ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

知の空しさと、あわれみの素晴らしさ

2014年08月15日 | 聖書

 ある家に行くと、とても立派なことば「知恵と慈悲」が飾ってあった。
Photo  曰く、
 「とらわれのない心と
  深い思いやり
  この二つの力が
  世の中を
  幸せにする」

 こういう立派なことばを目にすると、正直私は空しい思いになる。
 どうしてかというと、例えて言うと、すばらしい豪華な自動車があって、喜んで乗り込んだものの、いつまで経っても車は走り出さない。これでは暑くもなるし、快適どころではなく、狭い監獄である。なぜか?この立派な車には、なんとエンジンがない見せかけだけの車だったのである。

 「とらわれのない心」とか「深い思いやり」、それを人はどのようにしてゲットできるのだろうか?どんなに「オッ、いいこと言うね!」と思ったって、まさにそれは絵に描いた餅である。具体的に得るハウツーが内包されていなければ、価値が無いと私は思う。

 反対の例を挙げよう。キリストは「わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない」と幾度も言った。これまで気にも留めていなかったが、ある時から体が震えるほど身に沁みた。
 自分というものが、どれほど愚かで罪深いものか、その罪の重さにうちひしがれた時、そのこと自体が、自らの力で「(神によろこばれようと)いけにえを捧げ」ていたことが分かったのだ。
 ただキリストのあわれみだけが、私の希望であり、力だ・・・・Callこの真理を、このことばは端的に言い表していた。その時以来、私は自分を守る必要がなくなった。惨めであわれな自分が、あわれであるほど、何とキリストの愛をゲットする宝だったのだ。

 最後に、コールが暑い夏を過ごしている写真を載せよう。コールは何か人の役に立つことができているかというと、それはまったくない。しかしコールが共に居て、「ねえ餌ちょうだい」「つまんないから遊んで」とか、こうして「グテー」と寝ているだけで、どれだけ喜びを与えてくれていることか。自分は価値の無いと思っている方、そうではありません。あなたは神さまにとって、コール以上の存在であり、愛されています。   ケパ

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