常識で考え、判断すると、時々大間違いをする。アブラハムがイサクを、神に指示されたモリヤの地で神に捧げたのが好例である。
1966年「天地創造」と言う映画があった。その時のイサクはいたいけなかわいい少年であった。この絵もそうである。まあ、そう考えるのが常識である。
この度のイスラエル派遣では、レオンというユダヤ人の牧師が、私たちの聖会でメッセージしてくれたが、その彼が私たちに「あの時のイサクは何歳だったかと思うか?」と聞いてきた。父親に連れられ、今はエルサレム神殿となっている地まではるばる三日の旅をして、おとなしく焼き尽くす生け贄になろうとしたこの子は、いったい何歳だっただろうと皆さんはお思いだろうか?
何歳? 少年? まさか、いい大人だったら、犠牲、という小羊代わりのイメージが湧きませんよね。この時も会場にいた皆がてんでに答えたが、バラバラの年齢であった。
レオン牧師は口を開いた。イサクはアブラハムが百歳、従ってサラが九十歳の時に生まれた(創世17:17)。そしてサラが死んだ年齢は?創世記23:23には127歳とある。ユダヤ人の伝承(準聖書に近いもの)ではサラは朝、アブラハムがイサクを犠牲に捧げようとして出発したのに気がついて、止めようと死にものぐるいで追いかけた。しかし、ベエルシェバからエルサレムへの途中、ヘブロンで息絶えたのだ、と。つまり、イサクの年齢は127-90=37歳から38歳であったと。
つまり、イサクはひげをたっぷり生やした、屈強ないい大人であったと。それに対し父のアブラハムは何歳?
だから笑い話だがこんな想像ができる。その時、「父上、ご乱心❗」とイサクなら簡単に犠牲を拒否出来たはず。そうでなかったのなら、イサクは犠牲の小羊、殉教の運命を受け入れたことになる。すごい信仰がイサクにはあった、と。
後で考えると、サラがこの時死んだ、と考えるには十分な理由が見受けられる。まず第一に、御心ではなかった。神の計画を妨害するものであった。次に127歳である。必死になって追いかけると心臓麻痺かなんかを起こしても不思議ではない。第三に彼女にとってイサクは命そのものである。イサク無くしては生きていけない女性ではなかったか。第四にサラが本拠地ベエルシェバで亡くなったのではなく、どうしてヘブロンでなのかという説明がこれでつく。
二千年近く後、三十過ぎのイエスという人物が同じ地で、犠牲の小羊となるのだが。 ケパ
1966年「天地創造」と言う映画があった。その時のイサクはいたいけなかわいい少年であった。この絵もそうである。まあ、そう考えるのが常識である。
この度のイスラエル派遣では、レオンというユダヤ人の牧師が、私たちの聖会でメッセージしてくれたが、その彼が私たちに「あの時のイサクは何歳だったかと思うか?」と聞いてきた。父親に連れられ、今はエルサレム神殿となっている地まではるばる三日の旅をして、おとなしく焼き尽くす生け贄になろうとしたこの子は、いったい何歳だっただろうと皆さんはお思いだろうか?
何歳? 少年? まさか、いい大人だったら、犠牲、という小羊代わりのイメージが湧きませんよね。この時も会場にいた皆がてんでに答えたが、バラバラの年齢であった。
レオン牧師は口を開いた。イサクはアブラハムが百歳、従ってサラが九十歳の時に生まれた(創世17:17)。そしてサラが死んだ年齢は?創世記23:23には127歳とある。ユダヤ人の伝承(準聖書に近いもの)ではサラは朝、アブラハムがイサクを犠牲に捧げようとして出発したのに気がついて、止めようと死にものぐるいで追いかけた。しかし、ベエルシェバからエルサレムへの途中、ヘブロンで息絶えたのだ、と。つまり、イサクの年齢は127-90=37歳から38歳であったと。
つまり、イサクはひげをたっぷり生やした、屈強ないい大人であったと。それに対し父のアブラハムは何歳?
だから笑い話だがこんな想像ができる。その時、「父上、ご乱心❗」とイサクなら簡単に犠牲を拒否出来たはず。そうでなかったのなら、イサクは犠牲の小羊、殉教の運命を受け入れたことになる。すごい信仰がイサクにはあった、と。
後で考えると、サラがこの時死んだ、と考えるには十分な理由が見受けられる。まず第一に、御心ではなかった。神の計画を妨害するものであった。次に127歳である。必死になって追いかけると心臓麻痺かなんかを起こしても不思議ではない。第三に彼女にとってイサクは命そのものである。イサク無くしては生きていけない女性ではなかったか。第四にサラが本拠地ベエルシェバで亡くなったのではなく、どうしてヘブロンでなのかという説明がこれでつく。
二千年近く後、三十過ぎのイエスという人物が同じ地で、犠牲の小羊となるのだが。 ケパ