あんちゃんの気まぐれ日記2

仕事で行った場所の紹介や今の気持ちを素直に書き込みます。○○○○と思っているのは、私だけでしょうか??

日本の城シリーズ31 三戸城

2006年07月01日 | 城巡り
到着が閉館時間16時の10分前になってしまったが、受付嬢(50代?)の「ゆっくり見て行ってください」と言う、やさしさに甘えることにし「歴史民俗資料館」も見学させてもらった。
築城は、1558~70年二四代春政の時代だそうだが、二六代信直は小田原に参陣、その功により豊臣秀吉に南部七郡の領有の公認を受け、1597年に盛岡に城を築き、1633年盛岡城を居城とした為「盛岡南部氏」の始まりであった。
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日本の城シリーズ30 根城

2006年07月01日 | 城巡り
昭和53年から11年間に及ぶ発掘調査と、9年間の復元整備によって完成したそうで、知らなかったのは当たり前の事だった。
『根城』は、1334年に根城南部氏4代師行が、北奥羽平定の拠点として築城し、1628年遠野に領地替えになるまでの約300年、一度も落城した事の無い名城だったそうだ。(現在日本百名城に選定)
八戸市博物館の見学に時間をとり過ぎ、雨の中急ぎ足になってしまったが、順路通りに進んだ為充実した散策だった。
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日本の城シリーズ29 八戸城

2006年07月01日 | 城巡り
生まれ育った「南部八戸藩2万石」の歴史を改めて知り、今まで間違った知識が多かった事に、恥ずかしさを感じてしまった。
1664年盛岡藩南部氏三代目重直の急死により、盛岡10万石を幕府の裁定で、弟重信に8万石を与えて盛岡藩に、同じく弟直房に2万石を与えて新たに八戸藩が誕生し、八戸南部氏が始まったそうだ。
「南部氏」は、八幡太郎義家の弟新羅三郎義光まで遡り、その子孫である甲斐源氏加賀美次郎遠光の三男光行に始まり、甲斐国巨摩郡南部(現山梨県南部町)に住み、三戸南部氏(のちの盛岡南部氏)の祖であり、光行三男実長が根城南部氏(のちの遠野南部氏)の祖で、波木井(現山梨県身延町)に住んでいた。
八戸市長者山に「新羅神社」があり、『加賀美流騎馬打毬』が「八戸三社大祭」の中日に、新羅神社桜の馬場で行われているのは見た事もあったが、まさかこんな歴史が隠されていたとは・・・・・
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