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・・・⛄ 冬がやってきました ⛄・・・

二子山~乳頭山(三浦アルプス)

2022年05月18日 | 神奈川県の山

5月15日二子山~乳頭山(三浦アルプス)を歩いてきた。

いつもは仙元山で江の島と富士山を見てスタートするが、

 今日は⛅空富士山は期待薄と判断し、逆コースとした。

9:10 JR東逗子駅スタート

 (乳頭山=三浦アルプスは葉山町、地図には記載なし)

まずは二子山へ

ナツトウダイ

ムラサキケマン

(2月末に歩いた)神武寺~鷹取山方面

シダの葉

葉の大きさについて:一つ先の葉の大きさは3:4(黄金比)になっているとか?

1・2・3・5・8・13・21・34・・・・・=フィボニッチ数

自然には不思議がいっぱいですよ

ベニバナサイハイラン(サイハイランの栽培種)

イヌトウバナ(団体で中)

10:05 二子山をストンします

多くの野鳥がさえずっていました、ウグイスぐらいしかわかりませんが

10:30 二子山:207m(上の山)

三浦半島のランドマークです@本牧、二つ並んだ山容は目立つ

一等三角点」

タニウツギ

下の山まで向いましたが、鞍部への下りで虫が多く飛んでいたので、戻りました

11:10 分岐に戻り乳頭山へ

ジャノメランの

11:20 馬頭観音(文政とありますか年前の石碑です)

雨上がりの泥濘に有効ですが、滑ります

カラスノボタン

マルバウツギ

道迷い対策

低山だけど(間道)が無数有り道迷いが多い、特に森戸川源流域の沢筋

岩場も

タラノメ

11:55・12:15 乳頭山・(2パーティで員状態)

横浜市街地

隠れてました?

乳頭山

いつも昼を食べる場所

サイハイラン

花びらが武将の振る「采配」に似ているからの命名

13:00 大桜:小さなアップダウンの続く道ここは一つのピーク

「親切な参考になる」表示板

何に見えますか?カモシカ

サイハイラン 

マテバシイ:ブナ科

13:45 観音塚

左)千手観音(年) 右)頭観音(年)

200年以上前から人の移動があった証左になりますね?

フタリシズカ

いつもは上る木段、降ります

クサイチゴ

14:35 仙元山:118mからの眺望

ガマズミ(鎌酸美):スイカズラ科

ノアザミ

14:45 風早橋へ下山・・・15:10京急逗子・葉山駅着

  行程:累積登り標高差600m、約15km、6時間

  9:10 JR東逗子駅 ⇒10:05 二子山分岐 ⇔10:40二子山:207m 

   ⇒11:20 馬頭観音 ⇒11:55・12:10 乳頭山:202m ⇒13:00 大桜

   ⇒13:45 観音塚 ⇒14:35 仙元山 ⇒(風早橋)⇒15:10 京急逗子・葉山駅

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>>>空海 16

空海に「虚空蔵菩薩」を伝授した僧は、「一定の場所へゆけ」と教えた。

当然虚空(宇宙)の意志が伝わりやすい、自然の一空間であらねばならず

 それが山であればどういう山がよいかという示唆はあたえたに違いない。

「大和の葛城山などいかがでありましょう」と空海は訊いたことであろう。

葛城山はずっと以前にこの国に出現した土俗的山林修行者が開いた山で、

 神霊を感じやすい山であることが常識となっていた。

「それは君自身が見つけることだ」と僧は言ったであろう。

「つまり神になりうる」と空海はひそかに思い、激烈な興奮をおぼえた。

かれの青春の中での七年間というのは、この興奮の持続時間であったに違いない。 


蓬莱山(滋賀県)

2022年05月14日 | 三百名山

5月10日蓬莱山(三百名山)へ登る、天候は登山日和だ

ビュッヒェで標高差1000mのピストンに備えます 

京都駅~(湖西線)志賀駅へ

8:45 志賀駅から民家の間を抜け「樹下神社」へ

ウマノアシガタ

この先「湖西道路」をくぐれば登山道

イワウツギ

トウバナ:シソ科

9:10 キタダカ道(打見山)と金毘羅道(蓬莱山)分岐

杉林を行きます、間伐された枝が靴に引っかかる

ナツトウダイ

石堤前の地蔵さん  

ヤマツツジ

傾斜も急に、岩もゴロゴロ、タフな上りが続きます

ミヤマカタバミと

シマが道を横切りました

10:10 「天狗杉」到着、休憩・・

この先オオイワカガミの群生地に(杉の倒木帯でもあります)

    

ミツバツツジと  

足元は花崗岩砂礫に変わります

  

10:50 「クロトノハゲ」オブジェ(木戸峠分岐)

黒砥の禿?ピカピカに仕上げされた黒砥石(花崗岩製)の意味でしょうか?

”びわ湖バレーロープウェイ山頂駅”がに入りました

天命水

ケキツネノボタン

11:20 打見山

「ウッディ達」と琵琶湖を俯瞰しました

琵琶湖(右上は瀬田の唐橋)

蓬莱山です。

打見山と蓬莱山頂部は「びわ湖バレイ」冬はスキー場、夏は展望地に

(ちなみに夏季リフトは無料とか話を聞きました)

11:50・12:10 蓬莱山:1174m(三百名山)

滋賀県大津市、JR湖西線蓬莱駅の北西4km、*比良山系南主稜の主峰。

比良山地:滋賀県と京都府にまたがる。北東~北西に連なる、主峰は武奈ケ岳:1214m

打見山

12:10 下山開始、湖西線蓬莱駅へ降りる尾根です

笹原の丘陵地帯、鞍部が小女郎池分岐or下降点です

直進すれば権現山:996mを経てアラキ峠(土・日あり)へ降りる登山道です

小女郎池へ寄りました(何もなし)

12:35 下山口   左へ

崩壊気味の急登、足元に神経を集中して慎重に降りました

沢沿いの道、踏跡はありますが荒れています

放置されたMB、ここまで登って来たのか?降りてきたのか?

沢を渡ります(度?だったかな)

ニリンソウ

ヨゴレネコノメ

13:30 「薬師の滝」道が不明で近ずけなかった

13:35 林道と登山道(八屋戸経由)分岐、何れも蓬莱駅へ

視界のある林道、琵琶湖です

湖西道路渡り・・・・・

光明寺通過       

琵琶湖が目線のレベルに

田植えは終わってます。

14:10 蓬莱駅着、怪我もなく無事降りてきました。

  行程:標高差1073m、12,3km、6,5時間

  8:00 京都駅(湖西線) =8:45 志賀駅 ⇒9:10 登山口

   ⇒10:10 天狗杉 ⇒10:50 クロトノハゲ(木戸峠分岐)

   ⇒11:20 打見山 ⇒11:50・12:10 蓬莱山・昼食 ⇒12:30 小女郎池

   ⇒12:35(薬師の滝)下山道 ⇒13:30 薬師の滝 ⇒14:10 蓬莱駅

        日本三百名山 蓬莱山33 完登

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>> 空海 15

 インドに起こった密教グループ、彼らは釈迦の仏教とは違い

精神が死に向って衰弱しがちな「解脱」の道を選ばなかった。

釈迦とは逆の道を選んだ。現世を肯定した

「解脱といっても、人間も虫も草も生命ある限り生きざるを得ないのではないか」

開き直った所から出発した。

彼らは自然の福徳に驚歎讃仰する立場をとり、自然に対して驚歎讃仰した。

生命を肯定する以上、人間は自然から福徳や知恵という利益を受けねばならない。

「虚空菩薩」という自然の本質は、それへ修法者が参入してゆきたいと請い願い、

かつ参入する方法を行ずるとき、その修法者に惜しみなく利益を与えてくれると

いうのである。


二上山(奈良)

2022年05月12日 | その他の山

(京都)西山の夕景

5月9日、京浜東北線・・新横浜・・🚅・・新大阪・・地下鉄御堂筋線・・天王寺

  近鉄阿部野橋・・近鉄南大阪線 10:30 二上山駅へと”遠距離移動”    

10:30 二上山へ出発  

二上山(奈良県葛城市)ってます

標示は完璧です 

10:50 登山口(写真は山頂にあったものです )

針葉樹林帯から広葉樹林帯へ

ミツバツツジ(終わりかけています)

11:20 六合目(展望台)

まったりとした奈良の原風景?

ここから上り一辺倒  

11:50 大津皇子の墓

大津皇子:天武天皇の第3皇子に生まれたが、

 あまりに勇敢で聡明な資質のために24歳で謀反の罪をきせられ、死罪になった。

皇子の死を嘆き悲しんだ姉の大伯皇女(おおくのひめみこ)が詠んだ

「うつそみの 人なる我や 明日よりは 二上山(ふたかみやま)を 弟背(いろせ)と我が見む」

という万葉集の歌は有名です。

【訳】この世の者である私は、明日からは二上山を(亡くなった)

                                           愛しい弟と思い、見ることにしよう。

12:10 二上山:517m、眺望はまったくありません

奈良県当麻町と大阪府太子町の境、生駒山地の南部に位置する「二上火山群」の主峰。

北の雄岳と南の雌岳からなる。雄岳の頂上に*大津皇子の墓がある。

雌岳 へ向かいます

鞍部まで下って、

ベンチで雨空を見ながら昼食

12:30 雌岳へ・・・・

日時計と眺望に恵まれています。

東方向に大和三山(香久山:m、畝傍山:m、耳成山m)

 霞のなかでした。

南方向に葛城山、西には大阪湾や淡路島も・・・霞んで見えず

チゴユリ

鞍部へ戻り、祐泉寺へ降ります、沢沿いの急登、植生には恵まれていた

カンアオイの葉(細長い?)

ウマノアシガタ:キンポウゲ科

これが平衡状態

指名手配:調査中

シャガ

13:10 祐泉寺:天台宗、山門が登山口

What is This?  

〇 ● まる 丸  

13:40 當麻寺(たいまてら)へ寄ります

聖徳太子の導きにより、612年に創建、681年には現在地に移されたと伝わる。

「奥院」浄土宗総本山知恩院の「奥の院」として建立された。

日本最古の東西両塔や梵鐘・石灯篭など数多くの文化財を伝える古寺。

「御影堂」の背後に二上山を拝す

浄土庭園

現世を石組と渓流で表現し、阿弥陀浄土の世界が広がっていた

地蔵菩薩

宝物殿の庭

東塔

仁王門

門前町を歩いて当麻駅へ 

お気持ちは充分に伝わります

「相撲発祥の地」とか

  行程:標高差413m、7km、3,5時間

 10:35 近鉄二上山駅 ⇒10:50 登山口 ⇒11:20 6合目 ⇒11:55 雄岳(大津皇子の墓所)

  ⇒12:30 雌岳・昼食 ⇒13:10 祐泉寺 ⇒13:40・14:00 當麻寺 

  ⇒14:10 近鉄当麻駅 ・・🚋・・🚃・・ 京都駅(泊)

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>>>空海 14

秘法を学ぶ

「学生よ、お前がそこまで仏法のことに熱心ならいい工夫を教えてやろう」

山野を歩き回っている乞食のような私度僧に云われた。

この私度僧は万巻の経典をたちまち暗誦できるという秘術を教えた。

つまり、ある真言を、ある場所へ行き、そこで一定の時間内に

 百万遍唱えるというもの。

この苦行を反復するうちに、人間の意識下に眠っているどの層かが急に

 光芒を放ちはじめ、その光芒に照らし出せば八万四千と云われる経文を

 意のままに暗誦できるようになるというものであった。

インドに伝わる「虚空蔵求聞持法=こくうぞうもんじほう」という秘法。

記憶力をつけるために虚空蔵菩薩という密教仏にすがり、

 その菩薩の真言を一定の方法で唱える。

真言とは言語の一種であるが、人間の言語ではなく、原理化された存在

(法身如来)たちがしゃべる言語である。

むずかしい、誰でも簡易に会得できることではない

 


岩殿山

2022年05月06日 | 山梨百名山

5月5日岩殿山を浅利登山口から歩いてきた。

(連休中の登山は人が多いので、バス利用なしが原則)

南側の岩殿登山口から何度か登っているが、今は道が崩壊し通行不可、

 浅利登山口~稚児落としを経由し、畑倉登山口へ降りた。

9:35 中央線大月駅から浅利川沿いを歩く。  

左)天神山 右)岩殿山 奥)百蔵山

[錦木様]   

キケマン:ケシ科

ハルジオンと馬頭観音

アヤメ

10:10 浅利登山口 

ヒトエ

ヤマツツジ 

  

  

チゴユリ、  花はこれから

浅利登山口~稚児落としまで地味が薄いのか?

 花を付けた植物は見られなかった   

10:50 稚児落とし、いつ見ても迫力満点

手前)高川山 富士山も何とか見えた(はまだ多い)

さっきまであそこに立っていた

松の花

岩場ルートへ

11:20 (緩やかな稜線歩きで)天神山:519m

右)岩殿山 中央)扇山:1138m 左)百蔵山:1003m

ヤブレガサ:キク科

岩場の下り①

岩場の下り②

筑坂峠から約20分(標高差m)最後の登り

揚城戸

(揚木戸)とは扉が上下することで開け閉めしてきるタイプの門

マメウツギ

13:20 岩殿山(山梨百)・東屋で昼食 

フデリンドウ

岩殿山ジオラマ

12:40 本丸跡から畑倉登山口へ降りる

転がるように下ります

12:50 鬼の岩屋(円通寺新宮跡)

新宮跡は修験道山岳寺院だった円通寺の伽藍の一つ、かっては洞窟内に

 社殿が造られたと伝わる。

現在は『大月桃太郎伝説めぐり』で「鬼の岩屋」として一役買っている

13:05 畑倉登山口着

舗装道路を歩いて大月駅へ向かう、ここは野草が多く生息する散歩道だった。

カネバヒキオコシと蒲公英

オドリコソウ:ケシ科

ヒメオドリコソウ:ケシ科

イカリソウ:メギ科

ホタルカズラ:ムラサキ科

ツチグリ:イチゴ科

猿橋駅~岩殿山へ通ずる「岩殿上」登山口

 13:40 大月駅、14:15発高尾行きで帰途に着いた。

  行程:標高差253m、約8.3km、4時間

  9:35 JR大月駅 ⇒(舗装道路)10:10 浅利登山口 ⇒10:50 稚児落とし

  ⇒11:20 天神山:519m(鎖場経由)⇒12:20 岩殿山:624m・昼食

  ⇒12:40 本丸跡 ⇒鬼の岩屋 ⇒13:05 畑倉登山口 ⇒13:40 大月駅 

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>> 空海13

 彼の幼少時の名前は「真魚=まうお」といったらしい

地方の土豪出身者などの間では、尚古代的な動物名称を名にする習慣が続いていた。

当時の語感でいえば「魚(な)」というのは下等の魚を指したという、

「魚(いお)」とは上等の魚をさしたという推量がある。

真魚とは鯛のことだろうか?今の感覚でいえば多少ユーモラス。

ちなみに私の亡母(明治44年生まれ)母の名は「タイ」だった。


クマガイソウ・高尾山

2022年05月04日 | 東京都の山

5月2日、17日ぶりの登山は高尾山を歩いてきた。

今回のミッションは二つ❶八十八大師朱印をもらうこと

           ❷クマガイソウを撮る事だった。

8:50 高尾駅スタート  

金比羅登山口を偵察しました

9:10 登山口   

9:25 八王子市内「登山遠足」の団体です(小雨が落ちてました)

クサノオウ:ケシ科(汁が有毒)

6:50 「琵琶滝」、朱印ゲット2/3   

10:15 十一丁目茶屋 (陽も射してます)

「蛇滝」 へ降ります  

今の時期主役は「シャガ:アヤメ科」です

蛇滝水行道場(この中に六十七、六十八番があります)

朱印ゲット・・・コンプリート3/3   

イワタバコ:イワタバコ科

これからです 高尾山に戻ります   

ミヤマカタバミ、葉も大きく成長し光合成に備えています

少しずつ人も増えてました

11:30 大天狗と小天狗

大天狗は団扇をか携えています。災厄を祓い、幸福を招くためのもの。

「開運の天狗団扇」と呼んでいます。  【高尾山報4月号より】

「御護摩受付所」で朱印状を確認してもらい、お札を頂きました。 

ガイド冊子00円、記名料00円也

  

白内障の手術を考えているので、しっかり撫でてきました

11;40~12:00 (喧騒の)高尾山      

あいにくの空

12:05 大垂水峠へ降ります  

オオカメノキ

チゴユリ(少数派でした)

ホウチャクソウ:ユリ科チゴユリ属

花の形が寺の軒先に架っている大型の風鈴「宝鐸」に似ているからの命名

圧倒的に多かった

崩壊地も

ヨゴレネコノメ

見覚えあり

13:05 大垂水峠(下は旧甲州街道20号線)

ここから南高尾山稜、高尾駅まで10kmあります

イカリソウ

登り返します  

13:30 大洞山:536m 

コメウツギ

ヤマツツジ

コバノタツナミソウ

葉)エイザンスミレ 花)ノイチゴにアゲハ蝶の幼虫が

新緑が眩しい

カラスアゲハ

ジュウニヒトエ

14:00 中沢山はトラバース、14:10 展望台(右は城山湖)

14:25 西山峠、山下(旧甲州街道)へ降ります

この斜面はニリンソウの群落地で有名です

ヤマブキソウ

ニリンソウの群落地を降りて

14:55 山下

最後のお地蔵さん 

アオイスミレ

15:00 蛇塚「稲荷神社」クマガイソウの群落地です

同じ方向に揃って咲いてます

  

クマガイソウ:ラン科アツモリソウ属

袋状の唇弁を熊谷直実の母衣に例えてこの名がある

15:25 高尾山口方面(甲州街道から)・・・15:45 高尾駅着

  行程:標高差  約20km、6時間50分

  8:50 高尾駅 ⇒9:10 金毘羅登山口(偵察) ⇒9:25 高尾山登山口

   ⇒10:15 十一丁目茶屋 ⇔ 蛇滝 ⇒11:30 大本堂(お札)

   ⇒11:40・12:00 高尾山・昼食  ⇒13:05 大垂水峠(南高尾山稜)

   ⇒13:30 大洞山 ⇒14:25 西山峠 ⇒15:00 蛇塚(クマガイソウ)⇒15:45 高尾駅

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>>空海 その14

 この時期の空海は、中国文明のなかに身を置き、感心としてはインド文明に引き寄せられている。

「儒教は世俗の作法にすぎない」

中国文明は宇宙の真実や生命の神秘においては無関心であった。

中国文明の重要な部分をなすものが「史伝」であるとすれば、

 史伝はあくまでも事実を尊ぶ。

誰が、いつ、どこで、何をしたか。

そのような事実の累積が、いかに綿密で膨大であろうとも、

 人生のおける事実など水面に浮かぶ泡よりもはかなく、無意味であろう。

インド人は、それとは別の極にいる。

史伝とか史伝的思考といった時間がない。

「生命とは何か」ということを普遍性の上に立ってのみ考えるがために、

 誰という固有名詞の歴史もない。いつという歴史的時間もなかった。

すべて轟々として旋回する旋回する抽象的思考のみであり、その思考によってのみ宇宙をとらえ、

 その原理の引き出し、生命をその原理の中で考える。

(容易にインド人を理解するのはむずかしい・・・・・)

           【空海の風景四:司馬史観といわれる中国・インド文明の解釈】