四年前、歌集が新たな風のひびきの時代に入ってから、詩篇を賛美しようという働きが私たちの群れで始まった。
それは素晴らしいことで、聖書の朗読と賛美が一体となったものだ。ただ唯一問題は、短い詩篇は1集からどんどん作られてしまい、だんだん長めの詩篇に取り組まざるをえなくなることだ。その詩篇、10節前後あたりから、やはり言葉が多い、歌が長いと感じてしまう。
また突出して長い詩篇119は、その176節全部を賛美するだけで礼拝時間が終わってしまいそう?と今から心配している人もいる。
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以上は人間的な余計な心配であって、さて本題である。言葉が多く長い詩篇が増えて来るにしたがって、毎年難曲っぽいものが出てくるようになった。この度の歌集では詩篇111である。
数回聴いただけでは全く歌えない曲で、数十回以上、耳たこクラスの練習をしないとモノにならない。しかし不思議なモノで、難曲であればあるほど、ようやく歌えるようになると達成の喜びが倍加する。難曲であればあるほど、歌えるようになるとハマるのだ。
「ハレルヤ、私は心を尽くして主に感謝しよう。」この出だしから素晴らしいのだ。しかし、である。何度練習しても、間違わずに歌えた試しがない! 感謝❗ 近いうちに特訓の結果を私は見ます❗
ケパ
それは素晴らしいことで、聖書の朗読と賛美が一体となったものだ。ただ唯一問題は、短い詩篇は1集からどんどん作られてしまい、だんだん長めの詩篇に取り組まざるをえなくなることだ。その詩篇、10節前後あたりから、やはり言葉が多い、歌が長いと感じてしまう。
また突出して長い詩篇119は、その176節全部を賛美するだけで礼拝時間が終わってしまいそう?と今から心配している人もいる。
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以上は人間的な余計な心配であって、さて本題である。言葉が多く長い詩篇が増えて来るにしたがって、毎年難曲っぽいものが出てくるようになった。この度の歌集では詩篇111である。
数回聴いただけでは全く歌えない曲で、数十回以上、耳たこクラスの練習をしないとモノにならない。しかし不思議なモノで、難曲であればあるほど、ようやく歌えるようになると達成の喜びが倍加する。難曲であればあるほど、歌えるようになるとハマるのだ。
「ハレルヤ、私は心を尽くして主に感謝しよう。」この出だしから素晴らしいのだ。しかし、である。何度練習しても、間違わずに歌えた試しがない! 感謝❗ 近いうちに特訓の結果を私は見ます❗
ケパ