ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

本当に世の中、不平等?

2019年09月25日 | 信仰
私は現在、民間の某「放課後児童等デイサービス」施設(注 際下段に説明あり)にパートで勤めている。

私は二年間、障害児(現 特別支援)学級担任の経験がありながら、たくさんの障害児とふれあう機会がなかったので、今さらながらだが、一人として同じ障害がいないという障害の多様性に学ぶことが多い。

障害の多様性に目を見張り、その対応に取り組みながら、ふと「どうして神様、本人のせいではない(ある意味、不平等なとも思える)差を、この愛する子どもたちにお与えになったのでしょうか」と問うている自分が居た。

考えてみれば、何もこの子どもたちだけが不平等なのではない。障害だけではない、全てが不平等なのだ。豊かな家と貧しい家。I.Qの高い人と、低い人。背の高い人、低い人。顔の美醜。なぜか努力できる人とできない人。事故や犯罪に遭う人、病で早逝したり、天災で多くのものを失うこと・・・・と、キリがない。世の中、ほとんど不平等なのだ。

神は不平等を許されている。共産主義者たちは、この不平等に対してヒューマニスティックな平等の理想を掲げ、革命を起こした。しかし神ならぬ人間が作ったものは、国民を大虐殺し、閉じ込め洗脳する恐怖としか言いようのないサタン的な国だった。罪を自覚せず、神を否定し良かれと人間の考えで作るものには、恐ろしい罠が待ち構えている。

してみると、人の目にみえるのは確かに不平等かも知れないが、実はそれをはるかに超えた価値、真理がそこにあるからなのだ。例えば物が豊かであれば、イコール、幸福であるとは言えない。むしろ反対である。カンボジアの孤児院に一か月滞在して私が感じたのは、日本の子どもたちよりもはるかに幸せそうで、笑顔が素敵なことだ。

そこで、イエスは言われた。「わたしはさばきのためにこの世に来ました。目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです。」(ヨハネ9:39)

この世で富んで豊かな者、一見祝福されている人には、世に執着し、永遠の天への希望、真理がかえって見えにくくなっている。財産があるために、骨肉の兄弟が相争うようのと同じだ。

神が許されている不平等は、こう言っている。
心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」(マタイ5:3)
  それならば障害のある子どもたちは、神の裁きから免れ、最初から祝福されている。素晴らしい。すべての不平等感が打ち破られていくではないか。


イエスは幼子たちを呼び寄せて、こう言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。邪魔してはいけません。神の国はこのような者たちのものなのです。(ルカ 18:16節)

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注)放課後児童等デイサービスとは?
法に基づいて、学校の放課後から夕6時過ぎまで、障害を持つ児童を預かる施設のこと。7年前から始まった。障害のある学齢期児童が学校の授業終了後や学校休業日に通う、療育機能・居場所機能を備えた福祉サービス。およそ十人までの小規模施設となる。


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