫力満点で、子どもたちが大喜びしそうです。
 どこか、ハリー・ポッターとポケモンといった、世界の人気シリーズをミックスしたような感じです。
 主人公を演じる俳優たちは、日本の映画ように安易にイケメンやアイドルを使わず好感が持てました。
 でも、肝心のドラマは退屈で、上映中に二回も寝てしまいました。
 たぶんこのような企画は、日本ならアニメで作るのでしょうが、それを実写版(大半はCGですが)で作るところがハリウッドなのでしょう。

魔法への招待:『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』メイキング・ブック
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ハーパーコリンズ・ ジャパン
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