8:30 JR中央線塩山駅BS「西澤渓谷」行きの🚎で乾徳山登山口へ
9:10 徳和集落の舗装道路を上っていきます
秋明菊:キンポウゲ科
栗 🌰 栗
秋
桜
9:20 「乾徳山前宮神社」通過
9:30 乾徳山登山口 (直進すれば徳和渓谷へ)
よく手入れされた植林帯
マツカゼソウ
10:05 銀
晶
水、一息入れました
灌木帯~林道を横断して「駒止」
ここまで🐎できた、ここからは・・・
苔生した岩混じりの道に、稜線も見えてきた。
錦
晶
水、水量は多かった
道は傾斜が緩み眺望が開く、乾徳山が姿を見せた
10:55 国師ケ原十字路
鹿が(肥気味?)
水分補給して扇平へ上る
マルバタケブキ(もう終わり)
ウメバチソウ
アザミ 意外と花は少なかった
扇平、月見岩
へ行けば「道満尾根~徳和」への道
扇平から乾徳山に続く「岩」の道へ
奥秩父らしい原生林と岩が続く
「雷岩」鎖場の直登も
最後の「鳳岩」鎖場、前回は登りましたが・・・・・
爺さんは右の
「迂回路」へ、梯子を二つ上って
ホツツジ
12:30~12:45 乾徳山:2031m
元徳2年(1330)塩山の恵林寺を開山した夢窓国師が
一夏座禅を組んで修行した山である。
この恵林寺の乾(いぬい、易学では北西の意味)にあり、
徳和村にあるので『乾徳山』となったそうだ。
東側
北側 笠盛山:2072m~黒金山:2232m 方向です
イワチンチン:キク科
扇平:文字通り🚅 🚅 🚅で下りました
13:45 国師ケ原十字路(最後の水分補給)
14:40 乾徳山登山口通過
14:50 徳和川(一級河川)
15:08 塩山駅行きの🚎に間に合いました。
*
恵林寺山門
快川:かいせん 国師は、戦国時代から安土桃山時代にかけての臨済宗の名僧です。
天正10年、武運つたなく、最後の当主勝頼と共に甲斐武田家が壮絶な滅亡を遂げたのち、
侵入してきた織田信長の軍勢は恵林寺を取り囲み、国師以下、
兵火を逃れて恵林寺に身を寄せていた老若、僧俗を問わず百名近くが、
山門の楼閣上に押し込められ、放たれた火によって焼き殺された。
安禅不必須山水(安禅は必ずしも山水をもちいず)
滅却心頭火自涼(心頭を滅却すれば 火も自ずから涼し)
という言葉は、炎に包まれて落命するこの最後の瞬間に、
国師が唱えたものだといわれています。
* *
行程:標高差1203m、約5.5時間、10km
8:30 JR塩山駅 =9:05 乾徳山登山口BS ⇒9:30 乾徳山登山口
⇒10:05 銀昌水 ⇒10:55 国師ケ原十字路 ⇒11:25 扇平(岩の登山道)
⇒12:30~45 乾徳山・昼食 ⇒13:45 国師ケ原 ⇒14:40 登山口