善光寺 安乗院
ここが、織田信長公が信州善光寺の御本佛様(一光三尊阿弥陀如来)を、甲斐善光寺からお迎え奉安置した旧跡だったとは・・・
★御本佛様の流転
元善光寺~信州善光寺~甲州善光寺~岐阜善光寺~甚目寺~鴨江寺~甲州善光寺~方広寺~信州善光寺
武田信玄公が川中島の合戦の折、信州善光寺の消失を恐れ、甲斐に新善光寺を建立しお祀りした。信玄公が没すると、織田信長公が岐阜の地にお迎えしたのだが、本能寺の変によって信長公が討たれると、次男の織田信雄公が清州(愛知県)の甚目寺に移してしまった。その後、徳川家康公が信雄公から譲り受け、浜松(静岡県)の鴨江寺に移したが、やがて夢枕に如来様が現れ「吾は本所へ帰るべし」とのお言葉があり、甲斐へ返されたのです。が、その後豊臣秀吉公によって方広寺(京都府)に迎えられますが、秀吉公も病に倒れ御本佛様は信州善光寺にお帰りになったのです。
金華山(稲葉山)頂の「岐阜城天守閣」
今回は、腰の調子が悪いので登城は諦めました。(次回は、ロープウェーを使わず天守閣まで登ってみたい?)