GW中、どこへも行かなかった、行けなかったというわけではなく、
間隙を縫って、ちょっとお出掛けした。
神田神保町
地下鉄駅から地上に出たら、お神輿がいっぱい!
二年に一度の三崎神社例大祭
何だかよく分からないうちに携帯で写した。
詳しくは、自分で検索してちょ。
徳川家とも関係が深いみたいだぴょ~ん。
日本野球発祥の地
学士会館の敷地内で発見。
ここに東大の前身、開成学校があって、そこで野球が始まったかららしい。
学士会館へはお昼を食べに行ったの。
レディスランチは、握り寿司に豆腐とかもあって、ヘルシーでようござんした。
で、真打。
本当の目的はこちら。
共産主義って、よく分かってないんですが、
今年5月5日は、カール・マルクス生誕200年ってことで、映画公開。
ならば、観てみんべってことで。
はなはだ申し訳ないことに、当時の歴史にもイマイチ疎い夫婦は、
一生懸命観るも、感想は「で、彼らは何を成し遂げたの?」
だめだこりゃ。
夕食にピザを食べながら、熱く語り合ったものの、
所詮何も分からない夫婦。
気分だけ盛り上がって、帰宅したのであった。
この日、父がちゃんと療養してないなんて思ってもみなかっただよ。
病院行って、薬も出してもらって、大人しくしてるとばかり思ってただ。
ばかーーー!
ちょっと前になるけど、
老親のために都営地下鉄の駅で貰ってきた。
スイス国旗ぢゃないですよ。
見た目で分からないけれど、助けを必要としている人が分かるようにアピールする札。
最近だいぶ認知度が上がってきてるように思ったのだけど、
灯台下暗し。
ダンナは知らなかった。
父は85歳。
最近ウォーキングを頑張ってるし、
プールで歩いたり泳いだりも、去年よりペースを戻していい調子。
しかし、何故だか知らんが乗り物で席を代わってもらえる率が高い。
それに比べると、母80歳は股関節手術をして以来、元気そのもの。
下着の重ね着はともかく、Gパンを穿いてさっそうと歩くので誰も年寄りと思わないのか、
席を譲ってもらえないとブー垂れている。
しかし、痛くなくなったとは言え、人工股関節が入ってるので、転ぶと自分の骨が負けて壊れる。
こうなると大事で、入院期間が長くなるし、父の方への二次被害も心配。
なので、絶対に転ばしてはいけないのだ。
だ~~~かぁ~~~ら!
このヘルプカードでアピール。
見た目はともかく、痛くなくても杖を持って出かけてほしい。
って、言ってるのにさ!!
「シルバーシートの前に、もの欲しそうに立ちたくない。」
とか言ってるから、
「もの欲しそうでもいいじゃないか。」
と、叱る日々。
しぶしぶリュックに付けてはいるが、チャックの中に隠したりしているようだ。
病院でも隠すし。。。
自衛手段なんだから、ちゃんと見せるように装着してほしい。
で、父にも渡したのだが、付けてるかどうか不明。
そして、実はGW~病院通いしていた。
3日の祝日、母から電話で、
「パパが倒れたのよ。」
えええ~~!?
「あ、でもたいしたことなくて、なんとか立って、今ソファーで休んでるの。
という報告~~。」と、緊張感のない声。
冗談じゃない!!!
脳梗塞の前段階かもしれないじゃないか!
すぐに救急車、いや、タクシー呼んで病院の休日外来へ行って!!
私はその日は来客で動けない。
弟に頼んで急行してもらった。
老親はタクシーを呼ぶ方法も分かってなかった。
それでも何とか大病院へ行って、弟と合流。
それが11時頃で、血液検査、レントゲン検査などを経て、診察。
結果、何らかの感染症から肺炎を起こしている。
「入院治療がベストだが、どうするか。」と、弟から連絡。
入院したら、下手すりゃボケて寝たきり。。。とよぎった母が嫌がり、
自宅療養で可能なら、そうさせてほしいと希望。
OKが出て、抗生物質処方で帰宅。
ここで午後6時過ぎ。
疲れ切った老親と弟は、近所の和食店で夕食。
さて、これが良かったのかどうかは今も分からないが、
店屋物に期待できない土地柄、これは仕方なかっただろう。
そして、週が明けて月曜日。
かかりつけ医の紹介状を取り付けて、タクシーの呼び方も教えてもらって、病院へ。
GW明けで、異常に混んでいる。
後から私が合流して、一緒に待って診察へ。
その後に!血液検査とレントゲン。
当然、待つ!
終わっても、結果待ちで、診察も待つ!
そして!
ダメ!良くなってない。
「自宅療養」の意味が解ってなかったらしい父は、
家で寝てなくて、近所に買い物行ったり、ちょろちょろ家事をしたりしていたらしい。
ダメじゃん!!!
肺に影があったのが、大きくなってて、
軽い心不全も起きている。
数値も悪い!
お叱りを受け、(本人はまだ事の深刻さが解ってない。)
違う抗生物質と、利尿剤を処方され帰宅。
朝8時半に行って、12時半帰宅。
さ~それから、私も叱った叱った。
「大人しく寝てなさい!」
父「だってベッドは冷たいんだもん。」
私「ちゃんとパジャマを着て、本格的に寝なさい!死にたいのか!」
父「大丈夫だも~~~ん。」
私、ブチ切れ!!
「お兄さんたち(伯父)より早く死にたいのか?」
さすがにそれはイヤらしい。
「自宅療養が許されても、入院って言われたくらいなんだから、
それに準ずるように、病人らしく寝てなければダメなのよ!」
それ以来、ちゃんと寝るようになった。
と、言うわけで、次は木曜日に病院へ。
知恵を付けた老親は、前日のうちにタクシーを予約。
開門前に病院に着いて、一番採血を狙い、レントゲンも順調。
私が合流した時は、専門外来前で余裕の顔をしてた。
で、この時の診察では、心不全の症状は改善されるも、炎症の方がまだ完璧でなかったので、
とどめを刺すため、もう1回になった。
自宅では普通に生活OKになったが、まだ外出禁止。
週が明けて火曜日。
知恵はつけたけど、本来の「後回し」性分のため、タクシー予約失敗。
当日配車に失敗するといけないので、4時半起きで私が出動。
一番採血OK。いやぁ~、それでも再診受付は4番でしたよ。
<ここで解説>
開門は7時半。
再診受付は8時~。
開門前の待ち行列は7時10分ごろから発生の模様。
採血は8時15分~受付
30分~開始。
診察の予約は9時半だったので、先生は8時半に来れば。。。と仰ったが、
とんでもはっぷん!
そんなんじゃ、採血待ちで後れを取り、結果待ちで時間がかかり、予約時間に診察なんてしてもらえないのだ。
と、言うわけで、老親をレントゲン待ちに並ばせて、ほっと一息。
モーニング
診察も順調に受けて、数値も改善。
あとはかかりつけ医でフォロー。病院は卒業になりましたとさ。
おまけ
「運転はもうお辞めになった方が。。。
横で見てても、もう危ないかと思いますよ。」
有り難いお言葉、頂戴しました。
父「いやまぁ、車検が来年。。。」←関係無い!
「私、運転、上手いんですよ。」←これは本人も冗談で言っている。
先生が笑った。(受けた)と大喜び。
まぁ、良くなって良かったです。
さ、次は免許返納だ!
がんばりまーす。