日大豊山高校では「文武両道」を教育方針としています。
水泳部でもその方針に従って活動しています。
「水泳では飯は食えない」とはよく言われたことです。
本校はスポーツ推薦制度があり、各運動部員で構成される体育クラスがありますが、進学クラスを同様に6時間授業をし、試験も基本的に同じもので行います。
大学進学やその先の人生を考えた場合、学習にしっかり取り組むことの重要性は当然のことであって、改めて説明する必要はないかも知れません。
水泳部には成績の優秀な生徒がどのチームにも多数在籍しています。
これまで全国中学校に出場したメンバーはほとんどが学年でも上位の成績です。
全国大会での活躍をめざすチームに所属している進学クラスの高校生もいますが、やはり成績は優秀です。
試験前や試験中でも厳しい練習を行っているのに、成績が上昇しているという例も多数みられます。
不思議なことに中学時代までそれほどでもなかった生徒が、急激に成績が上昇し、学年でもトップクラスになるということがよくみられます。
中学時代に学年で最下位だった生徒が、高校卒業時には一般入試で6大学に並ぶ大学に合格したという例もあり、それに後輩たちがよい刺激を受けているようです。
これはおそらくクラブ内の上下関係の良いつながりから学習の大切さや学習方法まで伝わっているプラスの効果ではないかと思います。
また、日曜日を休日にしていることもあり、学習時間も確保しているのでしょう。
学習能力が高いと水泳に対する取り組みにも生かされます。
学習することで教養や見識が高まることはもちろん、思考力が身につき、水泳に対する見方や取り組み方に深みがでます。
同じ練習であっても、その理由をきちんと理解して取り組んでいる場合と何も考えずにやらされているのとでは雲泥の差です。
また、スポーツの動きというのは感覚的なものですから多様な言葉によって説明するわけですが、言語能力が高いと指導者と選手の意志疎通がスムーズになります。
「哲学をもつ」にも書きましたが、「水泳に取り組む意味」というのが明確になっているか否かで、練習やレースの苦しい場面や故障などの問題に直面した時の対応に差が出ます。
水泳に取り組む意味を考えるということは、水泳に対する考察を深めることであり、最終的には自分の人生を考えることにもつながります。
その際、水泳や人生に対する解釈が必要になるわけですが、その解釈は言語によって行われます。
豊かな言語能力を有することの重要性はここにあります。
つまり、国語力の高さが水泳や人生を考える力になるのです。
ここでいう国語力とは、読解力です。
読解力は、本を読むこと=読書によって鍛えられます。
沢山の本を読むことで、国語力が向上し、物事を解釈する力も高まります。
当然、数学や英語も国語によって考えていますので、国語の成績が良い生徒はたいてい他教科の成績もよいものです。
私は公民科の教員として、「政治・経済」や「倫理」の学習を通じて、哲学の重要性を知り、物事を解釈するための国語の大切さを知ることができました。
哲学の学習を通じて、社会の仕組みを支えている根底の考え方を知ることができ、今後も大切にしなければならないことや私たちが目指すべき方向性も見えてきました。
それを教えてくれたのは先人の智恵です。
その智恵は人の言葉や本から学ぶことができます。
人の話をよく聞くことと読書をすることが学習の第一歩であることは間違いありません。
今後も「文武両道」を実現するクラブとして活動を続けていきます。
竹村知洋