あんちゃんの気まぐれ日記2

仕事で行った場所の紹介や今の気持ちを素直に書き込みます。○○○○と思っているのは、私だけでしょうか??

日本の城シリーズ 35 関宿城

2006年11月19日 | 城巡り
釣りに行かない日曜日は、家で「ゴロゴロ」している事が多かったが、今日は「寒い」のにも拘らず、日頃の「ウップン」を晴らすべく出かけてみた。
関宿城の歴史は、1457年「梁田満助」によって、築城されたのが始まりである。戦国の動乱に『北条氏』の手に落ちるが、豊臣・徳川連合軍に敗れ、徳川家康関東封入の折り、実弟である松平康元が「2万石」で入城する。以後城主は、松平・小笠原・北条・牧野・板倉・久世・牧野・久世と交代したが、1705年久世重之以後、明治に至るまで代々久世氏の治める領地となった。
関宿城の天守閣は、1671年に江戸城の「富士見櫓」を模して再建され、明治7年に取り壊されたそうである。「関宿城博物舘」はこの記録に基づき、現在の江戸城「富士見櫓」を参考に再現したものです。
関宿城本丸跡は、明治以降の江戸川改修工事で、大部分が河川の一部になってしまい、僅かに残っている所に「関宿城址」の石碑が建っていました。
東京湾に流れていた「利根川」を、徳川家康以降の工事で「銚子」までの流れに変えたって事、知っていましたか??えっ、知らなかったのは私だけ?
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八戸が岩手に編入?

2006年11月19日 | Weblog
mixiの八戸市のコミで知ったのだが、9月の八戸市議会で「八戸が岩手県に編入する可能性」を質問した議員がいたそうだ。『青森県(県政)は「津軽地方」寄りで、八戸市に対して大変冷たい態度をとり続けている。八戸市が就職難の「全国一」を争っているのは、偏った県政が悪いからだそうだ。いっその事、岩手県に編入したらどうだろうか?』だって。
八戸は「南部藩」でもともと「津軽藩」とは、仲が悪かった訳である。「八戸南部藩」は、「盛岡南部藩」の分家なのに、何故「廃藩置県」の時に青森県になったのか疑問が残る?だから、明治維新まで戻ってやり直そうと言うのだ。
八戸市民はどう考えているのだろう?
八戸を離れて33年も経ったが、今まで52年間「青森出身」だった私が、「岩手出身」と答える事ができるだろうか?と言うより、絶対に「嫌」だ!!
まぁ、こんな事が現実に起きるとは思えないが・・・


八戸市主催の「SNS」の会員に登録しました。(八戸も進んでいるでしょう?)
画像は、南部藩「向双鶴」紋と八戸市の市章



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