ブログはじめました!(since2012,feb)

・・・⛄ 冬がやってきました ⛄・・・

赤鞍ケ岳

2013年06月30日 | 山梨百名山

6月29日梅雨の晴れ間、赤鞍ケ岳(1299m、山梨百名山)を歩いてきました。

赤鞍ケ岳(朝日山)は道志山塊最東端の山、周囲には同名の山(1257m)がありこちらは、

ワラビタタキと呼んでいるようです。

 

 

 

 起点はJR上野原駅、ここから無生野まで富士急バスで向かう。

  :赤鞍ケ岳登山口

9:18 終点の無生野バス停着、駐車場まで乗せてもらった。

  :雛鶴姫の伝説碑

9:20 靴紐をしめて林道を歩き始める。

  :ソバナ

今日の予定は、無生野から赤鞍ケ岳のピストン(帰りは浜沢バス停)。

歩程を昭文社の地図で見ると約時間強と計算された。

帰りのバスが14:46発だから約.時間。おした行程になる。

登りに選んだのは沢沿いを棚ノ入へ抜けるコース、破線ルートなので不測の事態も予想される。

ガイドブックを片手に歩く。

  :林道

  :タンノイリ沢の滝

     

:ホタルブクロ        :ユキノシタ        :トリアシショウマ

  :林道終点

9:50 林道を詰めると、山道に。治山堰堤を見ながら右岸を進む。

二つ目の堰堤を過ぎてから沢を渡る。

  :私設標示板(日付け入り)  

どこかの山岳会が建てた標示を頼りに歩く(助かった!!)

  :沢を渡り返す

  :山腹

10:20 沢を離れ左の山腹を登ると小尾根に、小休止。

  :広葉樹林帯

檜植林帯が、広葉樹に変わる、傾斜もきつくなる。

  :フタリシズカ

  :棚ノ入(サンショ平)

10:55 今日の難ルートを無事クリアー(5分の貯金もできた)

『地元の人は、ここを棚ノ入山と呼んでいるらしい』

展望が開け、新緑に染められた道志山塊が見える。

  :赤鞍ケ岳

正面には赤鞍ケ岳が、姿を見せる。

  :雛鶴峠分岐

一旦雛鶴峠へ下り、左へ折れると赤鞍ケ岳への登山道が始まる。

  :狸の糞?

細い稜線、”けものみち”になっているのか、彼らの糞も。

      

:ヤマボウシ         :コアジサイ         :ヒメウツギ

  :尾根道

赤鞍ケ岳の尾根道に、夏草が登山道を覆っている。

  :山頂

11:30~11:50 広葉樹林とカラマツの間をぬって、あっけなく山頂へ。

(昭文社の地図では登り1時間、下り40分となっていた)

眺望はまったくない、少し早いが昼食を食べた。(虫が多いのには閉口したが)

  :こちらも紹介します

  :道志山稜

12:15 棚ノ入分岐(サンショ平)へ戻り、二十六夜山へ向かう。

ここからは道志山稜を右に見ながら歩く、歩程も余裕が出たので、足取りも軽い。

12:25 棚ノ入山(三角点のみ)通過、細い稜線、小さなアップダウンを行く。

  :リニア幹線

リニア幹線を俯瞰できる場所に、ここから三日月峠まで一気に下る。

      

:キイチゴ(食べ頃)    :トリアシショウマ       :

  :崩落地

  :吸込まれそうだ

  :三日月峠

13:00 三日月峠に(何もない)

  :浜沢分岐

13:05 浜沢分岐(ここも足場が崩壊していた)

時間に余裕ができたので、二十六夜山経由で下尾崎へ下ることにした。

  :二十六夜山

13:25 二十六夜山(道志)山頂へ。

北側の眺望があったと記憶していたが、何も見えない。

(昨年の4月に田崎さんと2人できている)広葉樹のせいだろうか。

  :二十六夜塔

   

:ギンリョウソウ       :ベニバナイチヤクソウ(暈けています)

  :

下尾崎への下りは、まず落ち葉を踏みながら、そして杉の植林帯、沢筋に出れば、

  :新設されたフェンス

14:05 下尾崎の集落への入口(昨年はなかった)

   

アオダイショウが日向ぼっこをしていた。

         

オイランソウ      :オカトラノオ       :ホタルブクロ(覗いちゃいました)

  :二十三夜塔

  :能書き

14:20 下尾崎バス停に、14:46発のバスで帰途に着いた。

 **********

           行程:標高差789m、約12km、歩程5時間 

        8:28発 無生野行バス =9:15 無生野バス停 ⇒9:20 赤鞍登山口

         ⇒9:50 林道終点 ⇒10:20 小尾根 ⇒10:55 棚ノ入(サンショ平)

         ⇒11:30~11:50 赤鞍ケ岳山頂(昼食) ⇒12:15 サンショ平 ⇒12:25 棚ノ入山

         ⇒13:00 三日月峠 ⇒13:05 浜沢分岐 ⇒13:25 二十六夜山 ⇒二十六夜塔

         ⇒14:20 下尾崎バス停 ⇒14:46発 富士急バス上野原駅行き

*****トナリノからのお知らせ(入庫しました)

  :夏ですね?

  :ヨガマット

  :水に濡れても使えるメモ帳

 今週のtwins 

父に肩車されてご満悦のtwinsです。

   

誕生ケ月を迎え、日一日と成長しているのがわかります。

自らの”移動手段”も確保しつつあります。

それが顕著なのがmei-dx 、これからはmei-exp(ress) と改名します。

hina-bou はマイペースで・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


富士山が世界遺産に登録!

2013年06月23日 | 日記

6月22日ユネスコの世界遺産委員会は、「富士山」を世界文化遺産に登録することを決めた。

富士山の登録で、国内の文化遺産は13件、自然遺産と合わせた世界遺産は17件になる。

また、名称は、文化遺産としての性格がよりわかるよう、推薦時の「富士山」から

「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」と変更された。  (朝日新聞より抜粋)

 今週は理由あって山歩きは休み、富士山について書いてみました。

 :1月高尾山から

世界遺産とは?

人類全体に普遍的な価値を持つと認められた文化財や自然環境

   世界には、これまで人類が残してきた遺跡や文化的な価値が高い建造物、

    貴重な自然環境など、世界中の人々が共有し、次の世代に受け継いでいくべき

    “物”がたくさんある。

その中から国連教育科学文化機関(ユネスコ)が「世界遺産条約

(世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約)」に基づいて

「顕著な普遍的な価値を有するもの」を選び、世界遺産リストに登録しています。

リストに登録された文化財や自然環境を「世界遺産」といいます。


世界遺産には、記念物、建造物群、遺跡、文化的景観などからなる①「文化遺産」、

地形や地質、生態系、自然景観などからなる②「自然遺産」、この双方の特質を備えた

③「複合遺産」の3種類があります。

 :1月思親山から


富士山は当初、自然遺産への登録が検討されたが、

残念ながらどうしてもその4つの登録基準に、入らない。

一部では富士山のゴミがと報じられていますが、富士山からゴミが一つもなくなっても

自然遺産にはならないのです。

富士山が何万年かけて生成された美しいコニーデ型の火山だといっても、

この種の火山はいくつも存在する。(カムチャッカは特に多い)

青木ヶ原樹海における植生の多様性や、植物の垂直分布、あるいは富士の湧水の豊富さなど、

豊かな自然が存在しますが、世界遺産の基準に照らしていうと、どこにもあてはまらない。

  :2月吾妻山から

富士山頂は何県?

富士山の頂上はなに県なのか?最新の地図では国内最高地点、3776mの

剣ヶ峰の北側から、山頂東の小富士までの東西約5kmは、県境ラインがない。

県境が確定していないからだ。かってはあったようだが、1928年(昭和3年)の修正版から

県境が消えている。5~7合目は山梨。静岡両県の土地に分かれ、登山道は県道だ。

だが、8合目から上の大半は、浅間大社が所有する私有地なのだ。

ただ、何県だか決まらず、地番もなく、登記できずにいる。

(1974年に財務省から約385万M2が譲渡されている)富士の火口は

大内院(幽宮)”ないいんかくりのみや”と呼ばれ、底が8合目に付近になる。

ここから先は聖なる地、結界。 富士山の御神体にあたる。

  :3月薩田峠

富士山信仰

江戸時代に富士信仰の登山口としてにぎわった山梨県富士吉田市。

街中の目ぬき通りに、10m近い高さの金鳥居がそびえ立つ。

「俗世間と信仰の世界を隔てる結界」約15分歩くと北口本宮富士浅間神社に着く。

裏手に登山道がある。富士吉田に限らず、昔の登山口ごとに起点となる浅間神社があった。

縄文時代には麓から拝んでいた遺跡と考えられ、平安期には富士を浅間大神として

祀ったという記録が現れる。

「せの海」と呼ばれた巨大な湖を西湖と精進湖に分断した貞観の大噴火など、

当時は噴火活動が活発だった。荒ぶる火山を鎮めようとしたのだ。

噴火が落ち着くにつれ、仰ぎみるだけでなく、山に入って修行する富士修験が起こる。

拠点が村山口(富士宮市)で周辺に宿坊が出来た。

  :浜石岳

庶民にも広がったのが江戸時代の富士講だ。

「厳しい登山により身を清める」富士講の根底にある思想です。

開祖とされる修験者・角行は、人穴と呼ばれる溶岩洞窟で苦行を重ねる。

授かった霊力によるお札などで、」信者を得た。

さらに長谷川角行から6代目の食行身禄が登場。

とにかく潔癖で清貧を重んじ修行したといいます。

彼の信仰の基礎は、「正直、慈悲、情け、不足」ということであり、

心の中に平安な世界を生み出すことにより、地上天国をつくろうとしたのです。

彼の時代は、「生類憐みの令」や飢饉による打ちこわしなど社会不安が満ちた。

世直しのため、断食し日目に死んだ。

その間に口述した教えは富士信仰の聖典となる。

江戸を中心に「講」と呼ばれる信仰集団ができ、山開きすると交代で富士に向かった。

栄えたのは角行や食行身禄(じきぎょうみろく)が使った吉田口。

「御師=おんし」と呼ばれる神職の屋敷に泊まった。

御師はおはらいなど信仰面のほか、荷を担ぐ強力の手配を含む観光業の役割も担った。

信者は白装束で「懺悔懺悔六根清浄」と唱えながら登った。

  :南高尾から

世界遺産登録されることの意味は? 

世界遺産は保全が目的であり、観光開発を促進する趣旨ではない。

景観や環境の保全が義務付けられる。

年間30万人が登る富士山、入山を規制しようとの議論は当然出てくる。

入山料の導入もその一連の流れから出てきた話だ。

文化遺に登録されたために、入山が制限される事態がやってくるだろうことは推測される。 

 また、少なくとも日本では世界遺産に登録されることで観光客を呼び込もうとする 

動きのあることも指摘されている。

【5月文化遺産への登録が内定時、富士急行の株が上昇したことでもその”懸念”はある】

  :5月大蔵高丸

 いずれにせよ、先人達の営為を伝える遺跡や建築物、

                    私たちを取り巻く自然環境はかけがえのないものです。

世界遺産に登録されたために、その遺跡や自然が傷ついてしまうのは本末転倒ともいえます。

世界遺産であるかないかにかかわらず、

                こうした人類全体にとっての貴重な財産を

 次の世代にしっかりと受け継いでいけるよう、日頃から大切にする意識を持ちたいものです。

  :小倉山

老いも若きも、男も女も、あらゆる階級、あらゆる職業の人々が、「一度は富士登山を」と志す。

これほど民衆的な山も稀である。というより、国民的な山なのである。日本人は子供の時から

富士の歌をうたい、富士の絵を描いて育つ。自分の土地の一番形のいい山を指して何々富士

と名づける。最も美しいもの、最も気高いもの、最も神聖なものの普遍的な典型として、

いつも挙げられるのは不二(富士)の高根であった。

世界各国にはそれぞれ名山がある。しかし、富士山ほど一国を代表し、国民の精神的資産

となった山はほかにないだろう。  (深田久弥:日本百名山、富士山より抜粋)

  :達磨山から

富士登山は夏のレジャーアイテムの一つになっている。

登山ではなく、レジャーとして、「今年は富士山へ行くか」という”のり”で行く。

初心者は何故か、初めに一番きつい山に登る?!?

かくいう自分も、20代後半、かくたる山登りの経験もないまま、弾丸登山を試みた。

22:00頃 横浜から車に同乗し、0:00 5合目へ、10人程度の団体で頂を目指した。

水も現地で買えば高いからと、十分に準備して。

登山靴は当時”キヤラバンシューズ”といったものを購入して登った。

御来光は8合目あたりで見たが、疲れで感激するどころではなかった。

夜が明けると、視界が開け、登山者がありのように登山道に並んで歩いていた。

無時山頂へ、岩だらけの山を見て、もう2度とくることはないと漠然と考えた。

息たえだえに、お鉢回りをし、”砂走り”を雷に追われながら走って下った。

雨にも打たれた、いい思い出が一つもない富士山登山だった。

「富士山は見る山」との認識が焼付いた。

最近思うのは、 

 『晴天の富士山に登り、山頂から、今まで登った山を見たいと思うようになった』

きっと若い頃登った時と、違う絵が見れるとおもう。

                        (参考文献:富士山が世界遺産になる日、PHP研究所発行)

 twins 

8ケ月の誕生日、大きく成長しました。

楽しみにしていたバザーは”鼻詰まり”でキヤンセルしましたけど。

   

hina-bou                        mei-dx 

 

 

 


今倉山~二十六夜山

2013年06月17日 | 山梨百名山

3月16日 梅雨空の中、今倉山(山梨百名山)~二十六夜山を歩いてきました。

今回のメンバーは、i-KTの3名です。

今倉山は山梨県都留市と南都留郡道志村の境にある、道志山塊の一峰。

対面に皇太子殿下も登った、道志山塊最高峰御正体山(1682m)がある。

  :富士急行都留市駅のベンチ

8:35 富士急行都留市駅に早めに着いた。

登山口へ向かうバスは9:10発、約40分駅構内で時間をつぶした。

  :終点バス停

9:10発のバスの乗客は我々3人”貸切”だった。

(こんな日に登山するやつはいないよ!と自嘲ぎみに話しながら)

 :案内板

9:45 隧道脇を登っていく、道は草で覆われ、案内がなければ解らない。

久しぶり(今年初めて)合羽着用、傘をさしての山歩きだ。

  :御正体山分岐

10:00 樹林の中を歩き、尾根道にでた、御正体山分岐だ。

 :今倉山側

  :御正体山側

(モデルはT隊員)

  :ヤマツツジ

ヤマツツジがかろうじて残っている。

  :フタリシズカ

  :フタリジズカ

  :ヤグルマソウ

山も端境期?松の林床にフタリシズカ、ヤグルマソウが幅を利かせていた。

急登、蒸し厚い。「合羽を着れば中から汗がでる、合羽を脱げば外から濡れる」

濡れるのは一緒、どっちがいいか?自問自答しながら歩く。

  :今倉山

10:50 急登を登り、今倉山(1470m)へ、早!!1時間20分の歩程を、1時間弱でクリアー。

眺望はない、あってもこの天気ではそれはかなわない。

右へ行けば菜畑山(なばたうら)から朝日岳、高畑山を経由してJR梁川駅へ、

続く縦走路へ通じている。

今日は左へ、赤岩から二十六夜山へ向かう。

  :稜線

今日の登りはほぼ終わり、後は稜線のアップダウンのみ。

  :スズムシソウ

一旦下り、御座入山(今倉山西峰)への登りで、珍しい花を見た。

スズムシソウ(スズムシラン):ラン科クモキリソウ属

  葉は広楕円形で長さ10cm程度、先はとがる。基部は鞘状で、2枚の葉が互いに抱き合う。

  花茎は10~20cmになり、淡暗紫色で径約3cmの花が10個ほどつく。唇弁は倒卵形で長さ

  1.5cm、幅1cm。和名は唇弁をスズムシの羽根に見立てたもの。

自然林、人の手が入っていないので、こんな花も咲いているのだろう。

  :展望がない

11:10 御座入山通過

今倉山は複数の名を持っている。道志側の呼称は今倉山。盛里側では御座入山・内題山。

  菅野側ではパラジマノ頭と呼ぶ。(よくあるケース)

  :クサタチバナ

  :クルマツクバネソウ

  :

御座入山から赤岩の稜線で見た花。

  :赤岩

11:38~11:55 赤岩(松山)へ、雨も止んでいた、昼食。

  :方位盤

赤岩からの眺望は、雄大な富士山、南アルプス、三つ峠、八ヶ岳、奥秩父の山々。

さらには新宿高層ビル群、相模湾、スカイツリーまで望めます(都留市ホームページより)

  :富士山の方向

当然今日の気候では、眺望は望むべくもない。

  :水の表面張力

二十六夜山へ向かう。ほぼ下り・・・。

  :いい雰囲気

雨はやみ、”霧”が登山道を演出してくれた。

  :虫も出てきた

雨がやむと、虫も動き出す。もちろん、ハルゼミも鳴きだした。

  :Mother tree

  :冶山林道

一旦、冶山林道へ出る。

  :登山道へ戻る

  :

T隊員はこれを見て「ウサギグサ」?かなと言っていた。

  :二十六夜山

13:00 二十六夜山(1297m)、秋山村にも同名の山(792m)がある。

 便宜上ここは(道志二十六夜山)と呼んでいる。

      

山頂の東斜面にあやめが二輪咲いていた。

  :九鬼山  

雲がきれ、西側の眺望が開けた、正面に九鬼山(くきやま)が姿を見せた。

  :二十六夜塔

訳あって拝んできた。

  :月待ち信仰

二十六夜塔は、頂より少し下ったところにあり、そのまわりがやや低い平坦地となっている。

月待ち信仰

  江戸時代には二十六夜信仰があり、一月と七月の二十六日の月の出を拝むと、月の中に

  弥陀、観音、勢至の三つの仏があらわれるのだという。

  またこの山は田中澄江さんの書いた「新花の百名山」でヒゴスミレ、マルバスミレが紹介されている。

  その中で二十六夜信仰に関し面白い歴史考証が載っていたので紹介したい。

  ~前略~ 私は二十六夜山が日本の中でたった二つ、都留周辺にあるのは、*有馬晴信の家臣の

  信者たちが、かくれキリシタンとしてこの地に住みつき、二十六夜の月にかこつけて、ひそかに山上

  に集まり、マリアへの祈りをささげたのではないかと想像した。その熱い信仰がなくて、なんで一月

  二十六日夜の明け方の、藪漕ぎの道をお詣りなどに登ってきたのであろうかと思うのである。

  *有馬晴信:キリシタン大名で甲斐に配流されていた。都留の秋元氏に引き取られ刑死した。

                    (真相は今となっては知る由もないが、浪漫をかきたてる想像だ)

  :斎場

登山道を下ったところにある斎場(跡)

13:10 戸沢へ下る。

緩い足場を気にしながら”トットト”下る。

  :ヤマボウシ

  :仙人水

14:00 ツヅラ折りを下ると「仙人水」へ、この雨で水量が多かった。

  :かっちゃ石

大きな石、かっちゃ僧が生活していたという(詳細不明)

  :苔むした

沢沿いに出てきた、苔むした風景が展開される。

  :エイザンスミレ

都留市は何故か「エイザンスミレ」が新日本花の百名山に”認定”されたと認識しているが?

実際には「熱い信仰の山で出迎えてくれた春の花たち」との前書きで、写真で紹介されているのは

ヒゴスミレとマルバスミレの二つだけだが。

  :杉の植林帯

14:10 杉の植林帯が出てきた。

間伐はされているが、林床に草は生えていないところ見ると、最近間伐したのか?

ヒルがいてもおかしくない環境と見た。

  :バス通り

14:30 バス通りに出た、都留市循環バスが走っている。

日も差してきた、疲れ気味の足で赤坂駅まで約1時間の歩程  ”トボトボ”歩く。

  :ユキノシタ

  :富士急赤坂駅

15:35 富士急赤坂駅(無人駅)に着いた。

無人駅だが、駅前には「マック」もある。16:12分発の大月行で帰途に着いた。

**********

       行程:標高差455m、約12.5km、実歩程5時間30分 

        9:10 富士急都留市駅発バス=9:40 道坂隧道(終点) ⇒9:45 登山口発

         ⇒10:00 御正体山分岐 ⇒10:50 今倉山頂 ⇒11:10 御座入山通過

         ⇒11:38~11:55 赤岩(昼食) ⇒13:00 二十六夜山頂 ⇒14:00 仙人水

         ⇒14:30 芭蕉の湯分岐 ⇒15:35 富士急赤坂駅

 今週の twins 

  :お風呂上り

  

最近よくある(ヤラセ)のポーズです、弟ですから。

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

  

 

 

 

 


源次郎岳

2013年06月10日 | 山梨百名山

6月9日(日)源次郎岳:山梨百名山を独り歩いてきました。

源次郎岳(標高1477m)甲州市にある。

大菩薩から日川をはさみ、東側に大菩薩連嶺、西側に日川尾根がある、この尾根の中心となる山。

人の名前が付いている、その由来は木曽義仲の乳母父である中原兼遠の従臣岩竹源次郎が

源頼朝の手勢に追い詰められ、山頂南西側の枡岩と呼ばれる大きな岩の上で自害したという

伝説がある。(歴史の教科書では習わない伝説だ)

  :嵯峨塩鉱線

JR中央線甲斐大和駅から、9:50発の大菩薩上日川峠行のバスに乗る。

殆どの人が上日川峠へ向かう登山者。 

10:15 「源次郎岳」登山口の嵯峨塩鉱泉前で降りたのは独り。

予測されたこととはいえ・・・・、登山口を探す。

  :登山口

  :草でカモフラージュされていた

昭文社の地図通り、バス停のすぐ横にあった。

  :登山道標識

山梨百名山だが登る人も少ないのだろう、手製の標示板が2枚。

  :新緑

ブナの木が目立つ、はるぜみの大合唱をBGMに歩く。

林床は笹が目立つ、落葉樹林帯の割には花が少ない。

      

クサタチバナ:ガガイモ科カモメズル属

 山地の林の中に生える多年草。茎は直立し30~60cmになり、枝分かれしない。

 葉は対生し、卵形または楕円形で、全縁で奥の両面にはわずかに毛が生えている。

 茎の先の花序に白色の花を多数つける、花冠は深く5裂する、花期は6~7月。

初めて見る花、葉は見た記憶があるが。

  :カラマツ林

登山道右はカラマツ林、左は自然林だった。

  :手製

  :林道分岐

10:45 嵯峨塩鉱泉深沢林道に出る。(ここから登ってくる人が多い)

  :菩薩さん

あらためて登山道に入ると、「菩薩さん」が迎えてくれる。

わけ有って、脱帽し、手を合わせる。

  ;コントラスト

新緑に、ミツバツツジこの絵が多かった。

  :牛奥峠

左が蛤岩、右が山の神(意味はよく解らない)。ここでも手を合わせてきた。

  :山の神

欠けた茶碗がなければ、ただの石としか思えない。

  :登山道

花は少ないが変わったものが見られた。

      

:フタリシズカ        :ウマノアシガタ

   

イナモりソウ:アカネ科イナモリソウ属

  三重県の稲森山で発見されたのでこの名がある。関東地方以西の山地の道沿いの崖

  などに生える多年草。葉は長さ3~10cmで対生し、2~3対集まってつく姿が、4枚の目立った

  葉を持ったハコベに似ていることからヨツバハコベとも呼ばれる。葉に斑紋の入ったものや、花が

  星咲きのものが良く見られる。花期は5~6月。 

  :下日川峠分岐

11:10 下日川峠分岐に、ここから山頂までは1/4ピッチだ。

  :最高点

今日の最高点、富士山の眺望が!?!*

このコースで唯一富士山が見える場所だが、に隠れて見えない。

  :マザーツリー

ブナの巨木が多い。

11:25 ヤセ尾根を一旦下り、わずかに登り返すと「源次郎岳」山頂。

大木が無残にも切られている!(眺望を確保するためか)

左奥に南アルプスの眺望があるが、霞んで見えない。

  :南側

   

:タンポポが一輪      :昼食を楽しんだパートナー

日陰を探して昼食、無数に飛ぶ虫をパートナーに。

  :下山道

  :根っこのアート

11:50 下山開始、このまま降りると歩き足りないので下日川峠をピストンしてきた。

  :カラマツ林

  :鹿の糞

多かった。下草を食べたのは彼らかもしれない。

  :下日川峠

下日川峠ゲート入口、ここから戻る。

  :レンゲツツジ

下日川峠への登山道で出会った花。

      

                                 :スミレさん(少なかった)

      

:ワラビ            :ササバギンラン

13:05 下日川峠分岐へ戻る。

カラマツの林床に咲いたクサタチバナ(白く見える)

  :ヤブレガサ

梅雨の準備はお済ですか?

13:50 嵯峨塩鉱泉登山口へ戻った。

バス時間には間があるので、バス通りを下った。

  :奥日川渓谷バス停

高山荘・奥日川渓谷バス停まで歩く。(バス運賃100円分を)

14:27発のバスで甲斐大和駅へ。

結局、人には合わなかった。

合ったのは大きな茶色い鳥一匹と、木から落ちた毛虫二匹、昼食に付き合って

くれた無数の虫と、終始BGMを奏でてくれたはるぜみ達だった。

14:56発の大月行で帰途に着いた。

**********

         行程:標高差257m、約8.5km、歩行時間3時間 

        9:45 甲斐大和駅 =9:50発上日川峠行バス =10:15 嵯峨塩鉱線バス停

         ⇒10:16 源次郎岳登山口 ⇒10:45 嵯峨塩深沢林道分岐 ⇒10:50 牛奥峠

         ⇒11:10 下日川峠分岐 ⇒11:25~11:50 源次郎岳山頂、昼食

         ⇒12:15 下日川峠分岐 ⇔13:05 下日川峠ピストン ⇒13:50 登山口

         ⇒14:25 奥日川渓谷バス停 =14:45 甲斐大和駅 

今週の twins  

  :何やら密談?

生後230日、新築祝いで愛嬌をふりまく(ふりまかされる)twins です。

   

:meiは女の子です。                  :hina-bouは何を食べたのかな?

 

******** 「トナリノ」 からのお知らせです。 

今週末は父の日ですね。

「トナリノ」では、お父さんの喜びそうな文具やバック、小物を取り揃えました。 

自分では買わない物も、もらうとうれしいですよね。

ラッピングも素敵にさりげなく!

                     ↓  

毎年、父の日は、6月の第3日曜日で、父に感謝を表す日。

母の日の花がカーネーションなのに対し、

父の日の花はバラというのがプレゼントの基本のようです。

1910年にアメリカ・ワシントン州のJ.B.ドット夫人が、

  彼女を男手1つで自分を育ててくれた父を讃えて、

   教会の牧師にお願いして父の誕生月6月に、父の日の礼拝をしてもらい、

    墓前に白いバラを供えたことがきっかけと言われています。


私も父親なので感じますが、「お母さんの日にくらべ、父の日は力の入り方が..?」

と感じている一人です。

 正直なところ、父と母ではその重みが違うとも考えますが。

父の日のプレゼントは、さほど期待していない父親が多いと思います、

 期待してないところに、「お父さん いつもありがとう!」なんて

優しいメッセージがもらえたら、もうそれだけで嬉しくなってしまうのが父親の心情です!

                  『物』ではありません、『気持ち』ですよね・・・・。

 

 

 

 

 

          

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


笠取山

2013年06月04日 | 関東百名山

6月3日 maitab ツアーで笠取山へ行ってきました。

担当は、カリスマTD K野さんとK林さんの2人でした。

笠取山(かさとりやま)は埼玉県秩父市と山梨県甲州市の境にある標高1953mの山。

奥秩父の山域の主脈の一つに位置している。

山頂の南側は、多摩川の水源であり、南斜面の山林一帯は東京都水道局の水源涵養林。

山頂から南側少し下に水干(みずひ)と呼ばれる水源がある。

また、山頂から西へ少し離れた雁坂峠への分岐付近に小さな分水嶺

(山梨県山梨市・甲州市、埼玉県秩父市の境目に位置)があり、

ここから山梨市側は笛吹川(富士川の支流)、秩父市側は荒川、甲州市側は多摩川へと別れている。

  :参考図

7:15 新宿駅発 中央道勝沼インターで降り、大菩薩ライン(青梅街道)を北上

柳沢峠を経て、9:45 登山口の作場平橋(標高1300m)に着いた。

梅雨明けを思わせるように、天候は晴れ、気温も高い。

 

 

  :登山口

9:45 松・杉の針葉樹林帯(自然林)を歩きはじめる。

  :晴天

   

シロバナヘビイチゴに混ざってニリンソウが咲いていた。

  :新しい表示板

10:45 「一休坂」へ、急登とあるがそうでもない。

新緑が元気をくれる、汗はでたが。

  :21名の団体

     

:アカバナ          :マイズルソウ      :シロバナヘビイチゴ(多かった)

林床は笹薮になっている、植生はよくない。

  :鹿さん

  :沢沿いを歩く

沢が流れている、若千花も出てきた。

       

:キバナノコマノツメ     :ニリンソウ         :タネツケバナ

      

:ワチガイソウ(3態)

キバナノコマノツメとワチガイソウが多かった。もちろんスミレ類も・・・。

  :笠取小屋

11:40~12:05 笠取小屋へ、昼食

林道(水源管理道)がここまで通じているのには驚いた。

  :正面が笠取山(西峰)

左の小さいピークが「小さな分水嶺」

  :雁・雁坂峠分岐

左へ行けば、雁坂峠を経て、甲武信岳まで続く縦走路だ。

右は唐松尾山を経て、飛龍山から雲取山へ続く。

  :小さな分水嶺

12:20 小さな分水嶺に(小高い丘)

  :荒川を経て東京湾へ

   :多摩川を経て東京湾へ

  :富士川を経て太平洋へ

:分水嶺とは?二つ以上の河川の流れを分ける境界を持つ、山脈。

  :笠取山西峰

ここから標高差約120mの防火帯を直登する。

  :1780m(相対値)

急登前の標高は1780mありました。

  :結構急でしょう?

  :山頂から

  :1900m

山頂は1900mと表示されています、約13分かかりました。

  :西峰(山梨百名山)

12:45 山頂へ。おなじみの標識が、朽ちかけていました。

      

         

アズマシャクナゲが迎えてくれました。

  :西峰山頂

  

結構な岩場を歩いて、東峰へ向かいます。

  :東峰(せまい)

13:05 東峰へ。シャクナゲ・ミツバツツジ・オオカメノキの饗宴でした。

  :水千(みずひ)能書

13:20 南へ下り、水千(多摩川源流)です。

少雨の影響か?枯れていました。

  :水千

水千から5分程度下ると、一つの流れとなっていた。  :湧き出ていた。

ここから一筋の流れが始まっている。  

  :水源の番人?

水源を守るかのように大きな岩が見守っていた。

  :自然林

鹿除けのネット、樹皮にまいたネットと鹿の食害対策が。

そのせいか鹿の糞もあまり見かけなかった。

  松の林床

14:05 笠取小屋へ戻る。下草がない」笠取小屋周辺の自然林

   :笹の花

下山時、笹藪で「笹の花」が咲いているのを見つけた。

:笹の花の薀蓄を少し調べました。

竹類はイネの仲間なので、発芽してから長い年月、地下茎によって繁殖を続ける。

ある一定の時期に達すると、花を咲かせ、種子を実らせて一生を終える。

竹類は花を咲かせるまでの期間(開花周期)が長いという特徴がある。

一説には数十年に一度、真竹は役120年に一度という周期がほぼ確実視されています。

見逃したら一生見る事ができないとも言える貴重な花なんです。

私も前回は九州の祖母山で咲いたのを見たことがあります。

ネットでは、今年はどこでも「笹の花が咲いている」という情報が溢れていました。

  ***

花が咲くということは、実もなるわけです。

民謡「会津磐梯山」にその実を表した歌詞があります。

「会津磐梯山は宝のやまよ、笹に黄金が成り下がる」というフレーズ。

飢饉で食べるものが無くて困った時に、笹に実った黄色い実を食べて飢餓をしのいだ

と言う事から「笹に黄金が成り下がる」なんだそうです。

笹の花咲いた時は凶作になるとも言われています。

今年も梅雨入り宣言が出てからこの少雨、心配になりますね・・・。

   ***

竹の花・笹の花を「泥食い」といいます。

竹や笹はその寿命の尽きるときに花を咲かせ、実を持ちます。

その突然降って沸いた餌に、山のネズミは狂気乱舞。

栄養分の高い実を食べたネズミは大発生となるわけです。

山のように生まれたネズミの子供たちの餌はありません。木の根をかじり、草をかじり、

餌を求めて里に降りてきて、人間の食料をあさります。竹や笹の花が飢饉の時とかち合えば

人とネズミで残された餌の奪い合い、凶暴になったネズミは、人を襲うこともあったと伝えられている。

かくしてすっかり食べるもののなくなった人々は泥を食う。

竹や笹の花が「泥食い」といわれるゆえんです。

  :一之瀬川上流域

登山口近くの沢です。

15:25 無事下山、バスに乗って大菩薩ラインを丹波山村へ下る。

丹波山温泉「のめこいの湯」で汗を流し、帰途に着いた。

**********

      行程:標高差641m、約11km、歩行時間5時間 

     7:15 新宿発 =9:50 登山口 ⇒10:35 一休坂分岐 ⇒10:45 一休坂

      ⇒11:40~12:05 笠取小屋(昼食) ⇒12:20 小さな分水嶺 

      ⇒12:45 笠取山西峰 ⇒13:05 東峰 ⇒13:20 水干 ⇒13:35 多摩川源流

      ⇒14:05 笠取小屋 ⇒15:25 下山口 =16:15 のめこいの湯 =19:30 新宿駅

 今週のtwins 

離乳食をスタンバッテます。

    

ドヤ顔のmei-dx                  乳歯がかゆい?hina-bou